⑨ 選挙制度の抜本的な改革を! “火事場泥棒”が大手を振る福島県 。 政治家の資質・魅力とは。 勇気について。 ノイローゼ。 除染で“焼け太り”の復興バブル 。 新聞は「体制擁護」に成り下がったのか 。 夢について。
選挙制度の抜本的な改革を!
国会議員の定数削減などが今国会で議論されているが、要は「選挙制度」の問題に帰着するだろう。断っておくが、100%完全な選挙制度というのはあり得ない。それは時代によって変わってくるからだ。 以前は良かった制度も、今になっては悪くなる面がいくらでもある。ただ一つ言えることは、民意がいかに反映されるかで良し悪しが評価されるだろう。
例えば、1994年に導入された現在の小選挙区制だが、20年近く経った今ではいろいろ問題点が指摘されている。 当時、導入に積極的だった人たちも、今になって「あれは良くなかった」などと反省している。私も小選挙区制は大政党に有利になるばかりで、基本的に良くないと思っている。もちろん、比例代表並立制が取られ、他にも併用制や連用制などが議論されているが、以前の中選挙区制の方がまだマシだったと思っている。
選挙制度の問題は、どうしても党派によって利害が対立するので一長一短が出てくる。この面でも、100%理想的な制度というのはあり得ないのだ。要は民意がいかに多く反映されるかで、その良し悪しが決まってくると思う。
そう考えると、都道府県単位、さらに広いブロック単位で「比例代表」を基本にした制度が導入できないものだろうか。「大選挙区制」と言ってよいが、これは問題提起である。
さて、ここで強調したいのは、選挙権と被選挙権(立候補権)のことである。選挙権については、今の20歳以上を18歳に引き下げる改革案が今国会に提出されるというが、これは大賛成である。ぜひ実現して欲しい。
問題は被選挙権だが、これも今の年齢制限を引き下げるべきだ。 現在、参議院議員や都道府県知事は30歳以上、衆議院議員や市町村長などは25歳以上となっているが、これを思い切って20歳以上ぐらいに引き下げられないのか。
諸外国の例を見ると、なんと10代から立候補を認めている国が44カ国もあるのだ! ドイツ、カナダ、オランダ、スイス、オーストラリア、デンマーク、ノルウェー、ニュージーランド、フィンランド、ハンガリー、スペイン、ポルトガル、中国などとなっている。 また、100以上の国で23歳未満の立候補が認められており、イギリスやロシアなどは21歳だ。(以下の記事を参照・・・http://www.toyamav.net/~fc9/sPDF/senkyokenhikaku.pdf)
日本はよく政治は「三流」と言われるが、選挙権や被選挙権でも諸外国からかなり遅れている。
やる気があって優秀な若者は多い。大勢の年寄りが政治を牛耳る時代ではない。しかも、最近の日本の政治の“体たらく”を見ていると、今や若者たちが新風を吹き込む必要がある。
もう一つ問題なのが、選挙供託金である。日本では衆議院の小選挙区で300万円(参議院選挙区も同様)、比例区で600万円(参議院の比例も同様)などとべら棒に高いが、外国ではアメリカ、フランス、ドイツ、イタリアなどは“ゼロ”である。 イギリスでも約9万円、カナダで約7万円などとなっているが、最も高い韓国でも約150万円だ。(以下の記事を参照・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%9B%E8%A8%97%E9%87%91)
日本がいかに“金権選挙”が好きだと言っても(失笑)、これは酷すぎないか。 貧しくても志のある若い人たちが、国政に参加するのを“金の壁”で妨げているのだ。ここにも日本の政治の後進性が如実に現われている。
こうして見ると、日本は今でも金権選挙、そして金権政治なのだ。金がかかるから「政党助成金」を税金から奪い、他にも企業や団体献金、政治資金パーティーなどに頼るしかない。もちろん個人献金もある。
世界一高い議員歳費にありつくためには、どうしても金がかかるようになっている。日本の政治はやはり「三流」だと言わざるを得ない。他にも言いたいことは沢山あるが、本日はこれまでにしたい。(2012年2月1日)
“火事場泥棒”が大手を振る福島県
私がお世話になっているブログ友だちに「公平さん」という方がいる。今回、福島県で原発事故によるボランティア活動をされていたが、その酷い実態を知って撤退することを決意したという。
以下に、公平さんの記事を引用させてもらうが、日本社会の実態が手に取るように分かるだろう。
「 小生が、この二ヶ月間で得た情報によると、大手ゼネコンは、一部の権力や影響力ある政治家、官僚と組んで、原発事故収束に向けた作業に入っている。政府が提示した除染費用や、仮置き場設置費用、これらは緊急に行動しなければならないし、誰かがやらねばならないのだが、この期に及んで、これで大もうけを画している。
これは、小生が得た情報で、ある大手ゼネコンから齎されたものである。昨年の年末に成立した補正予算から、この30キロ圏内から20キロ圏内までの除染費用と、10キロ圏内で瓦礫処理、仮置き場設置などの危険地域での作業労務者に必要な費用は、一日当たり8万円、この内訳は、労務者募集に関わる費用が一人当たり日額2000円、防護服(使い捨て)が一日当たり8000円、線量計が一日2枚4000円、これに健康診断に関わる費用が一日当たり1000円の積み立て、食費が一日当たり3食で1200円、宿泊費が3000円、占めて19200円、これは費用として毎日必要とされ、残り50800円、これが労務者に支払われるのではない、ここからゼネコンの雑費として9200円が差し引かれて、40000円が残るのだが、この4万円も労務者に支払われる訳ではない。
大手ゼネコンは、労務者(日雇い人夫)は直接雇用しないから、下請け業者が、本来、法律で規制されている人夫出しをする、しかし派遣として行えば労働基準法に抵触するので、請負業務として下請け会社が大手ゼネコンと契約して、その労務者集めの実行部隊となる。あくまで請負なので、人夫の員数は、お手盛り、契約期間中に、その業務を遂行できれば契約履行となる為に、最低限の労務者を入れる事になる。更に、この労務者から、その管理費として日額10000円を差し引いて、労務者に手渡される日当は、30000円まで下がるのである。
しかも、下請け業者の中には、この30000円から食費や宿代まで二重で取る業者も少なからず存在する。弱いもの虐めが堂々と罷り通っているのが土木業の実態であると言っても過言でない。
この10キロ圏内の作業は、一つ間違えば、高線量による被爆もあり、中には、数ヶ月間で圏内での作業が出来なくなる。幸不運もあるのだが、最悪の場合、3ヶ月程度で職を失う労務者も出てくる。そうなると少々日当が高いと言っても到底、得だとは、ならない。国から支給される、国民の税金から、ゼネコンが費用を差し引き、更に下請けが差し引いて一番危険な現場で働く労務者へは、僅かばかりの日当を支払う事になる。下請け業者が1日当たり、労務者から10000円天引きすると、500人請け負い業務契約を大手ゼネコンとした企業は、毎日、500万円の粗利が出る計算となる。経費は、大手ゼネコンが、上記の様に指しいているのだから、管理費用として、10000円の経費が必要なはずもない。つまりぼろ儲けと言う事になる。これが1年続くと、18億円の企業収入が見込めると言う事になる。更に悪質な業者は、ここから1000円から5000円程度の経費を差し引く事になり、その利益は、膨大なものになるのは、お分かり頂けると思っている。
しかも、会社へは、一日当たり1000円前後の管理費を入れ、残りは、役員たちでペーパー会社を作って、そこに入れて、個人的な収入とすべく、別会社を作り上げているのも存在する。
人の不幸でぼろ儲け、これは、火事場泥棒である。家を失い、帰るべき故郷すら失った被災者を食い物にする悪魔的なシステムが、存在する。そして、そのキックバックが、官僚の権力機構に吸い上げられて行く、そして、それに利用されるのが、低俗な保守系議員である。彼らが暗躍する事で、この火事場泥棒が堂々と大手を振って社会を渡り歩いている。この全てが、今の我が国の実態であると言っても過言でない。その幸運に巡りあたれば、誰でもが同様に踊るのだろう。
小生は、この全ての利権を固辞し、ボランティアとして、この組織作りを手伝っている。一銭の金も受け取っていない。これを告発しようとも思ったが、誰かが早急にこの作業に入る必要があり、その為には、少々の悪事に目を瞑ろうと考えたのだが、どうも小生の正義感が許さない。数日後には、この全ての業務から撤退するつもりである。」
以上、公平さんの記事を一部引用させてもらったが、元記事は末尾にリンクしておく。真面目なボランティアも大勢いるというのに、放射能汚染の除去が今や“巨大ビジネス”になっている。どう評価するかは別にして、それが福島県の実態なのだ。(2012年2月7日)
公平さんの記事・・・http://blogs.yahoo.co.jp/kouheiron001/53031917.html#53031917
政治家の資質・魅力とは
最近の国会議員・政治家を見ていると、どれもこれも面白くない。なにか“魅力”がないのだ。魅力の本はその人の「心」だと思うが、心の大きさとか清々しさが感じられない。時代が“せちがらく”なったからだろうか。だから、英雄・豪傑の類いが少なくなったのだろうか。なにか利害や打算だけで動いているようである。
民主主義や政党政治は良いと思うが、政治家の人間的魅力というものが伝わってこないのだ。国会議員よりも、むしろ知事や市長など地方政治家に面白い人がいるように感じられる。
こんなことを言うのも、例えば現首相の菅直人。民主党のマニフェストを変えようがどうしようが、もし菅に魅力があったら、こんなに内閣支持率が下がるわけがない。それは菅の人間性、心の貧しさがバレバレだからだ。総理になれば誰だってそうなるかもしれないが、「権力」にしがみ付いているだけである。それが見え見えだ。
もともと、理念も信念も戦略もない男だから仕方がないだろうが、人間的魅力も欠如しているからどうしようもない。利害得失だけで動いているのが丸見えだから余計に嫌になる。能力は少しあるかもしれないが、それは人を騙す能力ぐらいだろう。小粒もいいところだ。
昔はけっこう魅力的な政治家がいた。善し悪しは全く別にして吉田茂、鳩山一郎に始まり、三木武吉、大野伴睦、石橋湛山、岸信介、河野一郎、池田勇人、鈴木茂三郎、浅沼稲次郎、田中角栄、金丸信などなど、それぞれ魅力があったものだ。共産党にも徳田球一や宮本顕治がいた。ところが今や、個性豊かな力強い政治家が少ない。時代のせいだろうが寂しい。
例えば田中角栄。ロッキード事件で有罪になり“金権政治”の権化のように言われているが、彼は首相として日中国交正常化を果断に実現した。そういう実行力があったのだ。中国側はそれに感謝し、事あるごとに「田中先生」と呼んで東京・目白の私邸を表敬訪問していた。
国情やイデオロギーが違っても、歴史的な事業を成し遂げれば交流が生まれるのだ。ところが、今や対ロシア外交も対(北)朝鮮外交も全く頓挫している。鳩山一郎は首相としてモスクワに乗り込み、日ソ共同宣言に調印して国交を開いた。ところが、日露外交は今や領土問題などで、50年以上も前のあの頃より後退してしまった! 要するに、能力も見識もある政治家がいなくなったのだ。
簡単な例を述べたに過ぎないが、こんなに小粒な政治家ばかりでは、日本の外交など全く期待できない。日本はどんどん地盤沈下していくだろう。
「国益」とは何かと考えた場合、国情や体制が違っても、それを乗り越えて成果をあげるには、まず広い心と決断力、実行力が必要なのだ。ところが、今やそんな“資質”を持った政治家はいない。相変らずアメリカべったりの外交しかしていないのだ。外務大臣の前原が先ごろモスクワへ行ったら、ロシアの外相に馬鹿にされて帰ってきた。逆に北方領土は、ロシアが韓国、中国と共同開発しようという話が進んでいる。何もかも後退しているのだ。
たまたま外交の例を挙げたが、今の政治家は戦略も度量もないから相手にされないのだ。原則論ばかり言っている。原則論なら小学生でも言えるぞ!
どうして、こんなに魅力のない政治家ばかりになってしまったのか。数字合わせや計算だけはよくやるが、そんな事は官僚の方が得意だ。もっと広い視野に立って外交や内政に取り組めないのか。菅のような男が首相では、とても無理だろう。
そこで、時代は古いが痛快な話を紹介してこの記事を終わりたい。そのくらいの度量と魅力がなければ、政治家は駄目だという話だ。
「敵に塩を送る」という故事がある。これは戦国時代の名将・上杉謙信が、宿敵の武田信玄に塩を送ったという話だ。詳しく伝わっていないが、甲斐の武田軍が駿河の今川軍と争った時、今川方から塩留め(経済封鎖)をくらった。塩が入ってこないので山国の武田家の領民はみな苦しんだという。その時、上杉謙信は越後の塩を武田側に送ったというのである。
理由は「義」を重んじる謙信が、武田の領民の苦しみを見捨てなかったということだ。宿敵の武田側に塩を送るとは、普通の人間にはなかなか出来ないことである。さしずめ、今だったら“利敵行為”として非難されるかもしれない。しかし、それによって謙信の名声はさらに高まった。
武田信玄は死に臨んだ時、息子の勝頼に「自分の死後は謙信を頼れ」と遺言したという。それは信玄が、頼られれば決して人を見捨てない謙信の「義」を知っていたからだ。不倶戴天の敵同士でも、名将ともなると相手の「心」を捉えることができる。
せちがらい今の日本に、こういう名将に匹敵できるぐらいの政治家は出てこないのか!? (2011年2月19日)
勇気について
勇気がない自分だからこそ、私は人間の美徳の中で「勇気」が最も価値あるものだと思っている。
ある方のブログを訪問したら、ミケランジェロの有名な彫刻「ダビデ像」の写真が載っていた。ダビデ像は一般に、力強さと若き人間の美しさのシンボルのように受け取られている。たしかにそういう面はあるに違いない。
しかし、私はダビデ像こそ「勇気」の象徴だと思っている。勇気があるからこそ、人間の力強さも美しさも表われてくるのだと思っている。
末尾にウィキペディアの「ダビデ像」の写真と解説をリンクしておくが、ご承知のように、ダビデは古代イスラエルの英雄である。羊飼いの少年であったダビデは、ぺリシテ人との戦いの中で、巨人兵士であるゴリアテを投石器の石で打ち倒した。その時の情景を彫刻にしたのがミケランジェロの「ダビデ像」なのだ。
私はこの彫刻が最も好きで、5年ほど前だったか、観光ツアーでイタリアのフィレンツェへ行った時に初めて見た。ダビデ像の周りを何度も回りながら仰ぎ見ていたが、巨人・ゴリアテに立ち向かうダビデの鬼気迫るような迫力を感じたのである。
それは力強さや若さと言うよりも、決死の覚悟で立ち向かう人間の「勇気」そのものであった。
人間にはいろいろな美徳がある。優しさ、思いやり、正義心、献身、博愛、忠義、孝行、信念、忍耐、謙譲などいろいろある。どの美徳も素晴らしいのだが、私は中でも「勇気」が最上のものだと思っている。
なぜなら、勇気ほど得がたいものはないからだ。人間、なかなか勇気を持つことは出来ない。もちろん私もそうだが、いざという時に、勇気を奮い起こすことは難しいものだ。「君子は危うきに近寄らず」と言って、肝心の場面で危険を避け逃げることが多い。「匹夫(ひっぷ)の勇」と言って、思慮分別もなくただ血気にはやる勇気をさげすむ言葉もある。
それらのことは分からないではないが、何かをしようとする時や肝心の場面で、勇気が無くなったら何も成し遂げることは出来ないだろう。
古い言い方で申し訳ないが、「もし勇気去らば、全てのもの汝(なんじ)より去る」と言ったのはゲーテである。ふだん勇気に欠ける私は、この言葉を大切にしている。
人間、何事も逃げるのは簡単だ。逃げるのは楽だ。しかし、逃げてはならない場合もある。ケースバイケースでいろいろあるが、逃げてはならない場合は立ち向かわねばならない。
ダビデのように勇気を奮い起して立ち向かわなければならない。そして「ダビデ像」はフィレンツェの自由と独立を守る象徴のような存在になった。
そういう大げさなことでなく、例えば身の回りの不正行為やイジメ、迷惑行為などにも断固として立ち向かわなければならない。
以上、勇気に乏しい私は自戒の念を込めて書いたつもりだ。(10年3月10日)
「ダビデ像」・ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%93%E3%83%87%E5%83%8F_(%E3%83%9F%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AD)
ノイローゼ
「ノイローゼ」という言葉をあまり使ってはいけないというが、何故なのか。私は医師ではないから、神経医学や精神医学のことはよく知らない。しかし、ノイローゼ(ドイツ語でNeurose)とは「神経症」のことである。はっきりと規定されているではないか。
と言うのも過日、山陽自動車道で、鹿児島大学の学生が走行中の高速バスのハンドルを奪い、横転させるという信じられない事件が起きた。幸い乗客らには大した怪我はなかったようで、大惨事にならなくて良かった。 実はこの大学3年生(22歳)は就職活動で大阪へ行っていたようで、鹿児島に帰る途中で事件を起こしたのだ。そして、日頃から就職活動に悩み、不安や焦りをインターネットの交流サイトに書き込んでいたという。警察の取り調べに対し、彼は「死のうと思った」と述べている。つまり完全に“就活ノイローゼ”だったのだ。
そこでウイキぺディアで調べたら、「ノイローゼ」という言葉は多種多様な疾患を含んでいるため、混乱を避けるために、精神医学の分野では通常は使用しないと出ていた。同様に「ヒステリー」という言葉も、誤解を招く恐れがあるので通常は使わないようだ。
しかし、それはおかしい。ノイローゼは「神経症」のことだから、多種多様の疾患を含んでいようと該当する場合は使って当然である。いや、むしろ多様な疾患・症状があるからこそ、概括して説明する場合は「ノイローゼ」と言った方が分かりやすいのではないか。
精神医学や神経医学が発達し、微細にわたって成果をあげているのは事実だろう。だからと言って、一般の人が「ノイローゼ」を誤解して使うことが多いから、その言葉を排斥しようというのは、医師側の自分勝手な判断だ。一般の人が誤解して使うなら、それを正せば良いではないか。
どうも、私は理屈っぽい話をする癖があるが、医師側に“自信”があるのかと問いたくなる。やたらに難しい病名を並べて、さも専門的だといった感じを与えているが、要は、こうした神経症(ノイローゼ)患者を治すのが医師の務めである。
「育児ノイローゼ」という言葉もあるのだ。いや、最近は「マタニティブルー」という言葉も出てきた。これはマスコミが勝手に使っているのだろうが、一般人に分かりやすく説明するには、こうした言葉から入っていくのが優しいのだろう。
もう一度言うが、ノイローゼとは神経症のことであり、れっきとした規定があるのだ。言葉の意味が混乱するようであれば、医師がそれを正せば良いことである。また、マスコミがそれを正確に伝えれば良いのだ。
以下は余談になるが、高速バスを横転させた大学生は、犯行前に3回も母親の携帯電話を鳴らしたという。深夜で就寝中だったから家族は気付かなかったそうだが、もし母親らが電話に出ていたら、大学生を慰めたり、励ましたり出来たかもしれない。そうすれば、ノイローゼの彼が犯行に及ぶこともなかったかもしれない。
結果論になったが、ノイローゼを癒したり治したりするのは、家族であり友人であり、そして医師らである。
誰でもノイローゼになる。人間、思い詰めたりすればそうなるのだ。純医学的な療法も大切だが、最後は人間の心と心の触れ合い、通い合いがノイローゼ患者を救うことが多いのではないか。(2011年3月7日)
除染で“焼け太り”の復興バブル
先日、福島県内の放射性物質の除染作業について、人の不幸でぼろ儲けする“火事場泥棒”みたいだと言ったが、「日刊サイゾー」というサイトに興味深い記事が載っていたのでご紹介したい。
以下は昨日(2月12日)の記事だが、これを読むと複雑な気持になる。良い悪いは別にして「風が吹けば桶屋が儲かる」ということか。
「日刊サイゾー」の記事
<タイトル> 「受注金額は言い値で決まる!?」 東日本大震災の復興利権に群がるゼネコンの″焼け太り″
「絶対に表じゃ言えないけど大震災は宝くじに当たったようなもの。被災者には悪いけどガッツポーズしたい気分」
そんなとんでもないことを言い出したのは大手ゼネコンの下請け業者だ。昨年12月から本格的に動き出した放射線の除染作業を大規模に引き受けたからである。
福島第一原発から近い汚染地域は国が、離れた地域でも被ばく量が年間1ミリシーベルト以上であれば地方自治体が除染を行なうことになっているが、この1ミリ以上の地域は、現在分かっているだけでも約1万3,000平方キロメートルで、面積でいえば秋田県に相当するほどの広さである。
専門家によれば「すべて1ミリ以下にするというなら、最低でも25年は必要で、その総費用は軽く見積もっただけでも30兆円以上」という。
すでに大成建設や鹿島、大林組などが大規模な除染作業に着手、清水建設や竹中工務店などを含めたゼネコンは一様に増益で、各被災地の下請け土建業者はこの復興バブルに沸いている。
前出の業者は「リスクの高い仕事だということで通常の3~4割増の見積もりが出せる。除染作業は、雨が降ったりすればすぐ線量が高くなって同じ場所でも繰り返し稼げるし、こんな美味しい商売はない。でも、もっとウマいのは手を汚さず中間マージンを搾取する上のゼネコン、割増の分も折半だから、彼らは濡れ手で粟」と話す。
昨年まで国土交通省の地方整備局に勤めていた局員も「高い技術力が必要な除染は、ゼネコンの言い値で受注金額が決まるので各社が競うように群がっている」と復興利権のうまみを証言する。
「そんなゼネコンを後押ししているのが皮肉にも環境にうるさい専門学者や市民団体などで、彼らが放射能汚染の怖さを訴えれば訴えるほど、この仕事への監視が甘くなり、規模が拡大していく。中にはゼネコンから不安をあおるよう頼まれて多額の支援費を受け取っている学者もいる」(同)
こうした復興利権に対しては異を唱えている者もおり、福島で住民と独自の除染活動を続けている環境学の大学教授からは「基本は土を掘って埋める簡単な作業。放射線量を下げる仕事は各自治体でもできるので、何もゼネコンだけに頼る必要はない」という声も出ているのだが、ゼネコンの勢いは止められない。
「できるだけマスコミには危機を煽って騒いでほしい」と前出業者。復興は何より最優先事項であることに違いないのだが、その心理を悪用する"焼け太り"まで許してしまっていいのだろうか。(文=鈴木雅久)
以上、読んでいただいて、金が回るから経済に良いと言う人もいるだろうが、その金は国民の税金である。また、善意で除染作業に参加したボランティアの中には、嫌気が差して撤退した人もいる。人それぞれだが、皆さんはどのように思われるだろうか・・・(2012年2月13日)
「日刊サイゾー」・・・http://news.livedoor.com/category/vender/105/
新聞は「体制擁護」に成り下がったのか
来年から朝日新聞の購読を止めようと思っていたら、東京新聞から「1週間無料」の試し読みキャンペーン・ハガキが来た。さっそく応募しようか。
1カ月の購読料も朝夕刊セットで、3250円とべらぼうに安い! 朝日新聞は進歩的でリベラルだと思ってきたが、最近は全くそうは思わなくなった。むしろ保守的で「体制擁護」の新聞に成り下がったのではないか。
例えば、政治とカネの問題で、民主党の小沢一郎のことを徹底的に追及してきた。それは良いとしても、政治とカネの問題なら菅直人にも(首相になった)野田佳彦にも、他の政治家にもいくらでもあるではないか。小沢をことさら貶めようという意図がありありと出ており、嫌気がさしていた。
今の新聞は(テレビも勿論そうだが)、体制擁護の姿勢が見え見えだ。ジャーナリズムの精神に欠けている。どこがジャーナリズムなのか!? インターネットの方がはるかにジャーナリズム精神を貫いている。読売などは勿論だが、どの新聞も「御用新聞」みたいになってしまった。“大本営発表”をそのまま報道する感じだ。
どれもこれも商業新聞だが(民放テレビも商業テレビだが)、この1年ぐらい、ネットで東京新聞の記事が面白いと思っていた。北海道新聞や西日本新聞と提携しているからだろうか。通信社の記事も多いようだ。地方の記事も紹介してくれるが、これがキラリと光るものがままある。今や地方紙の方が真実を語るケースが目立つ。全国紙はどれもこれも同じようなものだ。 来年から新聞を止めようかとも思ったが、まずは東京新聞の試し読みでもしてみようか。(2011年8月31日)
夢について
私は夢をよく見るが、大別すると深い夢と浅い夢があるように思う。そして、深い夢はだいたい悪夢、浅い夢はおおむね良い夢のようだ。
深い夢というのは真夜中に多いようで、浅い夢はほとんど明け方である。ということは、真夜中に見る夢は“悪夢”が多く、明け方に見る夢は良い夢が多いということだ。
熟睡していれば夢は見ないという。そうだとすれば、夢を見るというのは疲れから来るのだろうか。「夢は五臓の疲れ」というから、そういう場合は悪夢が多いのだろう。
ただし、寝る前に適度な運動をすると熟睡できるというので、ストレッチをする人がいる。これは逆に、心地よい疲れが熟睡をもたらすということなのか。
私は精神分析学者でも心理学者でもないから、夢を専門的に分析することは出来ない。しかし、精神的疲労があったり酒を飲み過ぎたりすると、真夜中に深い夢を見るようだ。
こうした場合はだいたい悪夢で、仕事に追われ四苦八苦しているようなものが多い。昔いた職場で自分が悪戦苦闘しているのだ。こういう夢はずいぶん見てきた。
ところが、明け方に見る浅い夢は良いものが多い。昔の恋人や旧友らが出てきたり、時には吉永小百合のような美人が出てくる。
こういう場合は“夢うつつ”といった状態である。つまり、夢か現実か区別しがたい状況なので、現実に思っていることが素直に夢に“投影”されるようだ。夢が浅いというのはそういうことだろう。
夢は人それぞれだが、私の場合は概してそういうことだ。したがって、どうせ夢を見るなら明け方に浅い夢を見たいと思う。よく「夢や希望を持て」とか「理想や夢に向って進もう」などと言う。
この場合はもちろん良い夢であって悪夢ではない。ところが、人は往々にして悪夢を見るのである。夢を見ない人はそれで良いが、よく夢を見る人は出来れば素敵な夢を見たいものだ。真夜中に熟睡し、明け方に美人や恋人の夢が見られれば最高ではないか。(2010年3月20日)
新メディア立ち上げのお知らせ 2012年 上杉隆氏の公式ウェブサイト
http://uesugitakashi.com/?p=1143
ミドルメディアの結成に賛同します。マスメディアの記者も共鳴する人は多いと思いますよ。いろいろな形の発信源が出来るのは良いことです。
報道も多様化するでしょう。