第3部・・・空想、夢想、妄想の懺悔・告白のような自伝的物語
(以下に主な登場人物)
山本啓太(主人公) 坂井則夫(啓太の同期) 草刈俊平(警視庁クラブ・キャップ) 蒲田二郎(先輩記者) 松本邦明(先輩記者) 森永徹郎(先輩記者) 石浜報道部長 花井久(ディレクター) 村井隆(デスク) 高山重男(デスク) 小出誠一(啓太の同期) 石黒達也(同期のアナ) 木内典子(雑誌社の記者) 白鳥京子(木内の同僚) 山本久乃(母) 山本国義(父) 山本国雄(啓太の兄)など
(13)警視庁ニュース記者会
正面玄関の警察官に記者証を見せると、啓太は警視庁1階のロビーに入った。そこに横たわっている警察犬の銅像は、緊張した気持を幾分なごませてくれる。彼は回り階段を上って2階の『警視庁ニュース記者会』へと向かった。
部屋に入ると、雑然とした雰囲気の中で数人の男たちがソファーに腰かけている。また、テーブルを挟んで“花札”に興じている者もいた。右手には間仕切りをした4つの小部屋(ブース)があり、それぞれの民放テレビ局に分かれていた。
啓太は奥から2番目のFUJIテレビのブースに入った。
「こんにちは、山本です」
「おお、待っていたぞ」
啓太が簡単に挨拶すると、キャップの草刈俊平も気安く返事をした。彼の側には先輩の蒲田二郎も控えている。蒲田は不愛想な男だが、それでも少し笑みを浮かべて啓太の方を見やった。
「前にも電話で話したが、君には捜査1課と3課を担当してもらう。防犯や警備・公安も手伝ってもらうが、チーフはこの蒲田君だ。彼の言うことをよく聞いてやってくれ。それでは仕事の内容を簡単に説明しよう」
「はい、よろしくお願いします」
啓太がそう答えると、草刈はファイルやスクラップ帳を取り出して説明を始めた。おおよその仕事の内容だったが、記者クラブでの任務はいろいろある。新人記者だから、新聞の切り抜きなど雑務は主に啓太がやらなければならない。
それは良いとしても、草刈の次の説明は少し意外だった。
「泊まり勤務はNIPPONテレビ、NETテレビと順番にやっているんだ。つまり、3日に1回はFUJIテレビの番が来るが、それを4人で回しているのだ」
さらに草刈の説明だと、TOKYO放送はラジオもやっているので、ニュースの回数や分量が他社よりも多い。したがって、人員を確保して毎日 泊まり勤務をしているというのだ。ニュース報道の態勢では、TOKYO放送が他を一歩リードしているなと啓太は思った。
あとは雑談になったが、警視庁には記者クラブが3つある。その話は以前聞いたことがあるが、最も古くて伝統があるのが『七社会』で、そこには大新聞や代表的な通信社が入っている。もう一つは『警視庁記者倶楽部』で、そこにはNHKなどが加盟している。最も新しいクラブが、民放各社が入っている『警視庁ニュース記者会』なのだ。
そんな話をしていると、蒲田が口を挟んできた。
「山本君は社会部が希望なの?」
「いえ、特にありませんが、警視庁クラブが基本だと思ったのでまずここに来たかったのです」
「そうか、そういう人が多いね。でも、ここは何でもありだからけっこう忙しいよ」
「はい、それは来る前にいろいろ聞いています」
啓太と蒲田が話していると、突然、ブザーのような音がして部屋中にせわしない男の声で放送が流れた。「墨田区本所4丁目○番地付近から火災発生・・・云々」といったものだ。
啓太がけげんな顔をしていると、草刈がすぐに答えた。
「あれは東京消防庁からの速報だよ。火事の第一報ってわけだな」
すると、蒲田が続けて話した。
「要注意ということだ。第二報を待ってカメラを手配するかどうか決める。大抵はボヤで鎮火するのが多いからね」
そう言って彼はタバコを取り出し一服吹かしたが、今度は草刈が続けた。
「事件や事故の一報も広報から放送があるよ。大抵はそれを聞いていればいいが、時には警視庁の無線連絡を傍受する必要がある」
そう言って、草刈は机の上のポータブルラジオを指差した。ふだんは雑音が多いので聞かないが、事件や事故が“現在進行形”の場合は無線を聞くという。啓太は2人の話に耳を傾けていたが、改めて見るとブースの中がとても狭苦しいと感じた。
横長の3畳ほどの広さの中に机や椅子、書類棚やソファーなどがあるが、何もかもひしめいている感じがする。泊まり勤務の場合はソファーに寝転ぶのだそうだ。ソファーは一応背もたれを倒してベッドになるが、そうすると横の椅子を圧迫して机とのスペースがなくなる。だから、泊まりの場合はソファーに寝転ぶしかないだろう。
まあ、自分は若いんだからいいか。ようやく憧れの“事件記者”になれたのだ。寝るったって仮眠でいいじゃないか・・・などと考えていると、そこへ背の低いずんぐりした男が現われた。
「ああ、ちょうど良かった。邦(くに)ちゃん、新入りの山本君だ。こちらは松本君、捜査2課と4課を担当しているよ。ほかに公安・警備もだ。よろしくな」
草刈が松本邦明を紹介したので、啓太は丁寧にお辞儀をして挨拶の言葉を述べた。松本も軽く会釈をして応じたが、すぐにある金融犯罪の報告を草刈にしている。その間、蒲田が啓太に話しかけた。
「早速だが、広報と1課、3課などを回ってみよう。今日は挨拶だけだな」
そう言うと、蒲田はさっさと記者クラブを出て歩き始めた。捜査1課は殺人、強盗、放火、誘拐など凶悪犯を取り扱う部署で、事件記者としては最も魅力を感じるところだ。また捜査3課は窃盗事件を扱うところで、少し地味だがスリや空き巣など犯罪件数は最も多い。
啓太は蒲田に連れられ、関係部署の窓口の人達に挨拶して回った。その中で、彼が興味を感じたのは鑑識課である。ここは事件現場の証拠品を押収したり、指紋などを照合するなど言わば捜査の“裏方”だが、科学的な鑑定が発達する中で最重要の部署だと思った。後日、啓太は鑑識課に出入りすることが多くなった。
こうして、啓太の警視庁ニュース記者会の日々が始まったが、10月中旬になって思いがけない仕事が舞い込んできた。それはその年(1967年)の「10大ニュース」の制作を手伝えというものだった。10大ニュースは主に内勤の遊軍班が手がけていたが、人手が足りなくなってきたというのだ。
この話は社会デスクの村井隆が言ってきたのだが、たまたまその場にキャップの草刈は居合わせなかった。啓太が直接 電話で聞いて承諾したのだが、あとで草刈が知ったのである。彼は現場の責任者だから、部下が他のセクションへ出ることに“諾否”を決めて当然だろう。
それが無視された形になって、草刈は怒った。
「なぜ俺に一言 言わないんだ! お前が勝手にOKするなんて・・・」
そう言って、草刈は村井デスクにすぐに電話をかけた。電話はけっこう長引いたが、結局、草刈は村井に承諾の返事をした。それでも彼は納得しないようで、啓太に食ってかかった。
「いいか、今度のような場合は、必ず事前に俺に知らせろ。お前の行動は軽はずみだ!」
「すみません」
啓太は謝るしかなかったが、この辺から草刈との関係が“ぎくしゃく”してきたらしい。猫の手も借りたいぐらい忙しい現場だから、草刈が怒ったのは当然だったろう。
10大ニュース班に入ると、けっこう仕事が忙しかった。啓太は警視庁のクラブが気にはなっていたが、業務命令だから仕方がない。来る日も来る日もその年のニュース素材をチェックしたり、フィルム編集に立ち合ったりした。
この年(1967年)から10大ニュースはキャスターが取り仕切るスタジオ番組となったが、総合ディレクターの花井久は張り切って、その年に活躍した各界の代表的な100人をスタジオに呼ぶ企画を実行した。花井はさらに張り切って、当時人気ナンバーワンの競走馬・スピードシンボリをスタジオに招こうとしたが、これは“安全対策”がどうしても無理だということで実現しなかった。
このため啓太らスタッフは、出演交渉でも忙しくなり仕事に没頭せざるを得なかった。そうこうするうちに、吉田茂元首相が10月20日に89歳で急逝したため報道全体が忙しくなった。というのは、当時の首相・佐藤栄作が吉田の葬儀を戦後初めて「国葬」で行なうことを決めたからだ。
佐藤にとって吉田は無二の“恩師”であり、政界入りしてからあらゆる面で世話になっていた。特に1954年の「造船疑獄」の際は収賄容疑で逮捕寸前になった佐藤(当時の自由党幹事長)が、吉田内閣の犬養健法相の指揮権発動によって逮捕を免れるという事態が起き世論は沸騰した。しかし、佐藤はこれによって政治生命を保ち、やがて首相にまで上り詰めたのである。
だから、佐藤が吉田元首相の国葬を決めたのは当然だろうが、戦後初の出来事とあってマスコミ関係者はいずれも忙しくなった。10月31日、国葬は日本武道館で厳粛に営まれ、啓太はその模様をニュースで伝えるため武道館に行った。
葬儀は無事に終わったが、ただ一つ、公明党の竹入義勝委員長が名前を呼ばれず弔意を表わせなかったハプニングが起き、公明党はあとで主催者側に厳重に抗議したが、啓太はそういうことも含め詳しく原稿に書いた。
一方、FUJIテレビはその日、民放では初めて特番の全てのCMを除外し、故吉田茂氏に哀悼の意を捧げた。これは放送界に大きな反響を呼んだのだ。
こうして吉田茂の国葬は終わったが、啓太が局に戻ると、久しぶりに同期の坂井則夫が声をかけてきた。
「啓ちゃん、相変わらず元気そうだね」
「いや、10大ニュースもあるし、警視庁には戻れないし忙しいよ」
啓太がそう答えると、坂井が笑いながら言った。
「少しは暇があるんじゃないの? たまには新宿で飲もうよ」
「ああ、いいね。一段落したら新宿へ行こう」
そして数日後、啓太と坂井は歌舞伎町の居酒屋で落ち合い、2人は沖縄旅行以来の酒盃を交わしたのである。
11月になると10大ニュースの準備があわただしくなったが、啓太は警視庁クラブの泊まり勤務を外れるわけにはいかなかった。人手が足りないので、泊まり勤務には司法記者クラブの森永徹郎も応援に入っていたのだ。
ある日の夕方、啓太が泊まりで警視庁へ行くと、草刈が睨みつけるような目つきをして言った。
「森永君は裁判が忙しいので、来週の泊まりは無理だと言っている。今週だけでなく、来週も泊まってくれないか」
キャップに言われれば、できないとは言えない。啓太はすぐに承諾した。
「過激派の学生たちの騒ぎが大きくなってるんだよな。もうすぐ佐藤(首相)訪米阻止のデモが予定されているが、何が起きるか分からない。先月も羽田で学生が1人死んだんだ。君にもぜひ取材して欲しいと思ってるんだが・・・残念だな」
草刈はボヤくようにそう言った。当時は前月(10月)8日の第一次羽田事件によって、新左翼の過激派学生の武装闘争が大きくクローズアップされた時期だ。そして、過激派学生は11月12日に、佐藤首相の訪米を阻止しようと大規模な闘争を計画していた。(参考→ 新左翼過激派の羽田闘争・https://www.youtube.com/watch?v=YaqLdp7YI9A)
12日は森永の泊まりの番だが、彼は司法記者クラブの仕事が忙しく無理だと言ってきたのだ。啓太は泊まり勤務を承諾したものの、草刈がまた言ってきた。
「10大ニュースの方はそんなに忙しいのか?」
「もちろんですよ。100人の出演者を確保しなければならないですからね。その交渉も大変なんです」
「ふん、100人なんてオーバーなことをするね」
草刈の皮肉に啓太は少しムッとしたが、その場は黙って聞き流した。ところが、その日は草刈が機嫌が悪かったのか、妙に啓太に絡んでくるのだった。
「君は組合を一方的に辞めたんだって? 石浜部長にゴマをすったのか・・・いわば“裏切り行為”だな」
「いや、僕はFUJIの報道のことを考え、信念に従って組合を辞めたのです!」
啓太は堪りかねて大声で反論した。
「ふん、今じゃ何とでも言えるさ。ところで、人の話では君は“ジャマ本”と言われていたそうだな。山本でなくジャマ本か・・・はっはっはっはっは」
これには啓太も返す言葉がなかった。たしかに一時期、内勤のデスクたちから、不器用な立ち居振る舞いを皮肉られ、啓太はそう呼ばれていたことがあった。それを今ごろ、草刈が持ち出すとは・・・
「じゃあ、今夜の泊まりを頼むぞ」
草刈は素っ気なくそう言うと部屋から出ていった。彼の口汚い悪態に啓太は不愉快になったが、相手は記者クラブのキャップだ。ここはぐっとこらえ我慢しなければならない。啓太は気を取り直して、泊まり勤務についた。
その晩は大きな事件や事故、火事などの発生はなかった。広報の発表では荒川区で窃盗犯が警察に逮捕されたということぐらいで、比較的穏やかな泊まり勤務になった。ただ、前にも述べたように、FUJIテレビとNIPPONテレビ、NETテレビの3社は交代で泊まりをしていたため、何かあると他の2局にも連絡をしなければならない。
それが少し面倒だが、人手が足りないから仕方がないのだ。あとで述べるが、この3社は翌年の夏、TOKYO放送のように自前で泊まり勤務をするようになり、順番に交代する泊まりはなくなった。局側も取材態勢を強化する必要に迫られたからだろう。
荒川区での窃盗犯逮捕は、ローカルニュースの最後に短く放送した程度だ。この窃盗犯が常習犯で“顔写真”が配られたから放送したのだろう。啓太は局に電話で送稿したあと、山になった新聞の切り抜きを始めた。これには1時間ほどかかったが、そのあとはテレビを見たり週刊誌を読んだりして時を過ごした。
テレビと言ってもブースの中のものはポータブルで、ニュース記者会の部屋には大型のテレビが置かれている。それを、啓太より1年若いTOKYO放送の井上一馬記者と一緒に見たりしていた。クラブにはこの2人だけだが、夜遅くなると必ず中年の“おばさん”が大きな風呂敷包みをかついでやって来る。
その中にはラーメンやパン、おにぎりなどが入っているのだが、それを泊まり勤務の者が買って食べるのだ。いわば、簡単な夜食である。
「おばさん、ラーメンをつくってよ」と頼むと、時間に余裕がある時は彼女が包装紙からラーメンを取り出し、鍋でお湯を沸かしつくってくれることもある。おばさんが帰ると、部屋の中はまた泊まりの2人だけになった。
その晩は広報がもう一度来たぐらいで、大したことは起きなかった。啓太はソファーで仮眠を取りながら朝を迎えたが、やがて9時半ごろになって蒲田二郎が姿を現わした。
「どう? 何も起きなかった?」
蒲田が聞くので、啓太は昨夜の荒川での窃盗犯逮捕のことだけを報告した。
「君はこれから局に戻るの?」
「ええ、また10大ニュースの仕事です」
2人が雑談を交わしていると、草刈と松本が相次いで出勤してきた。草刈は啓太にほとんど目もくれないで、先週起きた練馬の強盗殺人事件について蒲田に話しかけた。
「二郎君、練馬の“殺し”はまだホシ(犯人のこと)が挙がらないのかな~?」
「ええ、まだですね。けっこう時間がかかるかも・・・」
2人は練馬の殺人について話していたが、草刈は“殺しの草刈”と呼ばれるほど殺人事件に興味を持っているのだ。啓太は泊まり勤務の報告を簡単に済ますと、足早にその場を去った。草刈にまた嫌なことを言われたくない気持もあったのだ。そして、呼んでおいた東京無線のタクシーに乗り込むと、FUJIテレビへと向かった。
その日は泊り明けだったが、啓太は夕方まで「10大ニュース班」で仕事をして帰宅した。常駐のメンバーは3~4人だが、啓太のように“助っ人”で来るのが何人かいる。彼らはいわば非常勤だが、放送が1ヶ月あまり後に迫ってくると勤務時間が次第に長くなってきた。
総合ディレクターは前にも述べた花井久だが、初めて「100人」のゲストを迎えて放送するとあって、大いに張り切っていた。すでに50人ぐらいのゲストは内定し“アポ”を取っていたが、残りの半数はニュースバリューなどによってまだ未定である。
政治家や財界人、芸能人やスポーツ選手のアポはわりと簡単に取れるが、大きな事件や事故などに関わった“一般人”の場合はそんなに容易ではない。テレビに出るのが嫌だとか、関係者への配慮や遠慮などがあるからだ。
啓太の場合は有名人へのコンタクトが主だったので、比較的 楽に交渉ができた。日本水泳連盟役員の古橋廣之進、建築家の丹下健三、サッカー選手の釜本邦茂らのアポは簡単に取れた。いずれもその年は活躍が目立った人たちである。
そのうち、花井がびっくりするような注文を出してきた。
「全学連の委員長らもゲストに呼ぼう。きっと“話題”になるぞ!」
「ちょっと待ってくださいよ。全学連と言ったって、日共系を入れて3つありますよ。いま問題になっているのは、反日共系の三派全学連と革マル全学連ですが・・・」
啓太が問い返すと、花井がすぐに答えた。
「面白いのは反日共系だな。とにかく当たってみてくれ。あ、そうそう、作家の瀬戸内晴美も面白いな。週刊誌によると彼女は“出家”するとかなんとか言ってるそうだ。とにかく当たってみてくれ」
張り切るのはいいが、花井は言いたいことを言うとさっさと自分の席に戻った。こんな調子で、彼は部下にどんどん注文を出す・・・ 総合ディレクターはいいな、命令だけしておいて交渉するのはわれわれだ。啓太は苦笑いを浮かべ、さてどうするかと考えた。
反日共系の全学連は、今月も過激な闘争を準備している。その結果や情勢を見ないと、安易に出演交渉をするのは早過ぎるのではないか・・・ 三派全学連の秋山勝行委員長も、革マル全学連の成岡庸治委員長も共に面白いキャラクターのようだ。しかし、秋山は逮捕されたりしているからもう少し様子を見よう。
それより、瀬戸内晴美(のちの寂聴)の方を早く当たってみるべきではないか。自分は彼女の小説を何も読んでいないが、流行作家のようで名前だけは知っている。そう考えて、啓太はとりあえず大阪のKANSAIテレビに連絡し、瀬戸内の居場所を確かめることにした。KANSAIテレビはFUJIテレビの系列局だからだ。
地元局の調べで、瀬戸内が大阪の○○寺にいることが分かった。啓太がそこに電話をかけると、ほどなくして彼女が電話口に出てきた。
「はい、瀬戸内です」
「もしもし、東京のFUJIテレビですが・・・」
啓太は少しどぎまぎしながら話しかけた。
名前を言って10大ニュースの趣旨を述べ、今年話題になった100人のゲストをスタジオに招くので、ぜひ出演していただきたいと啓太は熱心に説明した。
これに対し瀬戸内はしばらく黙っていたが、おおむね次のように答えた。
「私はいま修行中の身なのです。せっかくのご要望ですが、テレビ出演はできません。どうか悪しからずご了承ください」
「そこを何とかできませんか?」
啓太は繰り返し瀬戸内の出演をお願いしたが、その返事は変わらなかった。啓太の要望はしつこかったようだが、彼女は終始“修行中”だという理由を丁寧に語ったのである。やがて啓太は諦めた。何度も説得した非礼を詫び、電話を切ったのである。
こうして瀬戸内への出演交渉は失敗に終わったが、啓太はなぜか清々しい気分に浸った。やるだけのことはやったのだ。恋人を“初めて”デートに誘ったのに断られたような気分・・・ そんな想いを胸に秘めて、彼はKANSAIテレビの窓口になった人に謝意を伝え、花井にも結果を報告した。
花井は「ふん、そうか」といった顔つきで聞いていたが、特に何も言わなかった。啓太はすぐに次の出演交渉に移ったのである。
11月12日、また警視庁の泊まり勤務の番がやってきた。これは森永と交代した臨時の泊まりだが、その日は佐藤首相訪米阻止の全学連過激派のデモが予定されていた。啓太は少し早めにクラブへ行くと、蒲田と松本は取材で羽田空港方面へ出かけていた。
「今日も三派全学連は激しいな、機動隊も大変だよ。しかし、空港への突入は阻止したようだ」
テレビ中継を見ながら、草刈が聞かれるまでもなく説明する。彼は事件・事故となると血が騒ぐようだ。啓太もテレビ画面に見入っていたが、学生たちの行動は明らかにこれまでのものと違っていた。前月8日の第1次羽田闘争以来、彼らは“ゲバ棒”とヘルメットに身を固め、投石を繰り返したりして機動隊と再三にわたって衝突した。(再び参考→ 新左翼過激派の闘争・https://www.youtube.com/watch?v=YaqLdp7YI9A)
この過激な行動に機動隊の方も急きょ、ジュラルミン製の大型の楯を用意するなど防備を強化した。また、この日も放水のほかに催涙ガス弾を発射してデモ隊を駆逐するなど、双方の攻防戦は一挙にエスカレートしたのである。
啓太はこの状況を見ながら、新左翼の闘争は今後さらに過熱していくだろうと思った。事実、彼らは1970年の、つまり「70年安保闘争」を声高に叫ぶようになったからだ。こうした騒々しい雰囲気の中で、啓太はその日の泊まり勤務についた。
(14)草刈キャップとのトラブル
12月に入ると、10大ニュースの追い込みでますます忙しくなった。特に大変だったのが「国際ニュース」の扱いだ。啓太は外国の動きをほとんどフォローしていなかったから、外信班の人たちにあれこれ聞きながらフィルム編集や原稿書きに精を出した。
この年は、国内的には驚くようなニュースは少なかったが、国際的にはベトナム戦争の激化や中東戦争の勃発、中国・文化大革命の進展など大きな動きが目白押しだった。それらをまとめるのに啓太は手間取った。視聴者はだいたい国内の動きに関心を持つが、1年のまとめとなると、国際的なニュースを放っておくわけにはいかないのだ。
一方、100人のゲストを迎える企画では、なんとか90人以上のアポを取ったが、瀬戸内晴美をはじめ三派全学連の秋山委員長らの出演は駄目になった。ただし、革マル全学連の成岡委員長は出演を承諾したため、このコーナーでは異彩を放つことになった。自分らの学生運動を宣伝したかったのだろう。
こうして12月下旬の某日夜、10大ニュースの番組が生放送されることになった。スタジオには次から次にゲストが入ってくる。啓太たち数人はその対応に追われ、総合ディレクターの花井が何やら大声を上げて番組スタッフに指示を出していた。
各界の著名人がいるので局の上層部も挨拶に来ていたが、やがてオンエアの時間になり、始めは内外のニュース報道からスタートした。メインキャスターは当時フリーになったばかりのH氏である。彼の司会によって次々にゲストが発言を求められた。途中でまた10大ニュースのまとめが入り、そのつど関係者が話をしていったのである。
こうして2時間の放送はまたたく間に終わり、ゲストらがスタジオを後にしていった。ところが、車両の窓口は大人数のため大混雑になった。政治家や財界人は自分たちの車ですぐに帰ったが、その他の人たちはハイヤーだけでは足りず、東京無線などのタクシーで引き上げてもらったのである。
番組が全て終了すると、10大ニュースのスタッフは局の近くでささやかな“打ち上げ”のパーティーを開いた。花井が締めの挨拶をしてお互いの苦労をねぎらったあとビールやワインで乾杯したが、啓太はけっこう飲んでいい気分になった。
「花井さん、名馬スピードシンボリを呼べなかったのは残念でしたね」
「いや、今度は必ず呼んでやるよ。いくらでもチャンスはあるんだ!」
番組が無事終了したことで、花井も上機嫌になっていた。その晩は数人のスタッフと共に歌舞伎町へ出て、啓太は夜遅くまで飲んだのである。
ところが翌日、啓太が久しぶりに警視庁クラブへ行くと、キャップの草刈が険しい表情で待ち構えていた。
「山本、お前はもう警視庁に来なくていいよ。デスクに言って早く辞めてしまえ!」
「どういうことですか? 僕は辞めるなんて考えていませんよ」
「ふん、馬鹿、クズ! とっとと辞めてしまえ!」
草刈は激しい口調で叫んだ。
キャップの“暴言”に啓太はしばらく返事ができなかったが、みるみるうちに怒りが込み上げてきた。
「馬鹿とかクズはないでしょう、ひどすぎますよ」
「いや、いいんだ。お前には本当のことを言ってる。10大ニュースばかりやっていて、警視庁のことはどうでもいいんだろ。少しは反省しろ!」
「10大ニュースは業務命令ですよ。きちんと泊まり勤務もやってるじゃないですか」
啓太と草刈が言い争っているうちに、松本と蒲田が相次いで出勤してきた。2人はすぐに喧嘩だと分かり、狭いブースの中は気まずい雰囲気になった。啓太は松本か蒲田が喧嘩の仲裁に入ってくれるかなと思ったが、2人には一向にその気配が見られない。
すると、草刈がまた啓太を睨みつけながら言い放った。
「山本、お前は今日は帰っていいよ。少し頭を冷やして考えてみろ!」
この言葉に啓太は逆上した。頭を冷やすべきなのは草刈の方ではないか! 啓太が来るなり、数々の暴言を吐いて“新米記者”を侮辱したのだ。啓太はこらえきれずに叫んだ。
「草刈さん、僕はこれから局に上がって今日のことをデスクに言いますよ! いいですか」
「ああ、勝手にしろ! お前が正しいか俺が間違っていないか、デスクはよくご存知のはずだ!」
売り言葉に買い言葉で2人は決裂した。啓太はぷいとそっぽを向くと松本たちにも挨拶をせず、足早に記者クラブの外へ出ていった。「ニュース記者会」の部屋は狭いので、2人のやり取りは他社の記者たちも耳にしたようである。
啓太はその足で局へ向かったが、さすがに気がとがめることもあり、途中で公衆電話から村井デスクに連絡した。簡単に事実経過を説明すると、村井は次のように言った。
「分かった。昼は忙しいから夕方のニュースが終わったら、社へ上がってこい。草刈にも社へ上がってくるように言っておく。その時に、高山デスクも交えてじっくりと話し合おう」
啓太はもちろん承諾し、しばらく四谷(よつや)界隈で時間を過ごすことにした。この辺はよく“寄り道”をしたことがあるので地理に詳しい。啓太はある喫茶店に立ち寄ると、座席に深々と座りコーヒーを注文した。
すると、脳裏に怒りに満ちた草刈の顔が浮かんできたのである。
あのキャップの下では、とても働く気になれない。警視庁の記者クラブを辞めよう。すると、また内勤に戻るのか・・・ それでもいい。デスクにはっきりと言って、決めてもらおう。啓太は取り留めのない物思いにふけった。店内に流れるクラシックの音色だけが、彼の心を癒やしてくれるようだ。
どのくらいそこにいただろうか・・・ やっと席を立つと、啓太は喫茶店を出て近くの中華料理屋に立ち寄り、ラーメンを食べてからその辺を散策した。四谷三丁目や荒木町付近はよく来たことがある。師走も押し迫っているせいか、なんとなく慌ただしい雰囲気だ。
この日は風が冷たく、歩いていても寒々としてくる。デスクに言われた時刻はまだかなり先だが、啓太は早めに社へ上がることにした。そして、そのままFUJIテレビへ行くと最もくつろげる“社員コーナー”に立ち寄り、さらに10大ニュースの部屋にも顔を出した。
「やあ、山本君、ご苦労だったな。おかげで10大ニュースは評判が良かったよ」
花井ディレクターが啓太を見かけるなり、声をかけてきた。しばらく花井と雑談を交わしていたが、夕方のニュースを見終わると、啓太は村井デスクの元へ向かったのである。
「すいません、いろいろご迷惑をかけます」
「君は辞めるべきじゃないよ。草刈が来たらきっちりと話し合おう」
啓太が謝ると、村井が皮肉っぽい笑みを浮かべて答えた。やがて高山デスクがその席に加わった。
「重(しげ)さん、草刈は相変わらずだな~。昔とまったく変わっていないよ」
重さんとは高山重男の愛称で、村井が彼に話しかける。
「う~ん、そうですね・・・」
口数の少ない高山は仕方なさそうにつぶやいた。彼は草刈のことを買っていて、警視庁キャップに草刈を推薦したほどだったが、この日は少し様子が違うようだ。やがて、10分ぐらいして草刈が姿を現わした。彼の態度はだいぶ神妙そうに見え、うつむき加減に席に座ると軽く会釈した。
「話はだいたい山本君から聞いたが、もう一度話してもらおう」
村井が促すので、啓太は草刈から暴言を浴びせられた経緯などを改めて説明し、最後にこう述べた。
「こういう状況ですから、僕はもう警視庁クラブにはおれません。辞めるしかないと思います」
啓太の決然とした言葉を受けて、村井が草刈に尋ねた。
「君はどう思っているのかね? 誰だって馬鹿とかクズと言われりゃ、辞めたくなるだろう。草刈、君は一体どう思っているんだ?」
その問いかけに、草刈はうつむいたまま答えなかった。村井はさらに言った。
「さっきも“重さん”と話していたが、君は昔と変わらないね。正直なのはいいが、喜怒哀楽を表に出しすぎるよ。それは時にはいいが、人を傷つけることがある。まして、君はいま警視庁のキャップだろう。部下が何人もいるのだから、その辺を十分に気をつけるべきだ。分かったか」
デスクの言葉に、草刈は依然として黙ったままだ。しかし、かなり堪(こた)えたようで、辺りをキョロキョロと見回して落ち着かない。これは彼の“癖”だが、追い詰められるとそうなるのだ。
「重さんはどう思う?」
村井が高山に問いかけた。
「キャップだから、やはり注意しないとね・・・」
高山が重い口を開く。しばらく沈黙が続いたが、草刈がようやく一言述べた。
「分かりました。以後、気をつけます」
「うむ」
彼の一言に村井も納得したのか、うなずいて話を啓太に振ってきた。
「草刈君も反省しているようだ。だから、君も警視庁クラブを辞めるとか何とか言わない方がいい。せっかくクラブに出たんだからな。そうだろう? これから記者としてしっかり仕事をし、キャップを支えていくべきだ。重さんも同じ考えだと思うよ」
「そうだね」
高山が同様にうなずいた。啓太はこのやり取りを聞いて、内心はホッと安堵したのである。もとより彼は、一線の記者として大いに働きたいのだ。デスクの意向を受けて、啓太ははっきりと答えた。
「分かりました。僕はまだ新米記者ですが、皆さんの足手まといにならないよう懸命に働きたいと思います。いろいろご迷惑をかけました」
この答えに両デスクとも満足したようだ。一方、草刈は自分だけが裁かれた形になり不機嫌そうだった。しかし、部下を口汚く侮辱したのは事実だから、反省せざるを得なかっただろう。
こうして、啓太と草刈のトラブルは一件落着となったが、以後、これを契機に2人の関係はかえって良好になっていったから、“雨降って地固まる”とはこういうことを言うのだろう。
ちょうどその時、部長会を終えた石浜が近くを通りかかり、啓太に気がついて声をかけてきた。
「おい、山本じゃないか。元気にやっているか?」
啓太が会釈して挨拶すると、石浜は立ちどまって聞いてきた。
「村井君、何かあったのか?」
「いえ、部長、何もないですから!」
村井は石浜が苦手なので、あわてて手を横に振って返事をした。石浜は笑いながら立ち去ったが、啓太は部長の“口出し”にも救われた感じがしたのである。