芸術家の多くは、常人とは一風変わった方々だと思う。
だから、女性との浮名やギャンブル、お酒や借金のトラブル等を起こしても、それは「芸の肥やし」として、
不問に付すなんて風潮もあったようにも感ずる。
だがビートたけしは、彼自身が落語家の古今亭志ん生を演じるにあたり、それは違うと感じたそうだ。
◆稽古や努力こそが「芸の肥やし」である
悪さをいくらやらかしたって、芸の肥やしにはならない。
たけしだって、今までさんざん遊んできた存在だ。
だが志ん生を演じるにあたり、あらためてその落語を何度も聞くうちに気が付いたそうだ。
名人と呼ばれる志ん生は、遊び人のふりをしてこっそり鍛錬をしていたに違いない。
女遊びや夜の付き合いが芸の肥やしなんていうのは、まったくの誤解であり、
圧倒的な稽古や努力こそが、本当の意味の芸の肥やしなのだと気づいたのだ。
→これは一般社会でもあるあるですよね。
結果を出す人というものは、やはり人知れず努力をしているものだと感じます。