ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(81・中央西線電化の記録⑳)

2016-01-20 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

多治見・中津川間   峠の春

昭和43年4月1日、早春の武並・恵那間で撮影。槙ヶ根の峠路を歩くのは最後になった。

明科行長距離普通DCで9:14恵那到着。3月より早めに峠に到達して、より効率的に峠前後を行き来することにした。
前回撮り損なっている下り旅客と、D51重連の上り旅客列車を上り勾配で撮影して挽回を図るつもりである。
10時20分過ぎ、道中で前回乗車してきた下り旅客に出会った。まずは槙ヶ根トンネル近くに行って上り貨物を待つ。

DD51-50[稲一]牽引の下り松本行827レ


キハ91系下り急行第2"しなの" 後尾から


恵那で下り急行と交換待ちの上り貨物列車が来るまで後10分程。トンネルの上に登って待つことにした。
高さが足りず後補機は煙だけになるが、最早移動できない。ドラフト音が高まり白煙が見え始めた。
トンネル内も25‰が続くので、ここはまず完全燃焼で来る。前照灯を点灯してD51が目前に迫ってきた。

D51-265[中]牽引の上り貨物652レ


編成が長く後補機の煙も十分入らず、想定外であった。ネコヤナギの花を入れて縦にして撮った。



本務機、補機とも透明に近い白煙で登ってくる。凄まじいドラフト音でトンネル上では恐怖感があったが、迫力を満喫。
ところが、この後が大変であった。ウルシに被れて手と顔が腫れてきた。



D51-771[中]の後補機


峠の武並側に急ぐ。武並で交換待ちの下り貨物が来るまで約20分。トンネルまで来ているので前回より楽に間に合った。
ここでの煙は外れがない。この日もなかなかの爆煙で25‰勾配を登ってきた。

D51-279[中]牽引の下り貨物653レ






D51-777[中]の後補機


峠近くの線路沿いで、十数分後に続く下り旅客を待つ。珍しく黒煙で登ってきた。
近付き過ぎていて運悪く糞尿をまともに食らった。旅客列車は要注意であったが、油断した。たまにある出来事であった。

D51-402[中]下り中津川行621レ






ここからが時間との勝負。重連で来る次の上り旅客は恵那で下り旅客と交換して11時半に発車する。
10分程で峠に来るので恵那側に向かって全力で走った。間に合わなかったのか、何故この場所で撮ったか不明。
架線柱が恨めしい。煙も今一であった。

D51- 689[中]、D51-249[中]の重連 上り松本発名古屋行826レ






この後は、しばらく列車が来ない。恵那で下り急行、下りDCと交換して12時半頃出発する上り貨物を待つ。
12時10分過ぎ、下り急行が通過した。

キハ58系下り急行"赤倉" 後尾から


峠の走破で疲れきって、同じ場所で待つことにした。ウルシ被れの症状もひどくなってきた。
上り貨物は重油併燃装置、集煙装置付のD51が牽引してきた。重油併燃装置は転属前の北陸線時代のもの。
中津川機関区のD51の集煙装置は43年夏から本格装備を開始、この頃は245、249の2機のみが取付けていた。

13時過ぎの路線バスで南下、廃線が迫る瑞浪・釜戸間の旧線に向かった。中央西線電化の記録⑭に記載している。

重油併燃装置、集煙装置付のD51-245[中]牽引の上り貨物692レ 荷物車を連結していた





D51-267[中]の後補機





1968.4 武並・恵那

コメント
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