趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

楽器が弾けたらなー

2011-03-14 19:34:47 | ギター

    何か楽器が弾けたら楽しいだろうなー
     
=ギタマンに憧れもしたあの時代=
   
     (この日記の掲載期間:4月1日ー4月7日)   

 
               ギター・ ウクレレ合同演奏

ギタマン?? それって?
昨年のこと、市が主催するカルチャー教室のちらしが目に入り、ちょっと
覗いて見ようかと入会しました。 そこで講師の田中靖ニ(たなかやすじ)
先生がギターをやってみようというきっかけを生徒全員に尋ねられました。

Kennyは 「いやー、40数年前にギタマンに憧れましてね・・」 そこまで
喋って周りの反応が気になります。 殆んどの皆さん「ぽかーん? 」 なん
です。すかさず先生が解説されます。懐かしい響きだが今はあまり頻繁
に耳に入ってこない
表現ですね、と。当時は古賀政男先生に代表される
あのギター・マンドリンクラブ全盛時代で、ギタマンクラブは最も人気の
音楽クラブ活動ではなかったかと思います。でもそのクラブには入って
いません。 ある文化クラブ内の余興でほんのちょこっと。 昔のこと・・・。

 
           先生からご指導を受ける仲間

今、自宅でちょっと息抜きが
内勤(これは写真仲間、三重のT爺さんとの共用語)時、つまり趣味を
求めて外にばっかり出るのではなく、家に籠もって撮った写真や広く
文化に親しむ時のことですが、手段のパソコンに疲れてリラックスした
い時にちょっと楽器が弾けるといいなーと、思っていました。それが今
実現。 ただし!

20歳代、単にかき鳴らしていた
ほんの短期間、習うこともなくベンチャーズの一員になったつもりで
ただめちゃめちゃちゃ玄を叩いていたでけです。ちょっと真面目に
やるかと、入社して直ぐにギターを買ったものの、物置入り・・・。

 
        機会ごとに先生のギター演奏を聴かせて頂けます

せっかくやからギターの基礎を教えていただこうと
半年続けばが、もう1年に。いわゆる弾き語りと言えばでいいのかな?
コード伴奏で歌う。例えば琵琶湖周航の歌、ふるさと等です。
田中先生
に教えていただき、やっぱり我流ではアカンと。 勿論本格的に
ギター
を勉強し
たいとなれば、これはこのような集団形式でのレッスンでは到底
無理ですが、孫が歌うお誕生日やクリスマスソングの伴奏なら受講の成果
から
正しい演奏姿勢で、かつ何とかお爺(男を)上げることが出来ますね。
ちっちー、すごい! か。  (爺々とかおじーちゃんとかは言わせない)

       
           40数年間埃りを被っていたKennyのギター

先生の模範演奏を録画して自宅でも練習を

 
              TVに映して演奏を聴く、真似る
期の変り目は一ヶ月程レッスンがありません。そういう場合は自宅でも
先生の演奏を視聴して自習が出来るようにご配慮くださいます。

これもいつかはやっておこうの興味・挑戦でした
何を間違っても仲間の前で弾いたりは致しませんが、自宅で楽しむ文系
の趣味の一つとしてこれからも取り組んで行きたいと思います。私のギター
に、40年間お待たせしましたと言っております。また元生徒で今は先生
の個人レッスンで、本格的に習っておられる長年お合いのTさんと合奏が

出来ればと・・・。 断られるかな?

 田中靖ニ先生との出会い
元々音楽大好き人間で自宅にいる時はNHKFMかCDから終日何か
が流れています。コンサートにもよく足を運びます。もう4年ほど前に
栗東さきらホールで先生のコンサートを聴かせて戴き、以来おっかけに
という具合です。先生のご指導は、易しく解説、無理をしない、楽しんで
練習する。その内だんだん、ああ、先ずは楽器って高望みしなければ
簡単に弾ける、いや、一応音は出るんやーと思うようになります。そして
しっかりは読めないんだけれど楽譜を見ていっぱし弾いているんですね。

  
              先生のCD

田中靖ニ先生の横顔
愉快な明るい、少なくとも私よりはお若いはつらつ先生です。
グルメであることは先生のHP,ブログで一目瞭然。レッスン終了後
近くでイタメシ(が多いですね)を一緒に。圧倒的に女性が多いので、
レストラン予約や選択はお任せでOK。 Kennyはギターもさること
ながら、こんな雰囲気も継続の大きな理由でもあります。まもなく始
まる2011年度前期が楽しみです。

           
         ポルチーニョ茸と        グリーンヒル
       しめじのクリームソース
          (写真、料理名も先生のブログから)
             
     

  
          2010年度第二期レッスン終了打ち上げ会
               (右列一番奥が田中先生)


          田中靖ニ先生のHP: http://www.yasuji-t.jp/

 

          今日もご覧くださいましてありがとうございました
    

 

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どうなってんのー、3月なのに野洲にも雪!!

2011-03-11 22:10:48 | 四季、思い出に残る風景写真と話題

    Kennyの写真便り
       =雪の朝が何日も=

この冬も暖冬かと。ところが昨年末になり日本列島に大寒波が押し寄
せてきました。小さい頃から母親から聞いてきた「南雪」がぴったりで
私の住む野洲市では3月に入っても何度も雪化粧の朝を迎えました。

         (この日記の掲載期間:3月25日ー3月31日)

雪化粧した朝、自宅の近くを歩いて見た風景です

 
       薄っすらと白い田畑はまだ日陰・早朝の比良山系 
      周辺の田畑の雪の朝はまだ日陰にありました。遠くにそびえる
      比良山系はこの冬は日本アルプスの様相、白く輝いています。

私の住む滋賀県野洲市では、3月になっても雪の朝が何日もありました。
野洲に居を構えて35年以上になりますが、30年以上も前では雪の朝
で通勤に苦労したこともありましたが近年ではもう忘れるくらいでした。

ところが勝手なものですが通勤のない今、その上カメラが趣味となっては
朝窓の外が真っ白とあれば朝食も後回しにして歩き回るか、車のエンジ
ンをかけての町のはずれまで、となります。

  
                   薄く積もったその朝
          近江平野は雪化粧です。遠く向こうには比良山系、
         その日は終日かなりの冷え込みでした


 
                   寒い朝の三上山
         この冬は、このように雪化粧した三上山を何度も見ることが出来
      ました。
薄日が差しているのですが・・、やがて雲に包まれました。
 

 
           3月に入り・・、こんなことは久しくなかったな
  
   散歩中のおじさんのお話です。次の植え込み準備が整っています。薄っ
     すらと雪が降りかかった
長閑な田園の風景です。ところがお昼にもなれ
     ばやはりもう春、この日の朝も寒かったとはいえ雲雀が賑やかに鳴いて
     いました

 
                      初詣の御上神社
      
野洲に引っ越してきた当初は元日といえばこのような、いやもっと
        雪の多い事が何度もあったように記憶しております。当時は幼い
        息子達と、そして今年は雪の合間の初詣を小学生になった孫達
       と一緒に。
  

 
              国宝の御上神社本殿もいい景色です

 
                近くにある神社(行事神社)の境内です
         真っ白、踏み跡もない。そして斜めから朝日が差してなんとも心洗わ
         れる、新鮮な雰囲気につつまれます
 
 
                 自宅の直ぐ傍のお寺(連照寺)の大屋根です
          
次の写真、お宮さん(行事神社)への桜並木、萱葺き民家を撮りに
            と前を通り見慣れたお寺の屋根を見て思わず足を止めて見入って
            いました。 まさに雪化粧された大屋根です。ちなみ近年屋根瓦の
      葺き替えがあり屋根そのままでも燻し銀の美しさを誇っています。
        

 
                神社に通じる雪並木(本来は桜並木)
        毎年この位置から満開の桜をカメラに収めています。このような朝日に
        輝くきれいな雪に覆われた桜並木ならぬ、雪の並木となりました。 
        白と桜色の違いだけでこの写真が撮れたことに大満足でした。 この日
        はやや長い時間、朝日に恵まれました。

 
                   市立 野洲図書館
     
ふんだんにガラスが使われ採光性を考えられたモダンな図書館です。
      館内のギャリーでは写真、絵画、書などの展覧会が頻繁に行われて
      います。


 
                      市立  銅鐸博物館
 
日本で一番大きな(144cm)銅鐸が野洲市で発見されました。発見された
 
個数でも島根県加茂岩倉遺跡に次いで二番目です。
     
 ちょっと残念な事に、その144cmの本物のの銅鐸は東京の国立のなんとか
  博物館にあるそうです。本当に常時そちらに置いておく必要ってあるの?
  地元の者でもお目にかかれずにお別れなんだ。見たいね、本物。その他館内
  で展示の貴重な銅鐸は殆んど複製です。 もっとも本物、複製の区別は私には

  つかず、自由人になった今じっくり鑑賞して小さな字の「複製品」で気が付いた
 次第!これって法律でそうする事になっているんですか? 埃を被っていなけ
 ればいいですがね。

 
              県立希望が丘文化公園・広大な芝生の広場
        
スポーツや野外でのいろんな体験が出来る施設が整っています。公園
           の規模は東西約4Km,南北約1Km、面積416ヘクタールだそうです。
            広大な芝生広場も真っ白です。今では3月に入りこんな景色はめったに
      見ることが出来ません。


 }
 
               100歳を超えた萱葺の民家
     野洲に引っ越して最も気にいっている散歩コースです。車が通らず
     (住民のみ)春には遠出せずに見事な桜を鑑賞できます。その並木
     通りの中央にある一軒だけの民家がとっても好きで、毎年何度も
     訪れています。

優しいおばーちゃん
カメラを始めて3回目の冬です。この冬お馴染の、しかし雪化粧した
とっても綺麗な姿の萱葺屋根に出会えました。私が生まれた湖北の
実家も元はこの屋根でした。今年始めて住人のおばーちゃんにお会
いして歓待されました。かなりご先輩のようでしたが、といっても
こっち
もおじーちゃんか。この家は100年前のもので屋根はもう葺き替えの
時期を過ぎているんだが材料、そして職人さんの手がとの事です。
でも私には見栄えでの葺き替えなら苔むす今の屋根の方がいいです。
裏庭にはこれまた相当年代ものの梅の木があり案内していただきました。

            
            

         今日もご覧下さいましてありがとうございました。
     

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Kennyの城址歩き、安土城: そのー3

2011-03-08 18:49:37 | 安土城址

  安土城、そうだったのかー!
   =長谷川博美先生と歩く山城=
   ー安土城を見学して:日記そのー3、最終回

           (この日記の掲載期間:3月18日3月24日

安土城に関する書物を何冊も読んだわけではありませんが、教科書
にも今まで読んだ本屋さんで簡単に手に入る書籍にも多分書かれて
いないのではと思ってしまう長谷川先生のお話に圧倒され、こんな
日記を書くことになりました。今の時期、本来ならスキー場や雪の風景
のことを書いているところですが、その予定を変えて日記そのー3
を書いています。
    

         安土山(あづちやま:標高189m)

安土城は信長以前から有った
「信長公記」(しんちょうこうき)には元亀元年5月12日に「安土城に中川
八朗飢右衛門楯籠る」とあるので中川重政が安土城に確実に在城した
ことが確認される、と当日先生から頂いたレジュメにあります。その城は
安土城の近代の城「織豊系城郭」とは違い中世城郭であったと推定され
るが、それを知る手がかりは今のところないそうです。

安土山には元々お城が有ったのだ!
そうだったんかー、てっきり信長がここを切り開いて造ろうと始めて城を
築いた山とばかり思っていました。

 信長公記(しんちょうこうき または のぶながこうき)は、近世の記録資料。
 安土桃山時代の戦国大名である織田信長の一代記で、著者は信長旧臣
 の太田牛一。 江戸時代初期に原本が成立 (ウキペデアより引用)


 
  ウインゲの木版画 (レジ
ュメから)         その版画にある現場

この場所、本当に一致します (三の丸付近)
ウインゲの木版画
という物が有るのだ
そうです。その版画にある建物
の場所に連れて行って戴きました。三の丸の近くです。バチカンに献上
された屏風絵の部分模写と考えられているが、この模写の描写は安土城
のどの部分なのか研究者の見解がないそうです。
実際城跡を詳細に観察
している人間には一目見ただけでどの部分の描写なのか理解出来ると
思う、として先生はこの場所を特定されておられます。

実際
に観て版画に収められた訳だからこの建物は実在したのものです。
現場は石垣しか残っていませんが、版画にある石垣と現場を見比べると、
櫓台が有った右の石垣の石が版画も現場も右の石の方が大きいのが
分かります。
また中央部の入口の石段も完全に一致します。まさに当時
の安土城の
建物の前に立っているようで感動ものでした。

      
           礎石に残る焼きついた柱の跡
        
   (過去の見学会で解説を受けた時の写真)

カステラ食って・・・・
安土城築城にあたり信長は高度な測量器具を、それは宣教師から入手
したのであろうか? 信長は宣教師から贈られたカステラを食っていた
んだから、コンパスなど高度な器具など十分手に入っただろうね、との
先生のお話しに納得です。

城の見学料徴収、天正時代に??
「信長は安土城の見学料も徴収する経済的にシビアな側面も伺わせる。
これはもはや安土城が隠れて籠城する山岳の中世城郭ではなく信長が
もたらした天正の治世の到来を高々と宣言する宣伝塔と言えよう」とは
先生のレジュメそのままを引用させていただきました。ちなみに、信長の
血液型がA型やそうで、結構金銭的には細かかったとか・・・・。
 
       
          天主の火災熱で入った石垣のヒビ
        
   (同、過去の見学会で解説を受けた)

今回の安土城現地見学会に参加して
長谷川博美先生との出合い、
長谷川先生と安土城址を歩くと銘を打って見学日記を三回書きました。
先生にお会いしたのは今回で3回目です。昨年の秋の事、所属の「淡
海の城友の会」からこんな見学会がるよと連絡を戴きその企画に参加
して初めて先生にお会いする機会に恵まれました。
    
   
  先生ご自身が発見された多賀にある城址を先生の案内で見学する参加者

先生は正に現場主義 (でいいのかな?Kennyの印象)
回数を重ねる毎に先生の研究(現地調査他)成果からのお話しのすごさ
に圧倒され、また溜まっていました疑問や知りたいことが、一つひとつ
解決していくのがとっても嬉しいことです。 調査、研究はまさに修行の
苦難(新しい城址発見には道なき山道を)
を伴うものだと思います。
そんなご努力、執念からのお話しをこんなに楽をして聞かさせて戴き、
またこのように楽をして体験や日記にさせて頂いて申し訳けない気が致
します。しっかりと記録に留めてまた機会毎に私の友人知人に先生の
お話として伝えて行きたいと思います。 

改めて長谷川博美先生に深く感謝致します。

また今回の企画に参加させていただき主催者、事務局の皆様に
厚くお礼申し上げます。

*茲愉有人さんが
    
関連情報を寄せてくださいました。 コメント欄更に詳しい史実が       
        あります。
合わせてご一読いただければ幸いです。(3月21日)
           

(当日記の掲載に関して、主催者、講師先生のご了解を頂いております)

   この3回に分けて書いた安土城址の
日記を最後まで
   ご覧ください
ましてありがとうございました。

********

情報です: 私は主催者とは全く縁のない一般参加者ですが、日記
        に書きましたように今までに経験のない先生のユニーク
        なお話しと企画なのでご参考までにお知らせします。

        以後の城址歩きや講演の情報は下記のHPに案内があります

       長谷川博美先生のHP: 長谷川博美郭日記

                 http://h-hasegawa.jimdo.com/

       ウッディパル余呉のHP

          http://woodypal.jp/

 

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Kennyの城址歩き:安土城址、そのー02

2011-03-05 16:37:49 | 安土城址

 安土城址見学で学んだ新しい事実

      =長谷川博美先生と歩く山城=
              ー安土城址見学日記その2ー

         
   (日記その2の掲載期間:3月11日本日17日

私のブログをいつも訪ねてくださっています茲愉有人さんからこの
テーマー
に関する情報を寄せてくださいました。当ブログのコメント
欄も合わせてご一読いただければ幸いです。茲愉有人さんありが
とうございます。


先週の日記で、まさに目からウロコと書かせていただきましたが、今週も
もう一度この話題を取上げて新しく知った事実を書いてみたいと思います。

長谷川先生のお話しを振り返ります:

 
          安土城天主イメージ図(安土町、観光パンフレットより)

     
      大手道が90度左に折れるこの場所から真上に天主
      が上にある
イメージ図のように見えたのでしょうね

前回の日記で触れましたが長谷川先生は次のようにご指摘になります。
それは大手道が90度左に折れるこの場所に展望位置がくるように定礎
を置き定礎、天主中心部さらに真北が一直線上に並ぶように城が構築さ
れたとのことです。

つまりこの天主は東西南北に向いていることになります。これは「信長
の棺」の著者、加藤廣先生のご見解とも完全に一致します(Kennyの見解)
(上に掲載の
イメージ図は城が立体的に見えるよう右方向より描かれています

  
      お城の表広場から見える石垣:これは当時のものです

今日は
石垣や石段のお話です:
織豊系城郭(織田・豊臣)と言ってこの時代からお城に本格的に石垣や
屋根に瓦を使い、特に権威の象徴を意識した城へと、つまり近世の城
へと変遷して行きます。

     
       これは当時のままの石垣だよと説明される先生

この石垣の石は本物?
本物の石?との質問には笑いが起こります。勿論石は本物の石ですが、
その意味は修復したお城址の石垣は当時の物か復元のために新しく
調達して積みあげた石垣かがとっても気になります。安土城址でも先生
に盛んに ”これは当時の石垣ですか?”と質問が飛びます。安土城は
廃城の運命にありましたので近くの八幡山城や彦根城築城時、抜き石と
言って持ち去られています。 でもまだまだかなり当時の物が残っていま
す。

   
               現地見学会参加者と長谷川先生
    
この見学会は余呉町のケ岳城郭フォーラム実行委員会の主催です。
           参加者の殆んどの方々は余呉町の皆様です。背後に送迎用のウッデー
     パル余呉(事務局)のバスが見えます。 

伊香郡(現長浜市)からも多くの普請人足が:
伊香郡(旧名でお許しください)は私のふるさとです。先生のお話では
「武功夜話」に記述があり、その旧伊香郡余呉町の中河内、今市、川並、
茶屋、小原、一、柳ケ瀬、国安、池原、天神、中郷、丹生他から
360人の
人足がなんと安土城本丸の普請現場に投入されているようだとのことです。
              
    
  
        秀吉邸であったと言われている敷地の石垣
 
   写真の右上は櫓台です。秀吉邸とは少し方向をずらして櫓台(守備隊)が
    設計されています。これは侵入してくる敵を有効的に狙える方向に向けて
    あるとの事です。 この石垣も当時のまま残っています。

今回の企画の参加者の殆んどがその余呉町の皆様です。普請人足には
その他にも木ノ本、西浅井、海津などからの名前も上がっているそうです。

      
       天主への最後の階段に越前笏谷石

越前笏谷石(しゃくだにいし):
この城に笏谷石も使われていたとは聞いていましたが、今回その
場所がわかりました。そこは天主に上がる最後の石段にありました。
兎に角当時は全国から石垣職人が集めれて短期に仕上げる天下普請
です。滋賀では他に穴太積み職人も動員されており今もしかりと
その石垣が残っています。

  
       越前笏谷石使用の石段拡大写真
       

石段には石仏や墓石も:
これはもう良く知られたことです。大手道には石仏が、黒金門手前の石段
には墓石を見ることが出来ます。その石仏には観光客がお賽銭を置いて
います。これには流石の信長さんはどう思っておられるか? ただ二説

あり、短期工事で石材が足らずかき集めた(石仏も資源の再利用説)。
または神仏不信仰の信長の指示によるものとも・・・。(Kennyの見解)

              
                          石段に多く見る石仏

 (当日記の掲載に関して、主催者、講師先生のご了解を頂いております)


日記の余白がなくなってしまいました:
安土城目からウロコの第一回目の日記、そしてこの二回目の日記も
先生のお話しを私なり
の言葉で記載しましたが大きな間違いがなけ
ればいいのですが・・・。


まだもう少し記録しておきたい面白い史実を長谷川先生から教わり
ました。出来れば引き続き次週に後一回、へーそうなんやーという
お話しを日記にまとめたいと思います。
   


   今日もご覧くださいましてありがとうございました。

この見学会:
師:  長谷川博美先生 滋賀民俗学会理事 
             近江中世城郭調査委員会会長

             他、各研究会の会長として研究と指導
             HP:
長谷川博美城郭日記
                 
http://h-hasegawa.jimdo.com/


主催者:  賎ケ岳フォーラム実行委員会                   

事務局: ウッデーパル余呉  
             HP: ウッデーパル余呉  
               http://woodypal.jp/

          この施設は古戦場、賤ケ岳や近年ではわかさぎ
     釣りでも有名な鏡湖、余呉湖にも近い四季を通じ
         て楽しめるルゾート地です。

  

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