趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの歴史探訪:彦根城

2014-03-16 19:57:43 | 彦根城

                      彦根城
   =徳川幕府西国支配、要の城=
        外から見た彦根城/随所にその防御が

     専門の研究員さんのご案内で探索です

       
               Kennyの滋賀から情報発信 

           (この日記の掲載期間:4月11日から4月17日)

           滋賀県そして各自治体に感謝します!!
            (25年度の講座最終回にあたり)


我達にはありませんよ、と
過日、彦根城探索で他府県から参加のお一人とのお話の中
で、
このような講座・探訪シリーズは私達にはありません、滋
賀県
はいいですね」、と。

 
  皆出席表彰者を代表され、お礼の言葉も述べられました


またシリーズ(一年間)皆出席の表彰で代表してお礼の挨拶
をされた方は 「これだけ 内容と魅力あるイ
ベントです、来年
度(26年)も参加したい」 と。  私も全く同じです

ありがたいことです
私も今、
郷土の歴史を知ることに喜びの毎日です。それもこ
れも県や自治体が主催のこのような行事、催物に参加させて
頂けるからです。
滋賀県では各自治体と連携して他府県に比
べ、
頻繁(のようです)に企画し力を入れて下さっています。

情報に耳を傾けておれば毎週のように講演、講座、探索がど
こかで開催されおり参加することが出来ます。 感謝します。

   今日もその一環、彦根城のお話です
   天守は国宝です。 ならば外回りにも何かあるぞ!!

建物(天守など)が残っているお城の観光はどうしても建物
内部を見学して終わりがちです。しかしそこは家康が総力を
挙げて築いた(天下普請)お城です。城の外も是非見てみた
いですね。
この度、嬉しい機会に恵まれました。

    
       第一班は下高大輔氏(彦根市教育委員会)の解説で見学

   専門の研究員さんのご案内で彦根城の
外を見学です。 
  一人で歩いても見どころが分らずとっても無理ですよね

彦根城
関ヶ原の合戦で徳川勢が勝利。 天下統一を進める家康にと
って西国にはその後も、豊臣恩顧の大名が多い西国へのお
さえ
の拠点としてこの彦根城の完成が急がれました。1607
年には早くも天守が完成しましたが、お城そのものは1604
年の着工以来20年の歳月をかけ
元和8年(1622)に全面
完成しました。1600年の関ヶ原の戦いから15年の後
大阪
冬、夏の陣で一時的な中断もあったようです。


                国宝 彦根城天守 (3階建て、3重の屋根)

天下普請のお城
火の種が消えるまでは寝返りなどでいつ息を吹き返して、の不
安は同じ経緯で世を押さえた家康にとっても頭からは離れませ
ん。その動きを監視する、また抑える重要な拠点である近江、
この彦根の地に堅固なお城を大急ぎで築きました。 築城は諸大
名の力を結集した世にいう天下普請でした。

      難攻の証、防御の城を外から垣間見る
                私の興味、キーワードは五つ


そのー1  二つの正面: 大手門と表門
大手門:
彦根城には内堀の面して5つの門があります。大手門、
表門、黒門、山崎門、裏門です。その内の大手門と表門は城の
正面を意識して築かれています。築城に20年を要している間
に大坂の陣を機に縄張りの変更が行われたのです。大手門は城
に西に位置しており西国大名意識した守りの門です。また城の
正面が巡礼街道:下街道
(下段に注)に沿って築かれたと考えら
れています。


      大手門と表門の位置 (拝借:彦根城観光案内パンフレット)

           
                         クリックで拡大してご覧ください

表門:
やがて五街道のひとつ、中山道が整備されて彦根城の正
面も中山道側に開き、表門が正門に移行したと考えられます。

そのー2 大堀切


               天秤櫓(重文)の外に築かれた大堀切
大手門と表門からの道が合流する要の位置に築かれた櫓です。



          西の丸三重櫓はこの大堀切に面して築かれています

そのー3 登り石垣


                登り石垣
全国的にも珍しい石垣で、城内に5か所あります。山の斜面を
正に登るように築かれており、斜面を移動する敵の動きを阻止
する目的です。

そのー4 櫓(やぐら)


                 西の丸三重櫓(重文)
櫓とは、城郭にある矢や鉄砲を発射するための重層または単層
の建造物の事です。 上の写真に見るように、道をぎ型に曲げて
敵を正面、側面、裏面から攻撃出来るようになっています。


そのー5 門



                      太鼓門櫓(重文)
本丸への最後の関門。また
登場合図用の太鼓を響かせた門とも。
門の両端の大きな石も特徴で、如何にも堅固な造りです。

こんな見どころも: 石垣 修理 矢穴

   

この天秤櫓の石垣はこの400年間に幾度か大修理をしました。
櫓の向かって右手がの石垣が「牛蒡積み」(ごぼうずみ)で越前
に石工が、左は幕末期の嘉永7年(1845)に積み替えた
「落し積み」です。


                         彦根市教育委員会発行の冊子から

石垣の仕上がりが櫓の左右で全く異なります。下の写真で比
較の上ご覧ください。現地での見どころの一つです。左右で
異なるなんて、体裁からしても面白いですね。


                            落とし積み(左側)


                           牛蒡積み(右側)


             「矢穴」: 城内の石垣の随所で見に入ります

矢穴
は、大きな岩石から石垣サイズに割る時にくさびを入れ
る為に開けた穴です。お城の石垣ではこのような矢穴をよく見
かけます。でも全国のお城では、中には墓石や宝篋印塔、お地
蔵さんなどが転用されているのには驚きです。 急を要した築
城の現れですね。

彦根城は戦い未経験の城
このような堅固な縄張りのお城ですが、築城後に到来の太平
時代で一度も戦いを経験することはありませんでした。従い
今の天守は修理などの手は加えられてはいますが、築城当時
の実物です。

 やはり 「ひこにゃん」 なんだ


                           城内ではこんなイベントも

                当日のひこにゃんの動画は ここを


お城の周囲は


          天守のある本丸から目前に佐和山城のあった山が


                 JR彦根駅から歩くこと直ぐ、天守が見えてきます

巡礼街道(下街道)とは:
彦根城の築城以前に彦根山には観音信仰の寺として彦根寺が存在。巡礼者
が往来する道があり、それが巡礼街道です。その街道沿いには後に安土城、
八幡城などが築城され、これらの城下を繋ぐ道、下街道も整備されました。

参考資料

               
                      編集・発行: 彦根市教育委員会

  今日もご訪問くださいましてありがとうございました

コメント (2)
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