交直両用特急電車 "雷鳥"と"しらさぎ"
昭和39年、北陸線電化の富山伸延に伴って大阪・富山間の特急"雷鳥"、名古屋・富山間の特急"しらさぎ"が登場した。
投入された481系は国鉄初の交直両用特急電車で、北陸線の交流60Hz対応用として製造された。
10月の新幹線開業に合わせて運行開始が予定されていたが、車両の落成が遅れ実際のデビューは12月であった。
初期型の先頭車クハ481-1~8は、スカートが赤色に塗装されたが、「ひげ」の塗装は施されていなかった。
前灯両側のウインカーランプも外され、こだま型と印象が変わったが、幸い名古屋で引続きボンネット型特急が見られた。
「ひげ」が付く直前、旧塗装の特急"しらさぎ" クハ481ー4
1965.7 名古屋駅
交直両用を示す車体前面の「ひげ」が塗装されたのは、翌40年製造の増備車クハ481-9~18からである。
同時に50Hz用との区分のため赤色スカートにクリーム色の帯が入れられ、第1次型も8月から順次新塗装に変更された。
名古屋出発を待つ新塗装の481系下り特急"しらさぎ"
食堂車 サシ481-3
1965.9 名古屋駅
下り特急"しらさぎ" 最後尾は151系同様赤色フィルターを装備
1966.3 名古屋駅
雪の湖東を行く481系下り特急"しらさぎ"
1967.12 北陸線米原駅付近
雪の米原に停車する481系下り特急"雷鳥" 後尾から
先頭車 奥は新幹線ホーム
1966.1 米原駅
米原停車中の下り"雷鳥" クハ481ー2
米原を発車して北陸線に向かう 左は東海道線80系普通電車
1966.3 米原駅
北陸線交直セクション付近を通過する下り特急第1"雷鳥"
1966.12 北陸線 坂田・田村
田村を通過する下り特急第1"雷鳥"
1968.5 北陸線 田村駅付近
新大阪始発のこだま形電車特急
昭和40年12月、新大阪駅で撮影したこだま形電車特急の写真。
39年の新幹線の開業後、こだま形電車特急151系は新大阪発着の山陽特急として運行されることになった。
これにより、名門列車であった"つばめ"、"はと"も新大阪・博多間の運行に変わった。
従前の大阪・宇野間の"うずしお"に加えて新大阪・宇野間に"ゆうなぎ"、新大阪・下関間の"しおじ"が新設された。
電車特急が名古屋を往来した黄金期はカメラを手にする前でも、この頃は新大阪まで行けば151系が撮影できた。
41年10月のダイヤ改正までに151系は出力増強対応の181系に改造され、純正の系統が余命僅かの頃である。
新大阪出発を待つ下り特急第1"しおじ" 赤色フィルターを付けた最後尾のクハ151ー1
先頭車はパーラーカーと呼ばれた1等展望車 クロ151ー1
新幹線開業1年後の40年、"つばめ"、"はと"が481系交直両用電車に置換えられることになった。
これに伴い、151系を転用して新大阪・広島間の特急"しおかぜ"が登場した。
43年10月のダイヤ改正で従前の"しおじ"に統合されたが、"しおじ"は47年岡山新幹線開業後も存続した。
新大阪到着の上り特急第1"しおかぜ"
1965.12 新大阪駅
その後43年8月、大阪駅で撮影した181系に改造後のこだま形電車特急の写真。
大阪に入線する下り特急"うずしお" 先頭はクロハに改造されずに残されたクロ181(推定)
乗車風景 最後尾のクハ181
1968.8 大阪駅
歴史を紐解けば、昭和33年11月、ビジネス特急と謳われた"こだま"がデビューして、誰もが知る存在になった。
8両編成で、東京・大阪、神戸間各一往復、途中停車駅は横浜、名古屋、京都で東京・大阪間を6時間50分で結んだ。
35年、列車特急の"つばめ"、"はと"が電車化され、第1、第2"つばめ"となった。所要時間は6時間30分に短縮。
パーラーカーのクロ151が製造されて下り先頭車となり、全室食堂車サシ151を組込んだ豪華12両編成になる。
翌36年10月のダイヤ改正の特急大増発で、東海道線の電車特急も最盛期を迎えた。
東京・大阪間で第1、2"こだま"、第1、2"つばめ"に加え"はと"が復活、東京・宇野、神戸間で第1、第2"富士"を運行。
さらに東京・名古屋間の"おおとり"、大阪・宇野間の"うずしお"が新設され、当時は11両編成で運行された。
他にも157系による不定期特急第1、2"ひびき"が運行されていた。
38年、再び12両編成にして輸送力増強が図られたが、翌年の新幹線開業とともに電車特急は東海道から姿を消した。
花形電車の華やかなりし時代は、たった数年間のことである。
30年代後半の名古屋停車中の特急"富士"の写真が手元に残っていた。当時は小学生なので自分で撮ったものではない。
誰が撮ったのか分らないが、チャンピオンマーク(狭軌最高速度記録)のプレートを付けたクハ151である。
30年代後半の名古屋駅
修学旅行専用電車
昭和34年、ベビーブーム世代の中学生の修学旅行受入れという時代の要請で、修学旅行専用電車が登場した。
東海道線の修学旅行客の需要に対応するもので、関東地区用が″ひので”、関西地区用が"きぼう"の愛称が付された。
東海形電車153系をベースに製造された155系が投入され、ひので形電車と呼ばれた。
修学旅行色といわれた朱色と黄色の明るい独得の配色で塗装され、塗分けも153系とは異なっていた。
名古屋を出発する155系下り"ひので"
1966.3 名古屋駅
名古屋停車中の155系下り"ひので"
1968.5 名古屋駅
名古屋に到着した155系上り"きぼう"
1965.11 名古屋駅
36年、中京地区用に159系の"こまどり"が登場。中学校の東京方面の修学旅行で乗車したが、写真は撮っていない。
修学旅行色の159系臨時急行”ながら” 159系は当初から臨時電車での運行が前提とされていた
1966.3 名古屋駅
40年、東海道線の修学旅行専用電車が増発され、関東地区用に”わかくさ”、関西地区用に”わかば”が登場した。
名古屋に停車中の155系上り”わかば”
1966.10 名古屋駅
"わかくさ"には165系をベースにした167系が投入された。
尾張一宮を通過する167系の下り”わかくさ”
1966.4 尾張一宮駅
湘南電車
湘南電車80系は生まれる前から東海道線を走っていて、当たり前過ぎる存在なのであまり写真を撮らなかった。
昭和25年製造の2次車以降のクハ86は前面2枚大型窓。湘南形電車と呼ばれて鉄道史に名を残している。
前面デザインはEF58をはじめとする機関車や私鉄車両にも影響を与えたとされ、今でも地方鉄道で面影を見る。
しかし、長きに亘り受継がれたのは後に登場した東海形電車の前面デザインであったことは周知のとおりである。
その流れをくむ数多くの車両が今でも至る所で健在である。
80系6連東海道線上り普通電車 米原付近を行く
1968.5 東海道線 米原・醒ヶ井
名古屋停車中の80系8連東海道線下り普通電車
1966.10 名古屋駅
名古屋を出発する東海道線上り普通電車
1965.10 名古屋駅
準急用に製造された80系300番台 右は関西線特急"くろしお"
1965.11 名古屋駅
名古屋に到着した80系300番台の東海道線上り普通電車
1966.3 名古屋駅
初期型の3枚窓はクハ86001~20 たまに来る3枚窓は必ず撮っていた
1967.12 米原駅
名古屋を出発する3枚窓クハ86の80系東海道線上り普通電車
1965.10 名古屋駅
東海道線上り普通電車 熱田付近を行く
1965.8 東海道線 名古屋・熱田
クモユニ81郵便荷物電車 東海道線下り普通電車に併結
右は中央線西線のキハ17系気動車
1967.7 名古屋駅
近郊型電車113系は、38年から大量に製造されていたが、名古屋地区には投入されていなかった。
当時は、関西から米原まで来る113系の方が湘南形電車より物珍しかった。
113系米原始発の東海道線下り電車
1965.12 米原駅
1966.3 米原駅
新幹線開業後の東海道電車急行
昭和35年6月、東京・大阪間に国鉄初の電車急行が登場。準急用として製造の153系を投入した急行"せっつ"である。
36年、早くも東海道線電車急行の黄金期を迎え、増発の列車も"せっつ"に倣い、関西由来の地名、旧国名等が付された。
37年に山陽線広島電化に合わせて東京・広島間で運行された急行″宮島″のみが、関西一色の愛称の例外であった。
同一区間の運行であっても各々の急行列車に愛称が付されて大型ヘッドマークを取り付けていた時代であった。
39年10月の新幹線開業後に元祖の"せっつ"は名を消したが、急行"なにわ"、"いこま"、"よど"、"六甲"が存続した。
定期列車が"なにわ"のみとなる40年10月のダイヤ改正を控えて、ヘッドマークを目当に列車を追いかけた。
153系上り急行"いこま" 東海道線岐阜付近を疾走
1965.9 東海道線 穂積・岐阜
名古屋に到着する下り急行"いこま"とホーム上の光景
1965.6 名古屋駅
下り急行"いこま" 舗装道路がまだ少ない時代
1965.9 東海道線 熱田・名古屋
これらの電車急行は、1等車2両を挟みビュッフェ付き二等車サハシ153を両側に連結する編成であった。
岐阜停車中の急行"なにわ"のビュッフェ合造車サハシ153 その先は1等車サロ152
1965.9 岐阜駅
下り急行"六甲" 岐阜付近の踏切風景
1965.9 東海道線 岐阜・穂積
名古屋停車中の上り急行"六甲"
1965.9 名古屋駅
上り急行"よど" 名鉄電車と並走区間を行く
1965.9 東海道線 名古屋・熱田
40年10月以降、定期運行は"なにわ"の2往復のみになり、43年10月、"なにわ"も廃止された。
東京・大阪間の電車急行が姿を消したのは、"せっつ"が登場してから僅か8年後のことであった。
臨時列車になった下り急行"よど" 秋の臨時列車として10月末まで運行された
1965.10 名古屋駅
定期列車として唯一愛称が残された上り急行第2"なにわ"
1966.1 名古屋駅
名古屋停車中の下り急行第1"なにわ" 高運転台車登場後も低運転台車が併用されていた
1966.10 名古屋駅
ヘッドマークは板をめくって列車名を変更するスタイルであるが、最早1枚しかないように見える
クハ153ー500番台 高運転台の顔
1967.10 名古屋駅
下り急行第1"なにわ"
1968.1 東海道線 熱田・名古屋
不定期列車として運行されていた急行"いこま" 大阪到着 後2か月の運命
1968.8 大阪駅