毎日が山のこと

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竹寺から子の権現そして飯能アルプスへ(2024年2月28日)

2024-03-03 09:13:50 | 奥武蔵・秩父の山

2月28日、一人で奥武蔵の竹寺、子の権現、飯能アルプスを歩いてきた。

いつものように週間天気予報をにらんでいると、強風大荒れの天気が続いたばかりだというのに木曜日以降また天気がくずれそうだ。

そんなことを口実にまた一人で山歩きというわけ。気が弱い私は、一人で計画することにはついつい口実や言い訳が必要になる。

朝の雑事をかたづけるため少し遅めの出発。歩き始めの名栗の小殿には電車とバスを乗り継いで10時10分の到着。名栗へのバスは久しぶりに乗ったが飯能から長いこと長いこと。

バスに乗っている間、いつもなら次第に期待感が膨らんでくるのに、この日はなんだか意気があがらない。昨夜のお酒も控えめにしておいたのに、朝血圧を測ると上が160もあったのだ。同期の友人がついこの間脳出血で倒れたばかり。なんとなく気にかかる。まっ、歩いてみて気分がよくならないようなら中止して引き返すだけだと思い定めた。

 

小殿でバスを降りる。乗っていた客はそれまでに全部おりていたので、私が最後。この先はお客なしで走ることになる。

バス停の前には閉鎖された公衆トイレと道路の向かいに昭和初期の役場風木造建物が建っていた。

 

少し名郷の方向へ歩くと竹寺への案内があり、登山道がはじまる。

朝が遅かったのでもう10時15分をまわっている。

 

いきなりの急登だ。足元はたくさんの杉の小枝で埋め尽くされている。先日の強風のせいだろう。急坂をゆっくりと登る。

歩き始めても特に気分が悪くなることもない。血圧160という結果が気を重くしていたらしい。

 

しばらく登ると高圧送電線の鉄塔があった。あたりの木が切られていて視界が開ける。

 

名栗川の谷が見渡せ、雪で白くなった奥多摩の山や向かいの山の上の白い観音像が見えた。

 

植えてある木が杉からヒノキへと変わった。ヒノキは粘り気があるので杉のように小枝を落とさないものだが、そのヒノキの小枝がかなり落ちている。これも先日の強風のせいだろうと思いながら歩いた。

 

送電鉄塔のあとは尾根にそった急登が続くが途中からトラバース気味になって傾斜が少しゆるくなり、やがて峠に到着した。ここからは竹寺へと下りとなる。

 

ふとみると尾根にそった道に小さな木の案内板があって、竹寺の鐘楼があると教えてくれていて、しかも「おすすめコース」と書いてあった。せっかくなのでそちらにまわってみることにした。

 

登りつめた小さなピークに鐘楼があった。小殿を出発して小一時間だ。

 

鐘楼のまわりは思ったより広くて、しかも関東平野や奥多摩の山々の大展望が開けていた。これは「おすすめ」の名に恥じないところだ。

しかも鐘は自由につかせてくれる。

 

鐘楼の下も少し広くなっていて神社の祠があった。そしてそこから竹寺までの道もよく整備されていて歩きやすかった。

 

竹寺には初めて来たのだが、山奥にしては広い敷地に建物が点々と建っていて、名のもとになった竹林とともに梅などの花木もたくさん植えてある。

なかなか風情のあるいいところだ。予約すれば精進料理も味わえるらしい。

 

峠を越えて入口とは反対側から入ったので、まず牛頭天王本殿という建物があり、わきの広場の奥にはトイレもある。

牛頭天王はインド発祥の神様で仏教の守護神として日本に伝来したようだ。

 

これが牛頭天王。牛の頭をした神様。インドにはいろんな神様がいるね。

 

本殿殿の前の階段をおりた鳥居には茅の輪がしつらえてあった。

 

そこから右手に紅梅などが咲いた敷地を見下ろしながら坂道を下っていくとめずらしい竹の鳥居があって竹寺の本殿がある。

正式には医王山薬壽院八王寺というらしい。

 

どこからか高い済んだ音が聞こえてくると思ったら竹林の入り口に風鈴がたくさん吊るしてあって風にゆれていた。人の姿はなく静かなものだ。

 

竹寺はなかなかいいところだ。これからの季節は特にいいと思う。

しかし交通が不便で、バスは朝の一便のみ。終点のバス停から40分歩かなくてはならない。元気な人はやはり名栗の小殿から山越えでということになるだろう。

写真を何枚か撮った後、牛頭天王のわきの東屋でおにぎりを一つ食べ、11時35分、子の権現へのハイキングコースにむかった。

 

竹寺からはしばらくトラバースの良い道が続く。次第に高度をあげて尾根にたどりつくと今度は尾根の西側をトラバースしていく。

 

豆口峠についた。ヒノキ林のなかの静かな峠。神送りの行事を紹介した絵看板がたっていた。

峠は村境でもあるので、悪疫などが村に入り込まないようここでいろいろな祭りごとをおこなったらしい。

 

豆口峠をすぎると道は尾根の上をたどる道となりアップダウンをくりかえす。景色が単調なのでやや退屈。

道が北向きから東向きに変わって子の権現が近づいた。

 

山を回り込むようにすすむと鳥居が目にはいった。この上が愛宕山らしい。でもそちらには寄らずに子の権現をめざす。

 

ほんの少しで林道があらわれ、そこに女性のグループが休憩していた。

南東方向に展望が広がり、足元にはフクジュソウが咲いていた。

 

子の権現の人が手入れしているらしく、人が踏みつけないように小さな木の棒がさしてあった。

 

子の権現へは裏口からはいる感じになる。奥は人が住むところらしく、登山道は建物の外周を回り込むようにしてお寺の敷地に入っていった。

ここには正月にグループで来たので2か月ぶり。展望台でもある奥の鐘楼に登る。

新春ハイキングは子の権現へ(2024年1月5日) - 毎日が山のこと (goo.ne.jp)

 

正月の時は見えなかった東京のスカイツリー(写真左奥)や高層ビル群も今日は良く見えていた。

 

だれもいなくなったので鐘楼の石積みに腰を下ろして昼食とした。途中、おなかがすいたのでおにぎりを食べていたのでここではカップラーメンを食べ、その後残ったお湯でコーヒーを入れた。

食事がすんだころ、先ほどの女性グループがあがってきたのでこちらは退散することにした。

13時15分、子の権現を出発。

 

正月の時はここから関東ふれあいの道を歩いて吾野駅へとむかったが、今日は飯能アルプスと呼ばれるようになった尾根道をたどる。

小殿から子の権現までと同じくらいの距離を歩くことになる。それとハイキング地図では、赤の破線で表示されているので道の悪いところがあるのかもしれない。

駐車場の下のカーブの外を覗いてみたら、しっかりした道があり、小さく「飯能アルプス」の看板もあった。

 

歩きはじめると道はなかなかいいではないか。小さなピークは巻いていくので助かる。

15分ほどでスルギというところに出た。すぐ下に岩がある。スルギの意味はわからない。

 

中間あたりから少し尾根がやせてきて細かなアップダウンの繰り返しとなった。

 

子の権現と吾野への下り口前坂とのちょうど中間あたり。稜線を南にそれたところに堂平山という山があるようだ。

 

リョウブという木に大きなコブができていた。

 

 

522mの三等三角点に到着。14時21分だ。少し疲れた。

 

下に大きな石灰採石場がみえる。このあたりから岩まじりとなり、下りはロープがはられた急斜面のところもあった。

 

お地蔵様があった。採石場が尾根の近くまで迫ってきていて、「発破注意」などの看板もあった。

 

行く手に林道が見えてきた。そして14時40分尾根をまたぐ舗装の道に飛び出した。

 

地図を確認すると100mほどその道を歩いてからふたたび山道にはいる。

そこからのわずから登りが疲れた足に響いて足がつりそうになった。

足をだましだまし登り、平になってやっと足がもとに戻った。

ちょっと広い尾根に出てふたたび下ったところが吾野への分岐点、前坂だった。

ここで電車の時刻を確認すると3時15分のあとは55分までない。

ここからは昨年末に天覚山まで歩いたとき通っているのでのんびりとくだった。

便の良いところで年末山行?吾野の天覚山へ - 毎日が山のこと (goo.ne.jp)

 

今回は少し距離を欲張ったコース取りなので疲れた。

駅前の店でビールを買うか迷ったがぐっとこらえて帰路についた。

 

 


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