長旅から届いた一枚の絵葉書。
差出人の名前に愛おしい想いを抱きながら裏返すと、
そこには行ったことのない景色が広がっていて。
すとん、
と一瞬で、
その場所に連れて行ってくれる。
季節の名残をさらっていくように、
新しく演じる人物ごとの心象風景を運んでくる吉岡君。
皮膚感が、違う。
薄い皮膚から伝わってくるその人物の質感。
言葉になんて到底表現できない、
皮膚から皮膚へと伝わってくるような触覚で、
引き込んでくれる。
心ごと。
ぐいっと、
力強く。
だけど、
しなやかに。
その様は、
粋然としていて、
かっこいい。
なんだかかっこいい。
とてもかっこいい。
やけにかっこいい。
えらくかっこいい。
ずるいじゃないか吉岡君、
かっこいいぞう!
ああ果てることなき恋心。
どうしてくれるのだ。
いやどうにもならないのだ。
メラン

例えば、
この目的地に、
この靴を履いて行ってくれと、
地図を渡されて、
歩き出す、
として。
図面に描かれた道のりは、
その時点で完成されてはいるけれど、
平面から立体へと、
歩みをつけて行くのは、
自分の意志とその身であって。
履きづらい靴もあるだろうし、
歩きづらい道もあるのだろうと。
自分の人生を生きて行くということは、
なんだか時にとても忙しなく、慌ただしい。
ああもうなんで前に進めないのだっ!
とトンチンカンに苛立ってしまう、
イソップ童話に出てくるカニの母ちゃんのような、
感情的で非理論的な状態になってしまうことは、
多々ありますです。
自分で招いた不具合で、
自分のことを精一杯にして、
挙げ句にその杯を、
他の人の心の隙間に、
素知らぬ振りしてぶちまけたりして。
役者さんのお仕事を思う時、
他の人の人生を辿る仕事って、
一体どんなことなのだろう?
と思ったりするとです。
脚本に読む、目に写る言葉の文字たちを、
目に見えない心の言葉へと移し替えていく作業。
蓋をしていたい感情や、
どこかに追いやってしまっていた想いの糸を、
心の隅からたぐり寄せて引っ張り出して、
それに対峙してく。
とても孤独で、
とてもしんどい作業だと、
思うです。
その過程にどれだけ正直であり、
そこから決して逃げることなく、
真正面であればあるほど、
こちらの心へ響いてくる共鳴感が、
大きく違ってくるのだと、
吉岡君の演じる人物たちに触れる度に、
そう思うです。
そんな苦しい過程がきっとあるのだろうけれど、
けれども、
だけれど、
吉岡君の演じる人物たちからは同時に、
呼吸感みたいなもの。
というか、
これもうまく表現できないのだけれど、
こちら側からも、
ふっと呼吸を入れさせてくれるような、
柔軟性のある風の通り道が、
存在しているというか。だから、
窮屈な圧迫感を感じることなく、
とても身近に、
その存在を感じることができるのかなと。
山が大好きなので、
どうしてもそこへと、
彼の姿を形容してしまいがちなのですが、
吉岡君って、
吉岡君の演じる人物って、
なんというか、
裾野が大きく広がっている。
そんなふうに、
思ったりして。
見上げるその山容に、
さっと、どこからか、
風が吹いて、
新しい季節の到来を告げていく。
そんな感覚を、
覚えるです。
そんなあなたの風は今日、
どちらに吹きますか?