今日も田内学氏の「君のお金は誰のため」からだ。
お金は大事だ、それを否定するものではない。
だがそれは、個人にとってのものであり、全体で考えるとそうではないという。
これは、意外な指摘だった。もう少し詳しく聞いてみよう。
◆少子高齢化とはこういうこと
世界に100人の人が居る。
人々は、毎日1個のパンが必要で、値段は1個100円だ。
パンの生産量は一日に100個で、全体としてバランスがとれている。
では何かの事情で、パンの生産量が50個になってしまったとしよう。
その時には、パンの値段は200円になるかもしれないが、50人にしかいきわたらない。
どう工夫しても、100人には行きわたらないのだ。
少子高齢化というのは、これに似ている。
パンを生産する人が減ってしまう、過日のお金を受け取って問題解決してくれる人が居なくなるのだ。
将来、介護職員が3割も不足するらしい、仮にその人々を充足することが出来たならば、
その他の問題解決をする人々が確実に不足することとなる。
過日のラーメンの例で言えば、小麦粉を生産する人、味噌・醤油を作る人、豚を飼う人、
それらを運ぶ人、ラーメンを作る人がいなくなってしまうのだ。
だから、その日のためにお金を貯めておくということは、個人レベルでは多少意味があるが、
全体での問題解決には全く意味がない。
問題解決のためには、生産量を増やす=問題を解決してくれる人を増やすしかないのだ。
もちろん、ITやらAIを用いて生産性を上げることも、生産量を増やすことに多少は繋がる。
それでも、生産量を増やすしか=(問題解決する)全員にサービスを行きわたらす方策はないのだ。
→個人レベルでお金を貯めておくというのは、他人に抜け駆けをするということなのでしょうか。
そんなパンの奪い合いはしたくないものです。
考えさせられました、皆さんにも一読していただきたいものです。