憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

お登勢・・29

2022-12-18 12:37:38 | お登勢

縁の下に隠れたままのお登勢が
みじろぎもせず、正気を逸しかけていた。
そのお登勢に気がついたのが、 晋太であり、
子供ひとりがやっとはいれるかという狭い縁の下で
お登勢を菰に乗せ、引きずり出してきたのである。
晋太がお登勢に気が付くのが
もう少し遅かったら、
今頃は口のきけない気違いになりはて、
お登勢はどうなっていたであろうか。
「子供心にもねえ、
助けてやりたい。
助けてやりたい。って、
晋太さんはそれだけしかなかったんでしょうね。
お登勢さんはね、
晋太さんの『生きろ。生きろ』って、 思いをいっぱい受けて
正気を取り戻していけたんだと思いますよ。
だってねえ・・・。
考えても御覧なさい。
お登勢さんにすれば、そのまま、死ぬか、
狂うか、よほどそっちのほうが楽だったと思うんですよ。
それを、いきてゆこうときめさせたのは、
晋太さんがささえてくれたからじゃないんでしょうか?
そんな晋太さんと共にこの町に連れてこられ
なにかあったら、晋太さんを頼るのはあたりまえじゃないですか。
徳冶さんが今のお登勢さんとしりあえたのは、
いわば晋太さんのおかげでしょう?
それとも、気違いのような、お登勢さんのほうが
よかったとでも?
だけどねえ、
私はまだまだ、徳冶さんに言っておかなきゃ成んないことがあるんですよ。
その話さえまだだというのに・・・。
つまらない悋気をだしちゃあいけない。
こんなことくらいで、邪気にとらわれてるようじゃ、
お登勢さんの思いの深さなど到底、わかりゃしない。
判りもしないのは、子供。
子供に嫁は、いりますまい?」
「あ?」
徳治はやっと、この時になって
嫁に貰うを承知させるむつかしさが、
お登勢の側にあるのでなく、 自分にあると気が付かされていた。
しゅんと頭をたれた徳治に大西屋はわらいかけてみせた。
「いやあ、そうはいってもね。
これは、まあ、たてまえといっちゃあ、おかしいけど、
建前にちかいです。
徳冶さんの気持ちはわかりますよ。
惚れた相手に自分以外に頼る相手がいる。
こりゃあ、男なら誰だっておもしろくない。
それが本音で私だってそう思うでしょう。
ですがね、 お登勢さんという人は
まだまだ、そんなくらいのひとじゃないんですよ。
それをわかってもらいたくて、
わざわざ、こんな所に来てもらっているんですよ。
そして、 その話をきいてもらった上で
何処までも、まことをしめしていかなきゃ、
到底、お登勢さんの承知を得られないんじゃないだろうかと、私が懸念することを聞いて欲しいんですよ」
こくりとうなづいた徳治を目に留め終えると
再び大西屋は話し始めた。
「私が木蔦屋に行って、わかったことは
お登勢さんが木蔦屋夫婦をどんなにか大切に思っているかという事です。
いろいろ、話を聞いてみた限りの憶測ですがね。
お登勢さんは 夜這いの正体を一言も漏らしていないのです。
徳エ門さんも、そのことで すぐに察せられたと思うんですよ。
ですから、息子の嫁になってくれるか、
そのほうが不安だとおっしゃっていたのでしょう。
お登勢さんが黙って急に飛び出したのは、これはね、
お登勢さんは
剛三郎に改心してほしい。
女将さんをだいじにしてほしいって、 祈りを込めたんですよ。
わかりますか?
普通の娘さんだって
夜中に男に忍び込まれれば
恐ろしいって、そればかりでしょう。
だけど、お登勢さんはさっきも話したとおり、
目の前で母親が犯され殺されるのを見ているんですよ。
どんなにか、おそろしかったか・・・。
それとおなじような事が我が身の上に起きた。
剛三郎をどんなに憎み、どんなに恐れても
けして、おかしくない。
なのにね、 このことを知ったら女将が苦しむ、
自分がいちゃあ、剛三郎の思いをあおるだけ、
色々、色々、考えたに違いないんですよ。
でもね、その色々のいろいろが・・・。
皆・・・人のため・・・。
自分が怖いの、憎いの、腹が立つの そんなことは言わず・・」
大西屋の言葉が涙で途切れた。
男泣きを手の甲でぐいとぬぐうと、
「お登勢さんは心底強くて、優しい。
その強さは
自分のことより先に、人のことを考えるから
身についたんですよ。
そんなお登勢さんとね、
お登勢さんが大事か 徳冶さんの悋気が大事か
こんなものを一緒くたの天秤にのせちゃあ、
つりあいがとれなくなるでしょう?」
なにもかもが、大西屋の言うとおりである。
でてくる返事も「はい」の一言になる徳治である。
「それでね、
私が一番心配していることをきいてほしいんだよ」
大西屋の心配すること?
徳冶とお登勢の縁を結ぼうとする、
大西屋の目から見て 不安が見えるという。
徳冶の胸の中に小さな泡粒がぷくりとわきあがると、
「きかせてください」
と、音になってはじけた。
「うん。
今回のことでお登勢さんのつらい通り越しを話したのは、
もう一つ、訳があるんだ。
それは、簡単に言うと お登勢さんが
誰かの、特別な思いをうけとめられるだろうか?
と、いうことなんだよ」
徳冶の瞳は一点を凝視している。
その瞳の中に一瞬、怒りがうかんだが、
軽く振られた首と共に 怒りが沈んでいった。
「剛三郎のせいだけじゃないんだ。
お登勢さんのつらい過去は
男という生き物をうけいれたくない、
信じたくても信じられないものを
植えつけているんじゃないだろうかと思う。
それなのに・・・。
お登勢さんにすれば、まあ、いわば、
剛三郎は父親のようでもあったろう。
父親のように信じていたはずの剛三郎が
お登勢さんを我が物にしようとするなんてことを、
みせつけられたわけだ。
これをかんがえると、
お登勢さんが、いろいろと人のことを思うことが出来ても
今度はわが身にかえって、
自分のことを誰かに預けようと考えられるかどうか・・・。
男の中にある慾をうけとめてやってもいいと
おもえるほど、相手を好きになるまえに、
慾を身のうちにもつ男と言う存在自体に
おそれをもってしまうんじゃないだろうか。
嫌悪といってもいいかもしれない。
もちろん、徳冶さんがそんな不埒な思いで
お登勢さんを見ているわけじゃないのは判っている。
判っているが
父親のような存在だった剛三郎が
男として対峙してきた今となっては、
徳治さんのことも
「男」を匂わす存在として、恐れをいだくかもしれない」
なんということだろう。
剛三郎のしでかしたことは
お登勢をふるえさせただけでなく、
愛し愛される事に焦がれる、
娘らしい思いさえ、摘み取り
踏みにじり
人として 一個の女性としての希望さえ うばいさったあげく、
誰にも自分をあずけえない
孤独をうえこんだというのか?
「お登勢さんは強い人だ。
だから、いっそうそれが裏目に出たら、
独りでも生きてゆく女(ひと)になってしまう。
誰かに甘え、誰かを頼り、誰かに包まれる。
こんな女としてのしあわせも・・・」
求めることも知らず、
受け取ることも知らず、
凛と独り咲く華になりて、
はたして、しあわせだろうか?
女として、この世に命を受けながら、
女であるばかりに
女の幸せから、
身をそむける事になっては・・・。
「いや・・いや・・いやだ。
そんなんじゃ、
お登勢ちゃんが
あんまりにも不憫じゃないですか。
辛い目にあって
それでも一生懸命 生きてきたんだ。 それを・・・」
そうだと大西屋はうなづいた。
「これはあくまでも私の懸念です。
それでも、もしものことを考えてもいいと思うのです。
もしも、
お登勢さんの心がかたくなになってしまっていたなら・・・。
もう、お登勢さんのこころを変えてゆくしかないんですよ。
お登勢さんに誠心誠意を見せなさい。
お登勢さんの心が解け、開かれてゆくまで、
何年かかろうがですよ」
「ええ。もちろん、そうします」
強くうなづいた徳冶の胸に
晋太の存在が大きく翳り出していた。
『大西屋さんの言うとおりのお登勢ちゃんかもしれない。
だけど・・・。
そうならば、いっそう、晋太はお登勢ちゃんにとって
頼り、信じられる存在だってことになる・・・・』
それは徳冶の嫉妬というものとは、 質が違う。
もっと大きな度量の男に見えて仕方が無い晋太という男が、
この先の徳冶とお登勢の間をさえぎってしまう
壁になりえるのではないかという不安なのである。
そして、肝心のお登勢であるが・・・。



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