吉岡君の声は、
どうしてあんなにもやさしいのだろう。
心地よい、
という言葉だけで括ってしまおうとすると、
どこか切なくなってしまう。
遠い心象風景の扉を開けてくれるような、
懐かしい響きを持っていて、
心のてっぺんからつま先へと、
すう、
と触れて、
在るべき場所へと、
すとん、
と落ちていく音色。
そこから広がっていく、
余韻の静けさ。
やさしい、という言葉ひとつの中に、
幾層もの光と翳が重なって揺れているような、
心の根っこから根っこへと響いてくる、
ずっと聴いていたい声。
そんなことを想いながら聴いていた、
シッダールタにあてた吉岡君の声。
抑えた感情から綻び落ちてくる志操がそこにはあって、
沖に浮かぶ漁り火みたいな、そんな情景を呼び起こす声だった。
全ての作品を読んでいるわけではないし、
逆に読んだ作品は少なくて、
何がと問われたら、
具体的にはこれだと答えられないのだけれど、
既読した手塚治虫作品群と吉岡君には、
どこかしら共通するものがあると思っていて、
その想いを抜きにしても、
これはとても好きな作品であったから、
シッダールタの声を演じてくれたのだと知ったときには、
すごく嬉しかった。
シッダールタは悟りを開いて仏陀となり、
その言葉は経典へと形を残して、
後には神と呼ばれる存在になったけれど、
シッダールタ本人は神になろうとして悟りを開いたわけではないのだろうし、
真理とは何かという疑問に少しでも近づこうとした人であって、
だから葛藤した末に彼が見出した答えはそこに依存させていくものではなく、
それは実践的な哲学なのだろうと、そんなことを考えている自分が、
地球の端っこ辺りにいたりして。
吉岡君はどんな想いで、
シッダールタに声を渡していたのかな・・・。
なんて、まとまりのない思いを巡らせながら、
風の揺らしていく緑の先には青い空があって、
ぼんやりと眺める心のすみっこに、
ふわりと吉岡君の声が聞こえてきたりすると、
どうでもいいやと思っていたことにも意味が添えられたりして、
雑景は景色となって色をやわらかに変えていったりするので、
ダメと言われたっていいよ、
言わせておけばいいよ、
そんな時はたくさんやってくるけれど、
でもやがては去っていく夕立みたいなものだから、
また頑張ろうかと、
歩幅に元気が出たり。
人は前に進んでいくしかない生き物で、
たとえ振り返っても、
立ち止まったとしても、
それは振り返ったり、
立ち止まったりしながらの時を抱えながら、
やはり前へと進んでいるのだろうなぁと、
そう思ったりもなんかして。
「君は、言ったよ」
それは草露の宇宙にも似た、
君の声。