趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの歴史探訪:自転車で三十三ケ寺観音霊場巡りーその2

2014-08-29 14:26:51 | 5爺:野洲三十三か所観音場巡り

野洲三十三ケ所観音霊場巡り
            そのー2

     4Ji、自転車を漕いで
  =友のお声でチャンスをいただき=
       Kennyの滋賀から情報発信

      (この日記の掲載期間:9月5日から9月11日)

5月の第一回目 五つのお寺
に続いて
この団地に住んでもう40年。以来ずーっとお付き合い頂いているTAM
さん
から表題の三十三ケ寺をお参りしようと仲間に入れて貰い、嬉しい、
貴重な体験をさせて頂いてます。今日はその第二回目、
三カ所のお寺
の日記です。


   私の住む野洲市、本当に立派なお寺がいっぱいです、先ずこれに驚きです


野洲三十三ヶ所霊場とは
西国三十三ヶ所霊場や近江三十三ヶ所霊場にならって野洲郡内の観音
菩薩を安置する33ヶ所の寺院を対象に湖東三十三ヶ所の巡礼道が定め
られました。一番守山の東門院に始まり三十三番水保の観音寺で納めま
。 (ネットからの引用です。感謝)

(注)野洲郡内とは、野洲町、中主町、守山町は 二度のかな? 市町村合併前は野洲郡
   の各町でした。 現在は野洲市(元野洲町と中主町)、守山市となっています。

4Ji とは古希を挟んだ4人組の爺さんで 同じ団地の仲間です。


         4JI:TAM,YAS,KAK各氏 そして撮影は私Kennyです

 では霊場巡り、第二回目の出発です

第17番 高福寺(現在は廃寺) 十一面観音
このお寺は廃寺となって現在は更地になっています。このお寺にあった
十一面観音は現在は蓮長寺に安置されています。 そこでこのお寺を
訪ねました。

                                  

 
                  元高福寺の十一面観音(賓国) がここに安置されています
                    予約をすれば拝観も可能です
                   

 
                                             
  クリックで拡大します              
  

                           立派なお寺ですね、欄間なんかも・・・


                              当日は地蔵盆で賑わっていました


                                   高福寺跡?
                           
第18番 西得寺  静観音



この西得寺ではKAKさんのご交友のお蔭でご住職様と親しくお話しする
機会に恵まれました。 (なお、その時は私は所用で同席は出来ませんでした)



                                  この境内にもお地蔵さんが


第19番 観音堂   南無観世音菩薩


              観音堂、前の道路に面して神社と並んでお堂がありました

この観音堂もお寺の境内にあるものと想定していましたが、上の写真の
通りで神社と通りに面して並んでいました。近隣の住民にお聞きして直
ぐに辿れました。と
云っても例外ではありません。 第五番、野洲市内の
十輪院(前回
の日記で取り上げました)と同じ観音堂形態です。

      
                        (参考)第5番 十輪院 

 
         この観音堂にもお地蔵さんが             南無観世音菩薩の石碑も


道中の風景 初めての地にも足を運び


               近江米、もう収穫ま近か   後方に三上山


                        田んぼ道傍にお地蔵さんが

お地蔵さんに目が行きます
先に私のブログで野洲町の「地蔵信仰」を取り上げました。全く知らなか
った世界を垣間見て以来、地蔵さんに目が行きます。
あるんですね、い
たる所にこのようにお地蔵さんが安置されています。 そして
必ず生き生
きとしたお
花(生花)が供えられています

     三十三ヶ所観音霊場の所在地、Google Mapは  ここを   

    前回5月の第一回の観音霊場めぐりの私のブログは 
ここを

野洲三十三ヶ所霊場とは、のあと少し補足です
野洲川の下流域は篤い仏教信仰に支えられた土地であり、なかでも観音
信仰は現世利益の仏を求めて庶民のあいだに広まった。寛保2年(1742)、
西国三十三ヶ所霊場や近江三十三ヶ所霊場にならって野洲郡内の観音菩
薩を安置する33ヶ所の寺院を対象に湖東三十三ヶ所の巡礼道がそれぞれ
に和歌を添えて定められた。

一番守山の東門院に始まり三十三番水保の観音寺で納める。
全行程13里
足らずの道のりは野洲川扇状地を一巡りするもので、当時の人々の日常の
生活圏に即していたものと考えられる。巡拝の道すがら口ずさむ御詠歌は、
素朴な民衆の文芸のこころを表現するだけでなく、地域社会の連携を深め
る共通の拠り所でもあった。

天保13年(1842)、野洲川流域の農民4万人が幕府検地役人の横暴に立
ち向かった一揆、三上騒動の広がりもこのような信仰を通したきずなと無縁
ではないであろう。
昭和の初めには三十三ヶ所霊場巡りは絶えたといわれ、
今日巡礼の名残をとどめている所は多くない。
 (この大変貴重な情報はネット検索でヒットしました。その解説文をそのまま引用させて頂き
  ました。感謝致します。 Kenny)


 
     今日もご訪問頂きありがとうございました

 

コメント (4)
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Kennyの山歩き: 三上山風情

2014-08-28 19:38:22 | 三上山

雨があがった、それ、三上山へ
   ツクツクボウシが加わっていたよ
           今日はビデオ映像日記です
      (この日記の掲載期間:8月29日から9月4日)



9月下旬の気温とか
8月28日の朝、ねぼけ眼で寝室の窓を締めていました。 TVの天気予報
は日中の気温も真夏日にはならないと報じています。 一気に気温の低下
です。 午後になって雨もあがり薄日も射してきました。とても内勤(PCで写
真整理やblog編集
)だけでは一日が持たない私、Kenny 待ってましたとばか
り午後から私達の山、三上山に登ってきました。


       山頂付近からJR野洲駅周辺、琵琶湖に流れ込む野洲川 (過去 午前に撮影)

ツクツクボウシが!
確か、2,3日前まではアブラゼミと夕刻のヒグラシしか耳に入っていなか
ったと思うんですが・・、今日の午後、道中、
ツクツクボウシが鳴いていま
した。 いよいよ夏の終わりです。 ところで、今シーズンは夏ってあったの
かな? 入道雲とかーっと焼けるようなあの暑いいつもの夏・・。 


                              登山口の妙見堂跡


                        山頂部 御上神社奥宮  (過去の撮影)

そこで今週は三上山からセミの声を・・・
そんな訳で、なんせ、三上山登山中の思いつきですんで画像もグラグラ
で申し訳けございませんが、ご一緒にセミの声を聴きながら登山に付き
合ってくださいね。 いいなー、セミの声、そして山・・。

                         
        ↓
     今日(28日)撮影の三上山の動画は ここを (クリックしてください)


               三上山の上半分は大きな岩の間をよじ登ります

こんな時間(午後3時)でも登山者が
普段はこの時間にはもうあまり登山者には会いませんが、今日は
4,5組の方々とご挨拶と言葉を交わしました。私と同様、長雨の上
がるのを待って来ましたとか、トレ山だろうか、ダブルストックでゆっ
くりと登っておられる方、その方はどう見ても私よりもかなりの年配
です。 驚きと勇気を頂きました。

8月29日、今日の三上山:ツクツクボウシが大合唱: 追記
午前中ですが、今日も歩いてきました。昨日のセミの声はどうかな? 
に興味があります。なんと全山ツクツクボウーシと昨日の5倍、10
倍の迫力です。 
今日も気温は25度位でしょうか涼しいです。これ
かな? アブラゼミは引退、代の交代じゃないでしょうか。気温の低下
とともに・・。


お花も
山でお会いした三上山仲間が私が見た花の名前を教えてくれました。

 

                 タカサゴユリ                           ミヤマウズラ 
   (先のビデオ映像に写っています)


     今日もご覧くださいましてありがとうございました

コメント (6)
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Kennyの山便り:清滝山

2014-08-18 19:25:37 | 登山・ハイキング

          清滝山
         あと6座、滋賀の山

    「山と渓谷社」が選んだ52の山
 
     (この日記の掲載期間:8月22日〜8月28日)
 
  清滝山、山のてっぺんに黒く大木やアンテナが見えます。  そこが山頂です

清滝山
滋賀県米原市清滝にある山です。 標高は439mだけど麓がすでに
170mなので標高差は269m、普段散歩をやっている方なら余裕で
登れます。ただ今回は真夏の気温31度、こぴっと暑さ対策、対応を
要しました。年寄りには熱中症の症状が出た時には手遅れってことも。


           結構広い山頂で、NHKとびわこ放送の中継アンテナがあります


                       山頂の標識のところにお地蔵さんが


              360度の展望、目の前にどーんと伊吹山(百名山 1377m)

滋賀の52の山に登っています
前回は箕作山(みつくりやま、)に登りました。山と渓谷社が選んだ52の
山で私がまだ
登っていない山を、今は優先して登っています。さて残り
あと6座、今週はその内の一つ清滝山に挑戦です。




滋賀の52の山とは?:お問合せがたくさん  m(- _ - )m
山と渓谷社(登山愛好家には愛読され、頼りになる書物)が選定基準は知
りませんが、選んだ52の滋賀県の山です。当社は日本の都道府
県全てにそれぞれの山を選んでこの書物を発行しています。

      
                          山と渓谷社の「滋賀の山」
         私の所有する一冊は、1996年5月1日発行の第二刷です

さて、登山開始です
野洲市から国道8号線、そして米原から同21号線に入り「津島神社
前」の信号を左折すれば5分少々で
登山口のある徳源院、清滝神社
(同じ境内)に到着です。 徳源院に並ぶ
清滝神社横の川に沿って登山
口があります。 ちょっと分かりにくくて
私、 見つけるのに5分も。

 
 一周 8km、約2時間と書いてあります             登山道、全山、よく整備されています 

 
猪が山から田畑に出ぬよう金網が。  入山後は閉めてね   砂地の急登山道


                  登山口直ぐの聖観世音石佛にもちょっと寄ってみてくださいね


         徳源院・清滝神社横の川沿いからの登山がお勧めです  
山と渓谷社より)
                       ( 赤のマークは私の加筆)


山の一周、よく整備された登山道
約2時間で一周出来ます。途中尾根道に入って少し展望はありますが、
ほとんどを樹林帯を歩きます。石ころ、階段で転倒することも(私1度
しりもちを)、
足にも負担はありますが、なんせ短時間、辛坊しんぼう。



  途中標識はなく、あっても字は消えています。 25分で尾根に着いたら右です。

どーんと伊吹山が真正面に (TOPの写真をご参照ください)
この山の一番の嬉しさですね。さらに霊仙山、鈴鹿の山々、美濃の山々、
西には琵琶湖、長浜と360度の展望です。ちゃんと三角点もあります。
そしてなぜかお地蔵さんが安置されていました。麓から見える建物、アン
テナはNHKとびわこ放送の電波塔でした。時間のある時にちょっと運動
で、と私達の山、三上山(432m)と同じで感覚で登れます。標高もほぼ
同じ(439m)です。


           下山の道も綺麗に整備  但し石ころ、砂地で滑ります  ご注意を!


        下山の1/3 は階段です。 これだけの階段、整備作業のご苦労を感じながら


 階段を終えてほぼ下山の最後にこんな標識  登山開始の徳源院へはこちらへ降ります

 
      ええ、そうか、徳源院さんお参り、見学でないと駐車したらあかん! 

100m戻ってこの広場(右の写真)に勝手に止めました。 どこを
指しているのか分からない中途半端な「徳源院駐車場」の看板と
入り口にお地蔵さんのお堂がありました。 ここならいいのかな?


     
                                おおー、今もなお

私の暑さ対策:
そんな時に登山なんか止めとけ 登山口を出発してしまった
ら、しんどくなくても木陰などで何度もの休憩と水を飲む。甘
いもの、塩分(私はチョコとかM製菓のゼリー状エネルギー補
給品。O製菓のカ・メイトを常備)で無理をしません。それと
ネッククーラーの使用です。

              滋賀の山
     
いつの間にかそんなに登っていたか!
     少し前までしんどうていやいや登っていた登山 
           そんな当時の思いで話は
 ここを
           (私の過去の日記です)



             ・・・以下は余談です・・・

徳源院、北畠具行のお墓: 下山後ちょっと寄り道を
ところでね、あれれー、ここやったんやー! と。 清滝山はこの
徳源院の裏山です。 
徳源院、北畠具行のお墓ともなんと以前
に滋賀県の歴史探訪で来ていました。中世に近江の北半分を納
めていた京極氏の菩提寺です。この裏山とは知りませんでした。
 
京極家歴代の宝篋印塔がこのお寺に集められて並んでいます。

  
    徳源院 京極家歴代の宝篋印塔           北畠基行の墓

北畠具行のお墓も近いです
後醍醐天皇の側近だった北畠具行は1331年(元弘1)の倒幕をめざし
た元弘の変で捕縛、鎌倉幕府の命でこの地で斬首されています。

     過去の私のブログ:
         
徳源院(京極氏の菩提寺)は  ここを
      北畠具行        
は  ここを

       今日もご覧くださいましてありがとうございました

 


 

 


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Kennyの山便り:箕作山

2014-08-11 16:02:39 | 登山・ハイキング

  あと7座、滋賀の山
 「山と渓谷社」が選んだ52の山
   箕作山(みつくりやま)を歩きました

  (この日記の掲載期間:8月15日〜8月21日)

                 この写真の山は太郎坊山(赤神山)だと思います
   箕作山はこの頂きの後方にある山でここからは見えません。

残っているとどうも気になって
登山をやるんだ、と意識して初めて滋賀の山に登ったのは武奈ヶ岳
でした。もう18年も前の
1996年(平成8年)9月23日です。以降、
一つづつ足を運び、登っていない山は残り7つとなりました。 今回は

その一つ箕作山に登ってきました。低い山で、毎週何度も登っている
三上山(432m)よりも低い374mですがとっても特徴のある展望の
見事な山でした。


                麓からもよく目立つ、岩に張り付くような建物

太郎坊さんに参拝してから
参拝を終えて更に境内の石段を登り、途中の御霊水の所から登山
開始です。そこを入ってもあれ、どっち? と。小さな標識を見逃さず、
地図でじっくり調べ、お寺の方に確認してからの入山がお勧めです。


                       登山道入口、御霊水

今回は箕作山頂までを目的の登山です
この山は巨岩の露頭する信仰の山とあらゆる書物で案内されており、
山の謂れ、歴史を探索するには4,5時間を掛けて山を一周するのが
ベストで、次回に挑戦と思っています。


          御霊水を入ると里山独特の登山道が始まります

よく整備された山道
少なくとも箕作山頂まではよく整備された山道でした。先ずは太郎坊宮
のある山腹駐車場まで車で。太郎坊宮までは約700段の石段を登って
のお参りが本来なんだそうですが、今回は気になる残り7座の山登りが
目的で、社務所駐車場まで車での登山を神様にお許しを頂きました。

  
       社務所駐車場まで700段強        太郎坊宮まで更に370段

でもこれには困った!
道しるべの看板はちゃんとあるんやが、おかしいぞ!と。距離表示が
変?? 
更には看板にある400mを進んでも瓦屋寺がない! しかた
なくの引き換えしに苦労しました。 急登の上途中で分岐が。下りでは
笹で見えなかったので覚えていない。さてどっちへ、と。勘を便りに正
解でしたが、どうかご注意を!!

なんだこれは! 2km、そんなにはないでしょう! 一瞬、慌てましたぜ。
時間は既に午後3時半です。これから2km、困ったー、往復では暗くな
るやん、ちゃんと調べてきたのにね^^^。 この2kmの意味、私の何か
の勘違いなんでしょうか・・?
                             ↓


      ”太郎坊宮と箕作山の途中” の看板! なんと箕作山まで2kmと表示
  

            一方、 箕作山頂にある看板、 ”
太郎坊宮まで”  1kmの表示

そうでしょう、これが正しいと思います。 太郎坊宮からここまでに要した
時間は25分程でした。


             瓦屋寺(0.4km)と表示   この400mの周囲にそのお寺はない!

ちょっと寄ってみようと下って行きました。 400m範囲にお寺はありま
せん。
もうちょっとやろうと歩いていたら車道に出てしまいました。20分
以上かけて再度急登の引き換えしを。おまけに分岐でどっちに行けば?
と。
もう、かなわんね! 帰宅して地図を見ました。 どうやらその車道の
先にそのお寺はあるようです。 もしそうなら分岐から1kmはありますよ!

山行途中の風景


                           太郎坊山(赤神山)山頂


                同山頂からの遠望 三上山の頂きが見えています


             箕作山山頂  ほぼ360度の近江平野が楽しめます



             同山頂から能登川町、琵琶湖方面 多景島が見えています


                 箕作山山頂から見た太郎坊山(赤神山)
          

            どうしてこんな巨岩が・・、それはカルデラの名残です

カルデラの名残: そうか、二つの山は兄弟の残丘なんや

このカルデラの名残の山、残丘は野洲市にある三上山もこの山と同
じカルデラの一部ではないでしょうか。  三上山にも大きな岩、割岩、
そして何層もの筋のある岩
があり箕作山と全く同じです。

 
              夫婦岩(割岩)           (案内板 拡大します)

  
        三上山の割岩                      岩に入った何層もの筋  三上山
      人がやっと一人通れる幅  

三上山誕生についてもこのように聞き及んでいます
今から8000万年くらい前、現在の地名でいえば、彦根、沖島、
近江八幡、野洲、永源寺を結んだ円形の大カルデラがあったの
ではないかといわれており三上山はその残丘だと。


                    三上山山頂 巨岩の上に更に大きな岩、磐座
 

コースマップ(駐車場の案内板)

 
                                                (クリックで拡大します)

52座の登山を振り返って
最初に登った山、その武奈ヶ岳:足はつる(痙攣)はしんどいはで、
以来山が好きになるのにその後10年は掛かっています。 当時
は普段殆ど運動で体を
嫌えることなくいきなり山に登るのだから
今思えばあたり前でただ
しんどいだけ登山口と書いた看板は出
来るだけ見ないようにしていました。そして下山してから振り返って
いました。

いきなり大パンチを食らいました
18年前のことを今も覚えています。下りで足がつり必死の下山、
ズボン
はその時、滑り下りざるを得ず擦れて破れました。  なん
の趣味もない私に登山を勧めた家人の忠告(事前に足を鍛えよ)を、
そんな軟やないと無視した事の戒めです。

今は登山を趣味をとして、沢山の山友も出来、日々楽しんでおり
ます。

ご参考
箕作山(滋賀県東近江市)
巨岩の露頭する信仰の山と山渓(山と渓谷社)の紹介です。南側
一角を占める太郎坊は古代の岩座・磐座仏像台座で、岩をかた
どったもの)を彷彿させ、神体山の典型だと同書の解説です。

滋賀の52の山とは
山と渓谷社(登山愛好家には愛読され、頼りになる書物)が選定基準は知
りませんが、選んだ52の滋賀県の山です。当社は日本の都道府
県全てにそれぞれの山を選んでこの書物を発行しています。

         
                            山と渓谷社の「滋賀の山」
            私の所有する一冊は、1996年5月1日発行の第二刷です


     今日もご覧くださいましてありがとうございました





コメント (2)
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Kennyの自転車でぶらり:お地蔵さんめぐりーその1

2014-08-04 20:16:27 | 5爺:野洲市内の地蔵巡り

   野洲市内の「地蔵信仰」
 路傍や街角(辻)にお地蔵さんがいっぱい
    4Ji の自転車を漕いで歴史探索

      
Kennyの滋賀から情報発信   
         (この日記の掲載期間:8月8日~8月14日)


          市三宅 三番口   撮影時、自転車で前を通られたご婦人が

Tさんの嬉しいお誘い、地蔵さんお参りしに行かない?
同じ団地に住んでもう40年、当初からお付き合いのあるTさん(ほぼ
同年齢)から前回
湖東三十三所観音霊場めぐり(このブログで掲載済)
のお誘いに
継いで、今回は私達が暮らす野洲市にある お地蔵さん
めぐり、「地
蔵信仰」に触れてみようかと再度声を掛けてくれました。

こんな事
には特に目が無い私、二つ返事で今回も自転車を漕いで、
運動を兼ねて地蔵めぐりをしてきました 4Ji: 4人の爺さん)


    市三宅 三番口のお地蔵さんは立派なお堂に入っておられます。 地元の方々の力で
                             (背後は三上山)


ありました、ちょっと走ればここかしこ、お地蔵さん
なんとそのお地蔵さんは道端、あぜ道、お寺の一角、公園などなど、

根つきもあれば、雨ざらしも。 そうやなー、半々でしょうか。 そしてお地
蔵さんのある場所は日頃私も自転車や車でよく通っている所なんです。

2Jiが見てきた地蔵さんのお姿 (他の2Jiは所用で今回は欠席)

   
 
                  おおよそこの4つのタイプのお地蔵さんでした

お地蔵さんとは?
仏堂に安置されるより各地の寺院境内、村の入り口、峠、あぜ道、
四辻、墓地の入り口や墓地内などの野外に安置され、堂内安置よ
り野山、路傍に多い。村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通
安全の神として信仰されている。 これは地蔵信仰、庶民信仰の表
れだろう、と。  (ネット検索の情報です。なお、更なる詳細は末尾をご参照
くださいね)

その地蔵さんのことはどうやって知ったの?

Tさんが見つけられたのですが、野洲市歴史民俗博物館発行の
「地蔵ー仏教美術と信仰」の中に、野洲町の地蔵信仰というペー
ジがあります。 平成9年に編集
の記事です。


                           万葉台自治会内の生活道路に

その中で紹介されている町内のお地蔵さん
当時、野洲市の計46の区、自治会(これで旧野洲町の全部なのかどうかは
確認しておりません)
の資料協力委員さんの調査報告に基づき約65の
お地蔵さんを紹介してあります。今回はそのうち8の区、自治会の
14の地蔵さんを見て(お参りして)きました



                          万葉台自治会の三角公園

 
       野洲、十輪院              市三宅 安楽寺境内  
     (木造立像でお堂の中に安置)       


地蔵祭り、地蔵盆の行事がある地区のお地蔵さん
先に紹介した書物には地蔵祭りやお盆行事が行われている地蔵さ
んに限り掲載されています。 なるほどです、今回見て来たお地蔵
さんは100%、地元の皆様によって清掃され、赤い前掛けも付け、
お花も供えられていました。

  
                      地蔵盆、地蔵祭り  (三井寺のHPより拝借)

ところで、これらのお地蔵さんは元々ここに?
ある地蔵は民家の川の傍にあります。お聞きすると、河川改修時に
川の底から出てきたものを引き上げてここにならべたとの事です。ま
たある新興団地の公園の地蔵は近くの工事現場から出てきたもの
を譲り受けたと。 

 
四ッ谷 川べりに
  川から上げて安置したんですよ、と。  この建物内の地蔵さん
               
大抵のお地蔵さんは風化が激しいです、さては?
こんなネット記事を見つけました。「地蔵信仰は平安時代に高まり、
鎌倉時代には下火になり、室町時代で修験者・山伏 によりまた盛
んになりますがどうしても ... 地蔵信仰の変遷はなかなか複雑で、
簡単に書く といろいろと誤解が・・」。 今、工事現場などから出て
くる地蔵はその鎌倉時代に憂き目にあった可愛そうなお地蔵さん
なんでしょうか? ならば風化はあって当然でしょうね。

 
           和田 公園内            桜生 真福寺 ここは木造立像
                                                        (ご本尊は野洲市の博物館に保存) 
      
 

  
                                   小篠原 お池グランド
        
印象的でした
2Ji(二人)で自転車でうろうろして地蔵さんを見つけます。 傍のお
家の方
に教えも戴きました。 あるお母さんは日々この地蔵さんの
お世話をしている。 おばーさんから受け継いだと。「今まで病気
はしたことはない。おばーさんがよく言っていました、
皺のある手
を合わせると幸せになれるのだと」、決してだじゃれで仰ったのは
ありません。

 
       行畑 野洲高校前                 四ッ谷  顕了寺境内 

        

   桜生  宝樹寺境内                               四谷 作業場横

  


  
     行畑 背くらべ地蔵   右がお地蔵さん  左は阿弥陀如来立像 

          三井寺の地蔵信仰に関するHPは ここを

   4Jiの湖東三十三所観音霊場めぐりの過去の日記は ここを

                             ********

ちょっとメモしとこうっと (ウィキペディア、その他ネットより引用)
地蔵盆:
地蔵盆は一般には寺院に祀られている地蔵菩薩を対象とした祭り
ではな
道祖神信仰と結びついた路傍や街角(辻)にある地蔵が対
象だそうです。
  
   道祖神(どうそじん、どうそしん)とは、
   路傍のである。集落の境やの中心、 村内と村外の境界やの辻、三路
   などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世
   では旅や交通安全の神として信仰されている


地蔵祭り:
旧暦7月24日以外の地蔵菩薩の縁日の24日は、地蔵会(じぞうえ)、
地蔵祭と呼ばれるが、旧暦7月24日については盂蘭盆お盆)期間
中であり、それにちなんで地蔵盆と呼ばれるようになった。現代では、
参加する人々の仕事などに合わせ、多少日程をずらして土日に行う
ところも増えている

日本における民間信仰では道祖神としての性格を持つと共に、「子
供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶお菓子が供えら
れている。

もう少しだけ、地蔵さんとは・(ウィキペディアより部分引用))
地蔵菩薩 (じぞうぼさつ)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。
サンスクリット語ではクシティ・ガルバ(क्षितिघर्भ [kSiti gharbha])
と言う。クティは
「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳し
て「地蔵」としている。また
持地、妙憧、無辺心とも訳される。三昧
耶形
如意宝珠と幢幡(竿の先に吹
き流しを付けた荘厳具)、錫杖
種子(種字)はカ(ha)。大地が全ての命を育
む力を蔵するように、
苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救う
所から名付
けられたとされる。日本における民間信仰では道祖神としての性

を持つと共に、「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜
ぶお菓
子が供えられている。一般的に、親しみを込めて「お地蔵さ
ん」、「お地蔵様」
と呼ばれる。

        今日もご覧下さいましてありがとうございました

コメント (4)
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