東京タウンウォッチング 再び「墨田スカイツリー」から向島へ…。見番通りの趣ある料亭
~経営コンサルタント・安岡裕二の「東京タウンウォッチングガイド」~
「向島芸者」の名で知られた辺りです。見番通りの名前が付いています。三味線の音色が聞こえるには…チト、早かった!?(>_<)
そこで…インターネットから拾い読みしてみると…、
見番通りの「見番」ってなに? | |
「見番」は「検番」とも書くみたいね。吉原で女芸者の風俗取締りのために創設された検番所が起源みたいよ。いまは、「見番」と書いているところもあるけど、地域によっては、「検番」の字を使っているところも多いのよ。 | |
「検番」だとなんだか、検査されているみたいでちょっと抵抗があるなあ~。検番通りだと嫌かも・・・ | |
見番は置屋と料亭の間を取り持ち、花街のシステムを統括し運営する、花柳界の組合事務所なのよ。向島では、昭和61年11月15日に「芸妓組合」「料亭組合」「料理屋組合」が合併し、向嶋墨堤組合となり、「見番」とよばれているんだよ。 | |
以前は、芸妓組合、料亭組合、料理組合と3組合あったんだ。それがどうして合併したの? | |
昭和20年代の半ばは、向島では料亭・料理屋150軒、芸者約600名位の規模だったんだけど、花街でも話したように、第一次オイルショックをきっかけに、その後のバブル崩壊や官官接待への批判などで、政界財界の花柳界への利用が減少していき、料亭も少なくなっていけば芸者をよぶ事も少なくなり、各々の組合で管理・運営することが難しくなっていったんだ。そこで、3組合が合併し、向島2-9-9に向嶋墨堤組合をつくり、「見番」と呼ばれるようになったんだよ。 因みに |