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郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの史跡あるき:京極氏の館跡

2011-12-05 09:49:54 | 城址

    京極氏の遺跡群を訪ねて
   
=弥高寺跡、上平寺跡、館跡=
                    この日記の掲載期間:12月23日ー12月29日

地元町起しの皆様、県の研究員さんのご案内で
滋賀県教育委員会文化財保護課
は年間に何回も標題のような
テーマで郷土史に触れる機会を作ってくださいます。企画によって
は地元自治体の、例えば市の文化財保護部門の研究者や今回の
ように地元の活性化に活躍される方々が案内や、
弥高寺跡では
弥高集落の皆様が豚汁
振舞ってくださいました。 寒い日でして
尚のこと、感謝感激でした。

  
   豚汁を準備中の弥高集落の皆様     当日はのろし駅伝の日でした

今回の見学場所は伊吹山の尾根続きにある弥高寺跡から京極氏の館
までの縦走、ジョイ
伊吹の近くからの登山です。 標高660mは伊吹山
の3合目に相当します。 この日は約120名の方が受講されました。


    上平寺城跡:主郭跡周囲の土塁(防御用土手)に立つ参加者

京極氏といえば?、初さんが嫁いだ高次家
浅井三姉妹の真ん中お初さんが嫁いだあの京極高次家で、関ヶ原
の戦いでは急転換、東軍に付きその軍功で若狭小浜藩主として高次
は波乱万丈の京極氏を江戸時代へと繋いでいきます。

 
     660mの登山開始                弥高寺の主郭跡

さらには、元々は浅井氏は京極氏の家臣であったが京極氏が家督
争いで求心力を落としその間に力を付けて下剋上、京極氏に代わり
北近江を支配します。
その浅井氏の庇護を受ける立場へと。元は
佐々木氏の分家。 ここまでは何とか大河ドラマと県、他のセミナで学
び乏しいながらも知識として・・・。 その知識で今度は現場実習の機会
を得ました。


        弥高寺跡の虎口(こぐち:通路が枡形・鍵形に折れる門)

その京極氏の拠点へ、でもそれはもう登山です
表題のお寺、城跡は標高が660mあります。滋賀県では小谷城、
観音寺城(安土)と並び高い山の上にあるお城の一つです。

先ずは弥高寺跡に到着
登山を開始して約1時間、よく整備された山道で道案内がないと
しても標識が完備、迷う事はありません。

  
      弥高寺跡の虎口、土塁、曲輪(くるわ:館があった場所)

地元、弥高集落の方のご奉仕で綺麗に刈り込まれ城跡がしっかり
と伺えます。これは上平寺城跡もまったく同じです。弥高寺はお寺
ではあるが京極家の内紛では山城として機能していたようだとの
ことです。

ついでながら、上平寺弥高寺と同様、伊吹山寺のお寺であり
上平寺は麓に再建して上平寺城はその跡地に京極氏が詰め城
として築いた城だそうです。

 
 石仏らしき物が今もあっちこっちに         鎌刃城跡ののろし

 この日は「琵琶湖一周のろし駅伝」の日でした。この弥高寺跡からも
のろしを上げ、そこから近くの鎌刃城跡(?)からののろしが見えました。

 ちょっと余談
弥高寺跡への登山の途中、こんな光景を。30mか、50m、鉄塔
の垂直の小さな梯子を登っての高所作業。お聞きすると最上部の
碍子を交換しているとか・・・。高所恐怖症の私には絶対に向かない
職業と・・・。見ているだけでゾーと。それだけにパチリと。

 
  この塔、いったい高さはどのくらい?      塔の先端に3、4人が・・・。

上平寺城跡

 
     
   上平寺城主郭跡               大きく高い土塁

このブログのトップにある上平寺城主郭跡の大きな写真をご参照
ください。このように地元、上平寺集落の方々が雑草、雑木を年中
きれいに刈り込んでお城跡を訪ねてこられた方が見やすいように
奉仕しておられます。これがなければ城跡とはほとんど分かりません。

京極氏館跡
こんどは下りです。やはり小一時間ほどかかります。うっそうとした
人里に近い山の麓、伊吹神社境内全域が京極氏の館跡で二つの
池と庭を伴っています。 見た感じではこの池と庭が館跡だったと
現在も残る素人にもわかる遺構です。


                  京極氏庭園跡
 
  
                           境内の外には堀の跡も

見学を終えて
今私が住む近江の野洲市は六角氏が支配した南近江です。そして
生まれ故郷の旧伊香郡西浅井町(現長浜市))は京極氏が支配の
北近江です。南近江の方にずーっと長く住んでおり六角氏の遺跡
は、例えば観音寺城跡や野洲市の小堤城跡などを見てきましたが、
今回の京極氏の遺跡に初めて接して、なるほど北の王だと京極氏
の存在の大きさ
を知る事ができました。共に信長の前に(北は浅井
氏に時代は変わってはいたが)屈してしまうことも戦国時代を生き抜
く戦いの象徴なのだと。

  参考資料: 「京極氏遺構群」 滋賀県教育委員会編
    この日記の掲載:主催者(滋賀県教育委員会、現地責任者)の了解を
             頂いております
   
お願い: この日記は私個人の記録が目的です。表現や解釈に短絡的な
        ところや間違いなども
多々あるかもしれませんがお許しください。           

   今日もご覧くださいましてありがとうございました           

                   ************

m                 歴史探訪の情報です     

             近江の姫たち
           (講演)

             主 催: 滋賀県教育委員会文化財保護課
      
日  時: 1月15日(日)、2012 13:30~16:30
     会 場: コラボしが 21(大津市打出浜2-1)
     
 問合せ: 電話:077-528-4674
            FAX:077-528-4956

                  姉川合戦と城郭
         (講義と横山城址見学)
             主 催: 
滋賀県教育委員会文化財保護課
      
日  時: 1月28日(土)、2012 13:30~16:30
     集  合: 13時15分 石田会館(長浜市石田町576)
          問合せ: 電話:0748-46-6144 
            FAX:0748-46-6145
      *ご参加の場合は事前に必ず主催者にご確認ください

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2 コメント

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なるほど (茲愉有人)
2011-12-24 00:02:25
城跡に見学者が立つと、その広がりや形、
土塁の高さなどが解りやすくなりますね。
無人の現地写真だけだと、平板になり草が茂っているだけに見えたりして・・・なるほど!参考になりました。

京極氏、京極高次について、ウィキペディアに項目がありますね。結構、詳しく書かれています。併せて参考になります。

戦国時代には、のろしをどのような方法であげていたのでしょうか。当日、弥高寺跡で、のろしの仮設設備を見ていて、ふとそんなことを考えていました。


返信する
現場報告写真に人物を! (kenny)
2011-12-24 07:38:12
その通りですね、なるほど。先生が山や建造物には何か規模がわかる物を入れよとご指導くださいます。今回は特に意識はしていなかったのですが、これからもそうします。城跡を歩いていますと、そうですね、2,3m径の、しかも深い(人間の胸くらい)穴をよく見かけます。のろし穴だと説明があります。どさーっとその穴に煙が出やすい杉の生枝、葉っぱなどを入れたんでしょうか?

いつもコメントありがとうございます。
返信する

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