名古屋を往来した寝台特急 <EF60の時代>
昭和33年に登場した20系客車の"あさかぜ"に始まる東海道の寝台特急列車は、少年時代の憧れの的であった。
しかし、下り列車が名古屋を通るのは夜遅く、中学生では到底見ることができない。
何とかして東京まで行って、続々と帰ってくる寝台特急を撮ることが夢であったが、実現しなかった。
それでも、未明に到着する"あさかぜ"、"はやぶさ"を除けば、名古屋駅で上り列車を撮ることは可能であった。
40年8月、夏休みに早起きして名古屋駅で寝台特急3列車を撮影した。
当時、20系客車を牽引する機関車は、38年から製造されたEF60ー500番台(501~514)であった。
以前のEF58から置換えられたEF60は元来貨物用であり、寝台特急を牽引したのは2年間である。
EF65ー500番台への交代を10月に控えた時期であった。
"さくら"、"みずほ"、"富士"の順に到着。最後尾の電源荷物車はいずれもカニ21を連結していた。
EF60ー511牽引の上り特急"さくら"
EF60-505牽引の上り特急"みずほ"
この日の"富士"の牽引機はEF60-512であった。同機は一般色に塗装されていた。
珍しい写真と思うが、特急色でないことに相当がっかりした記憶がある。そんな程度の感覚の頃であった。
EF60ー512~514号機はEF60の4次量産車に当たり、前照灯は2灯シールドビームであった。
39年、"富士"が電車特急から20系寝台特急に移行する際の増備として製造されている。
EF60-512牽引の上り特急"富士"
1965.8 名古屋駅
月光形寝台兼用特急電車
昭和42年10月、寝台兼用の交直両用特急形電車によって新大阪・博多間の夜行特急"月光"の運行が開始された。
新造された581系は、前面貫通式を採用し国鉄初の非ボンネット型の特急形電車で、月光形電車と呼ばれた。
窓周りは、在来の特急車の赤色から寝台車らしく大胆にも青色に塗り変えられた。
なお、581系は60Hz対応であり、43年から50Hz、60Hz両用の583系が製造されている。
581系は昼夜兼行用として製造され、夜行の"月光"の車両は昼行の新大阪・大分間の特急"みどり"でも運用された。
日豊線大分電化に伴う82系気動車の置換えであったが、581系時代は短く翌年に481系に置換えられている。
写真は43年8月の大阪駅、581系の特急"みどり"である。
クハネ581を先頭に大阪に入線する下り特急"みどり"
最後尾のクハネ581
1968.8 大阪駅
月光型電車は、その後43年10月のダイヤ改正で名古屋・博多間の寝台特急"金星"に投入された。
名古屋でも見られるようになったが、当時はあまり電車を撮っていないので581系の写真はこれしかない。
なお、同時期に昼行の"つばめ"が481系から581系に置換えられている。
長距離電車急行"はやとも"
昭和40年10月、交直両用電車による特急"つばめ"と同時に急行形交直両用電車を使用して"はやとも"が登場した。
熊本電化開業用に製造された471系の改良型60Hz対応の475系を投入して、名古屋・博多間の運行であった。
475系はその後の北陸線急行の増発用でも運行。"はやとも"は43年のダイヤ改正で"玄海"に名称変更されている。
475系試運転列車 クハ455-30
クモハ475-32
1965.9 名古屋駅
471系と同様、475系も当初は電動車のみに車体側面下部の細帯が塗装されていた。
名古屋出発待ちの475系急行"はやとも" 先頭車クハ455
1966.3 名古屋駅
名古屋へ向けて東海道線上りを回送
1965.11 東海道線 稲沢駅付近
同時期に電車化された新大阪・博多間の急行"つくし" 最後尾クモハ475
1968.8 大阪駅
名古屋に戻ってきた特急"つばめ"
往年の東海道線の花形特急"つばめ"は、昭和39年の新幹線開業に伴い新大阪・博多間の運行とされた。
ところが、翌年10月に交直両用電車になって名古屋に戻ってきた。名古屋・熊本間のロングラン運行であった。
鹿児島線の熊本電化を機に、増備の交直両用特急電車481系を投入することで全区間の自力走行を実現している。
151系時代は、直流区間外を交流電気機関車が牽引、広島・八本松の勾配対策用の補助機関車を連結していた。
同時期、東北線盛岡電化により上野・盛岡間の"やまびこ"、上野・仙台間の"ひばり"が電車特急で運行開始している。
60Hz用の481系に対し、これらの50Hz用に483系が製造された。
先頭車は481系と共用で、クハ481-19~28のスカートは50Hz用を示すクリーム色に塗分けて区別した。
50Hz、60Hz両対応の485系が登場したのは、その後の43年である。
名古屋停車中の481系試運転列車
1965.9 名古屋駅
481系下り特急"つばめ" 東海道線稲沢付近を行く
1965.11 稲沢駅付近
下り特急"つばめ" ヘッドマークは電車特急化当時の上下灰色の塗分けが復活している
1965.12 名古屋駅
名古屋出発待ちの特急"つばめ" 最後尾クハ481-1
1967.10 名古屋駅
名古屋を出発した481系特急"つばめ"
1967.10 名古屋駅
北陸線の交直両用急行電車
昭和38年、北陸線の金沢電化開業に合わせて大阪・金沢間で電車急行"加賀"、"ゆのくに"の運行を開始した。
投入された471系は国鉄初の急行形交直両用電車で60Hz対応車両。特急形の481系に先行して製造された。
電動車以外は、同時期に製造された50Hz用の451系を共用した。
撮影当時は、"ゆのくに"が"加賀"に名称統合された後であり、他に大阪・富山間に急行"立山"が運行されていた。
39年の富山電化時から"越山"、"越前"が1年間定期運行される等、北陸線の急行は目まぐるしい名称変更があった。
"加賀"は、その後再び"ゆのくに"に変更されている。
451系と共用のクハ451を先頭にした上り急行"加賀"
1965.12 新大阪駅
米原停車中の上り急行"加賀"最後尾 60Hz対応の電動車クモハ471
1966.1 米原駅
40年電車化の471系下り急行"立山" 先頭クモハ471 当初は60Hz用電動車のみ側面下部に細帯が塗装された
最後尾のクハ451
1966.3 米原駅
米原付近 新幹線と交差する地点を行く上り急行第1"立山"
1968.5 北陸線 米原・坂田
名古屋・金沢間の電車急行は、特急"しらさぎ"から遅れること約2年後の41年に"兼六"が定期運行を開始した。
名古屋に到着した上り臨時急行時代の"兼六" 先頭車クモハ471
1965.10 名古屋駅
41年には米原始発の"くずりゅう"も運行を開始。新幹線連絡列車であり、湖西線開業後も運行された。
米原到着の上り急行"くずりゅう" 手前"兼六"との併結切り離し作業 この頃は付随車も細帯塗装されていた(手前はクハ)
1967.12 米原駅
雪の湖東を行く下り急行第1"くずりゅう"
1967.12 北陸線 米原・坂田