軍艦島(端島)
世界文化遺産
「明治日本の産業革命遺産」製鉄・鉄鋼・造船・石炭産業
2015年7月5日、「世界文化遺産」に登録された
その軍艦島を訪ねてきました
(この日記の掲載期間:9月24日~10月1日)
軍艦島 (端島)
長崎半島から西に約4.5km、 三菱石炭鉱業㈱の主力炭鉱があった高
島から南西に約2.5km、長崎港から南西に約19kmの沖合に位置する
「端島(はしま)」の通称です。
軍艦島 ? それは戦艦 「土佐」 に似ていることから
端島 (軍艦島)
南北に約480m、東西に約160mという小さな海底炭鉱の島で、岸壁
が島全体を覆い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」
に似ていることから端島を軍艦島と呼ばれるようになった。
軍艦島の全景です (現在の島の姿を正しく把握の為案内書から引用)
軍艦島は、
明治23年(1890年)から三菱の経営により、主として八幡製作所に製
鉄用原料炭を供給し近代文化を支えてきた。昭和30年代後半からエネ
ルギー改革の嵐を受けて、昭和49年(1974年)1月15日閉山、同年
4月20日に無人島となりました。
上空から撮影の軍艦島
Daiwa House の会員向け冊子 okaeri から拝借しました (私は当会員)
見学するには、
世界文化遺産のため見学にはいろんな制約、約束事があります。従い、
現地 海運会社の軍艦島上陸クルーズ を利用しました。予約は旅行社
にお任せです。
では、見学に出発です
長崎港から20分もすると島が岩陰に見えてきます
おおっ、廃墟が・・。 建物: 貯水棟(左) 幹部社員社宅(右)
長崎港から約30分で島に到着です
晴天でも海が荒れて大きな波があると着岸できない場合があります。
今回は問題なく施設見学料の300円(前払い)を支払い上陸しました。
見学ルートは決められており手すりが設置されている
中央の柱はベルトコンベヤーの跡
レンガ色の建物は事務棟 右に堅抗口と階段が見えます
無人化の今、近代的な白い灯台が見えています。当時 夜は島の照明が
皓々と周囲を照らし、まさに満艦飾で灯台は不要でした。
多い時でこの島に5000人 東京の5倍(だったか?)の人口密度
島では水は貴重で、その殆どは輸送に頼っていた。 従いプールは海水
端島小中学校の当時の様子
島は埋め立てで大きく
上の写真で左の貯水棟から右に見える祠の部分までが元々の小さな島
です。その両側は埋め立てで拡張されて現在の大きさになりました。
社宅の内の一棟
作業はどこで、どんなところで?
この堅坑口から作業に向かうところか
海底1000m、またはそれよりも更に下方での採炭現場は気温30度
以上、湿度95%以上の過酷さだったそうです。
一旦600m下り、更に横方向に2500m
この岩の海底の採炭作業現場は、鉱脈が下方へ
伸びており、1000m以上に達していた。
仕事を終えた作業員は目と歯以外は真っ黒だったそうで、先ずは海水で
汚れを落とし、そして風呂にと・・。
当時の様子 (お礼:現地で配布の案内書に掲載の写真を拝借しました)
写真の解説文字は私が記入(以下同じ)
社宅は充実、TVも 軍艦島の夜景 まさに満艦飾です
しかし水は貴重で内湯ではなかったとか
参考掲載:(毎日新聞 7月8日、H27 朝刊より拝借)
お断り、
上述の解説文の殆どは、当日配布された「軍艦島」と題する案内書の
引用、また船内でのガイド、現地ボランテアガイドさんのお話を集約し
て、私の言葉で記載しました。聞き違いや勘違いによる間違いがある
かも知れませんが、どうかその点はご容赦ください。
(ブログ管理者:Kenny)
最後に、
ビデオ撮影をしました。約3分です。ご鑑賞頂ければ幸いです。
軍艦島の様子:ビデオリポート
↑
ここをクリックしてください
今日もご覧下さいましてありがとうございました
記事中に気になる事がありましたので、お伝えします。
端島が「軍艦島」と呼ばれる理由として、戦艦「土佐」に似ていたから、という話はその通りです。ただ、こちらで引用されている艦影は、残念ながら現実の「土佐」のものではありません。この図面を引いた人のオリジナル「作品」です。
何かの仮想戦記の中に「土佐」という艦名の軍艦が登場するのだそうで、それを(元の作品の中にも作者が引いた図面は登場するらしいですが、この人の好みも加えて)アレンジして図面化したものだそうです。
全長が500mを超えるような超超超巨大戦艦という設定で、現実に建造されていた「土佐」の倍以上のサイズ。当時日本にあったドックでは建造できません(今でも、かな?)。実際の「土佐」とはまったく異なります。
当然、艦影もまったく違います。現実の「土佐」は、「長門」型の近代改装後のような1本煙突で、主砲塔は5個(10門)。
しかし引用されている架空の「土佐」は、「大和」型のような複合傾斜型煙突が2本ありますね。艦橋も通常の前・後に加え煙突間にもひとつあって、計3つ。砲塔も、数えられないぐらいにたくさん載っています。しかもなんと、主要構造物の両側に2本の飛行甲板まで設置されているそうです^^;
いずれにしても「空想の産物」です。
さらに、ちょっと話が複雑になってしまうかも知れませんが…。
実は、「軍艦島」の俗称は、いま↑でご説明した完成状態の「土佐」に由来するものですらありません。「土佐」は、建造途中で軍縮条約に引っかかり、廃棄が決定してしまいます。上ものを除いて艦体はほぼ完成していたため、その後は標的艦として使われ、最終的には自沈処分となりました。同型艦の「加賀」は途中で空母に改装されてミッドウェー海戦まで戦いましたが、いずれにしても「戦艦」として完成した姿は国民の目には入っていません。当時の国民が「悲劇の戦艦“土佐”」として思い描いた画像は、完成状態ではなくて、建造途中で投げ出されてしまった姿なのです。
この標的艦時代の写真はネット上で発見可能かと思います。戦艦の象徴である高い檣楼はまだ建造される前でしたので、一般的な「軍艦」「戦艦」の姿ではありませんが、逆に、本当に端島にそっくりです。端島の現役当時は、中央にある煙突から煙も出ていて、これがまた、仮設のひょろっちい煙突を設置していた標的艦時代の「土佐」にそっくりでした。
端島が「軍艦島」と呼ばれる由来の解説としては、この標的艦時代の「土佐」の姿と、可能であれば現役時代の端島の姿を合わせて紹介する方がベストではないかと思います。(なかなかいい画像がないかも知れませんが…)
なお、「戦艦土佐」で検索すると、上記のような「現実ではない“土佐”」が引っかかってくる可能性も高いです。模型化しておられる人も、原図に忠実なものもあれば、好みでアレンジしている場合も多いです。
実物が実際には就役しなかったという事情と、昨今の仮想・架空戦記ブームから、たくさんの「現実ではない“土佐”」が生まれています(これは「紀伊」「尾張」など名前だけで実際には登場しなかった他の戦艦も同じ傾向です)
「土佐」という名前だけで「これか」と思うと騙される危険がありますので、「加賀型戦艦」からの検索でたどられた方が無難かも知れません。
通りすがりにいきなり厳しい意見で申し訳ありません。失礼の段、ご容赦くだされば幸いです。
全く知識のないこの分野、ブログの末尾にお断りを入れ
てほっとしております。
重ねて厚くお礼申し上げます。