令和5年7月24日(月)
爺の子育て支援「姫のかぐや」と別の孫が来て2泊3日で大賑わい!
水遊び、食事、お風呂世話、好きな広島神楽は行けない。
爺の子育て支援は、全般的に厳しいよ。
孫の言い分を最後まで聞いてあげる。
自立を閉ざすことはしない。
一人の人間として「人様に迷惑かけない」、
子供のときからの自立心を大切に立派に大きくなってくれれば、
子育ての爺は、それで満足じゃ!
自立とは、他から支配されたり助けられたりせずに
存在することを意味します。
孫も段々と大きくなるにつれて爺が「こっちにおいで」と言っても反対の方向に
走り回る。自立は一層強くなり好き勝手なことをする。(男の孫)
滅多に口に出さない「ダメ」は言わない。言ったところで何がダメなのか孫には
分からない。このころの時期はこう言ったものだ。
「ダメ」という言葉は、孫にとってはインパクトが強烈すぎるのだ。
自分が悪くないのみ「怒られた」と思い込んでこの気持ちは脳裏に焼き付いている。
状況観て見ながら「何しているの?」と切り出す。
それは良くないね。と優しく言って言い聞かす。同じこと行なったら「爺が先っき言った」
こと分かっているのと同じように「良くないね」と言ってあげ「やめようね」と約束させる。
返事は?「うん」。「うん」ではないよ。「はい」でしょと躾けが厳しくなる。
「はいと返事したら、思い切り褒めてあげ頭を撫でてあげる。偉かったねとも言ってあげる。
思い切り褒めてあげ頭を撫でてあげることで学習力は格段に前進する。
褒められたことも強烈に記憶している。
要するに、言ったことに理解し分かれば褒めるときのコミュニケーションは何でも良いのだ。
爺に怒られないように先に「これしても良い」と聞いてくるようになる。
この言葉には、自分でやって見たい(自立)ともしやったら怒られるという2つの
要素が隠れている。先ず、自分で好きなようにやってみなさい。これについて
結果が悪くても叱ることはできない。う~ん「良くできたね」と安心感を。
でも、「こうすればもっと良いかも知れないよ。」と考える余地を残す。
爺の子育て支援は、全般的に厳しいよ。「ダメ」ということは完全否定で大人からの視線。
ダメな時は、良くないね。(理解できるように説明をする)良い時は、褒める。
この繰り返しだ。2人娘もこの環境で大きくなっている。
我が子には爺以上に厳しく躾けしているようだ。叱られて泣くのも躾だ。
泣くという行為は、自分が良くないことして叱られたことを認識していると言うことだ。
それでも爺のところに良く寄って来て「公園」に行こうとせがむ可愛い孫に変わりない。