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多数決の愚

2019-04-09 10:15:11 | 日記
人間は一人ではたぶん生きてはいけません。
そうです。社会生活をしながら生きています。
そして、社会生活をするためには、社会のルールを守らねばなりません。
そんなルールのひとつが「多数決」です。
みなさんの意見がなかなかまとまらず、議論百出した場合、その中の多数の意見を採用することのようです。
方針が決まれば、構成員は全員その方針を尊重することになります。
それは、たぶんというか一見民主的なんでしょう。
ただ本当にそれでいいのかな?

◆多数決にも誤りはある
 よくある比喩で、経営判断の場面において、「社長の方針に取締役会メンバーが全員反対した場合は、社長は果敢にその方針を
 進めるべし」というのがあります。
 取締役会メンバーが全員賛成するのは、可にも不可にもならない当たり前の方針になりがちなんだそうです。
 リスクをとらないそういった経営方針では、大きな成長が望めないのは当然ですよね。
 取締役会メンバーに斬新な方針を求めても、そんなものは八百屋で魚を求めるようなものです。
 なので、社長は自ら社内の若手から情報収集し、会社の問題点を探り出し、改善方向を見極めねばなりません。
 多数の意見には常識は含まれますが、改革は含まれてはいないのでしょう。
 ですから、大きく成長する企業は、実務は別として、経営方針は社長さんがトップダウンで決定していくはずです。

 社内の「部」とか「課」とかの、小集団においても似たようなことがあります。
 会社の異動辞令で、新任の部長が着任しました。
 部長は、全員と面談し、メンバーの考えや問題点を聞き出します。
 その行動自体は悪いものではありません。
 しかし、「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉を念頭に置いておくべきです。
 メンバーから煙たがられて、どちらかというと嫌われている人物が浮かび上がります。
 いわゆる「多数決による人民裁判」です。
 だが、良く良く観察してみると、実はその人物は会社のためを最優先に、他のメンバーに接しているのです。
 多数が会社利益に反する行動をし、本人はそれに抗っているのです。
 多少生き方が不器用かもしれませんが、こういった人物を見出しきちんと処遇するのは上司の使命というものでしょう。

 多数決の愚にとらわれてはなりません。