毎日が山のこと

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初登りは日和田山、初もうでは高麗神社(2025年1月5日)

2025-01-06 07:59:51 | 奥武蔵・秩父の山

2025年の初登りは、奥武蔵入り口の日和田山だ。

ついでに聖天院と高麗神社に初もうでという企画。

地元の高齢者?グループでのハイキングだ。

 

高麗川駅から飯能行きのバスで巾着田で下車。

そこから高麗神社への道を少し歩いたところが登山口への入り口。

 

ここが登山口。10時10分。

入り口周辺は日高市がふるさとの森として整備しており、公衆トイレもある。

 

登り始めればすぐにながめが広がる。

前後には学校入学前の幼いこともを連れた家族の姿も。

 

今日は日和田山だけなので急ぐ必要は全然ない。のんびり歩く。

ここが一の鳥居。

ここから男坂と女坂に分かれるが、すでに男だ女だという年はとっくに過ぎている私たちはすなおに女坂へ。

 

こちらの道は幅もたっぷりあって歩きやすい。

 

ただ一か所だけこの山をつくっているチャートと呼ばれる固い岩が露出しているところを登るが、ごらんのようにしっかりした手すりが設置されている。

 

その先は水平に近い歩きやすい巻道になっている。

 

その先が大展望の金比羅神社の岩場だ。

ゆっくり歩いてきたけど登山口から25分で到着。

 

そこからは真下に巾着田が見下ろせる。

 

同じく金比羅さんの岩場から富士山。

なんとか見えるように調整したので周りの山が黒くなってしまっている。

 

これが岩場にある金比羅神社。

このブログでなんども書いているけど、山の尾根の先端部には金比羅山が祀られていることが多い。

 

神社の裏はチャートの岩場だ。

 

途中、物見山への道をわけてもうひと登りするとそこが日和田山山頂。

 

登山口から35分で山頂に到着。

立派な宝篋印塔が建っている。なかなか立派な塔だ。

享保10年の建立と銘が刻んであった。

 

山頂から日高市方向のながめ。奥は北関東になる。

 

こちらは東京の方向。かすかにビル群のシルエットが浮かぶように調整してみた。

かなり無理している(汗)

 

こちらは山頂から少しくだった奥多摩方向がよくみえるところ。

山頂は混んでいたので、ここで昼食休憩。

この写真の左に大岳山と御前山が見えており、この写真は雲取山の方向になるはずだが、そうもどれがどれだかよくわからない。

川苔山は? 鷹ノ巣山は? まだ地図で確認していないが、よく調べないとわからん。

 

その大岳山と御前山をバックに。

 

11時55分、登山口に近い一の鳥居に戻ってきた。

 

下山後は、旧高麗郡清流の里を歩いて聖天院と高麗神社へとむかう。

 

お地蔵さんがあちこちにある。

 

新春らしくボケの花。

 

こちらも道沿いにたつお地蔵さん。

 

こちらが高麗王若光ゆかりの聖天院山門。

高麗王若光の子どもたちが父親のために寺を開いたと伝えられている。

 

聖天院山門前に建つ天下大将軍の石柱。

 

山門の中にある仁王、阿形像。

 

同じく吽形像。

 

聖天院からのながめ。

 

境内のロウバイが数輪だけほころんでいた。

 

聖天院本堂と鐘楼。

 

さて、次は高麗神社へむかう。

歩いている道と並行している車道は、初もうでのくるまで渋滞していた。

 

ついてみると案の定、ごらんのような人混み。

 

社殿のまえには参拝の長い行列。

遠くからすませてご勘弁願って裏手にある高麗家住宅にいってみたが、なんとここも駐車場になっていたので退散。

高麗神社をあとに高麗川にかかる出世橋をわたって高麗川駅へと帰った。

 

これは昔きたときには牛舎がならんで牛を飼っていたところ。

今はやめてしまって、かわりにオリーブの木が植えてあった。

出世橋のところには高麗川駅まで15分と書いてあったが、無理。

私たちの足で20分あまり、午後1時42分に高麗川駅に到着した。

 

 

 

 


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