忘年会3題① 大江戸吟酒会 謎のマドンナ091201(渋谷山葵)
~経営コンサルタント・安岡裕二の「東京タウンウォッチングガイド」~
大江戸吟酒会の忘年会が12/1でしたから、忘年会の皮切りといった所でしょう。
例によって、日本酒党三代目総裁の謎のマドンナによる選定で、日本酒専門の酒盛りが始まった。
えっ! 何が謎ですって!? チョッピリ明かしますと、画像に見るように、いつも変わらぬ“いい女”という感じなんですね。日本酒の解説より、マドンナの顔を見惚れながら酒を愉しむ…てなとこですな。(*^_^*)
中は、北斎を名乗る僧籍に入るかも知れないという解脱寸前の幹事さん。こちらも粋人というか、真摯というか、一寸謎めいていますね。しかし、美女にささやかれてやに下がる所は解脱にほど遠いようでもあります。失礼
下は、2次会に誘われて、立ち寄ったスナックのママさん。いささか古びたビルで、年季の入ったママが1人で頑張っているのが良いですね。人世の哀感が漂う…な~んてね。
こういう店は、会話中心が好みなんですが、ナゼか大抵カラオケになってしまう。残念(>_<)
正岡子規 歴史ヒストリア NHK 091202放映
~経営コンサルタント・安岡裕二の「東京タウンウォッチングガイド」~
NHKで、ヒストリアという歴史の秘話を明かす面白い番組を放映している。画像は、12/02の「正岡子規」編。スペシャルドラマ「坂の上の雲」が連続放映中に因んだものか子規が登場した。
右は、若き日の親友夏目漱石。大学時代からの交際が長く、漱石がロンドンから手紙をくれたり、子規の主宰した俳壇の句集に投稿したり、子規が漱石に惚れ込んだフシがある。
下の画像は、余りにも有名な「柿食へば 鐘がなるなり 法隆寺」の夕焼けを背景にした子規である。(*食えば…ではない)
秘話とは、この句が漱石が投稿した句にリズムがそっくりな事にある…という。
そして、子規が真似たのではなく、漱石に対する敬愛の念を現したものではないかという憶測である。漱石の句は覚えていないが、確かにリズムに共通するものがあった。
こんな絵解きを聴きながら見ていると、随分以前に独り旅で法隆寺を訪れ、そうそう、こんな夕焼けの頃の境内で、ホントに鐘の音を聞きながら物思いに耽った事を想い出しました。あの頃は、旅のリズムもおっとりしたもので、懐かしい思いがします。
フフフ、懐かしき日々に (*^_^*)
デフレはサービスのチエを呼ぶ
~経営コンサルタント・安岡裕二の「東京タウンウォッチングガイド」~
お弁当やお寿司の持ち帰りをした時に付いてくるお箸。袋の中に入っているつまようじ、袋を破る時につい無雑作に扱ってチクリと指に刺した経験のある方も多いに違いない。そんな方の為に、親切に袋に注意書きが付いていた。“つまようじ入り”の文字とイラストがあり、「開封時にはご注意下さい」とある。
3日ほど前の朝、JR東京駅のコンビニ「ニューデイズ」の前で店員さんが「おにぎり100円!!」と通勤客の視線を引き付けようと声を張り上げていた。大手居酒屋などの呼び込みで珍しくもない光景だが、駅構内の最強立地でおっとり構えているように見えるJRのコンビニがここまでやるか!? という所にデブレの厳しさを感じた。
次ぎにJRの改札を出ようとしたら、スイカをタッチする場所に“しっかりタッチ”?だったかの文字と共に赤枠のシールが貼ってあるのに気が付いた。これも、若い人がいい加減にタッチする為、赤ランプが点灯、流れが止まって迷惑する事を経験した方も多いと思う。そんな客の不満を吸い上げた、カイゼンだろう。
前に取り上げた男子小用トイレの標的なども清潔感を保つチエだ。関東でも普及するのは近い予感がする。
注意すると、身近な実例で色々な処に発見する事が多い。お客様に“好きな店”になって貰う為には、希望や苦情を話しやすい、伝えやすい工夫をする事が大切である。
周年記念イベントとトップの価値観の関係~伝統か現代(流行)か!?
~経営コンサルタント・安岡裕二の“デフレを乗り切る”経営戦略・戦術(コラム)~
素晴らしい美声のカルメン「闘牛士の歌」に始まり、若さ溢れる慶応大チアリーダーの華やかなショー、国際色に染まったモロッコ、パラグアイの各全権大使らの祝辞…とエンタテイメントとGlobal時代を印象づける飽きさせない演出だった。
長年お付きあい戴いている(北島社長)が率いる「日本緑茶センター」創立40周年記念バーティでの事。
企業の1つの区切りとして、○○周年記念祝賀会がしばしば行われるが、こうしたパーティにも時代の変化に対するトップの価値観が現れるものだと妙に感心した。というのも、1ヶ月ほど前の創業90周年記念式典の後の祝賀会が、創業者と交流の深かったご年配同業者の祝辞、鏡割りと伝統的祝賀会だったことを思い浮かべて大きな違いに“トップの価値観”ということを感じたものでした。
社歴の長さの違いに加え、方や海外からの輸入商社、一方は国内で造り国内向け需要中心という業態の違いからくるものが大きく、一概に良し悪しを論ずる事はできない。
かねて、経営では、不易流行(変わらざるものと変わるもの)のバランスは、業態によって、6:4であったり、5:5 或いは、4:6であったりするのが良い…と考えている。不易流行は、芭蕉が唱えた考え方ですが、芭蕉は“変わらざるものと変わるもの、ついにはひとつに帰する”とも言っています。博報堂が「不易流行研究所」を作った位ですから、真理を見極めるのは難題。
伝統と革新と言い換えても良いのではないかと思っていますが、つまる所は“トップの価値観”によって、経営の針路は大きく変わると言えます。個人的には、「変わり目を捉える感度、アンテナを磨いて、時代の流れを捉える」ことが将来を大きく左右すると思っています。
その意味で、早くから紅茶、中国茶など世界のティーの普及に着目し、今日の追い風を生み出した北島さんのセンスと決断力が、この記念パーティに結実されたものと好感を持ちました。もう一つ持ち上げると、“感動”という響きが感じられるイベントでした。感謝!(^_^)
東京タウンウォッチング 東京駅エキチカ「黒塀横丁」の粋(いき)
東京駅地下八重洲北口から丸の内北口へ抜ける自由通路に面して日本食堂みたいな旅行客目当ての平凡なレストラン街があったことをご存じの方もいらっしゃると思います。
あの辺りをJR東日本でリニューアル、地下1階を「キッチンストリート」地下2階を「黒塀横丁」に衣替えしました。
近年エキナカ、エキチカで新収入源の多角化を進めるJR東日本が、旅行客以外の日本橋口や丸の内北口から大手町にtけてのビジネスマンを見逃す手はない。…という訳で誕生したのがこのゾーンというわけ。
特に、地下2階の「黒塀横丁」は、黒板塀風の外装が立ち並び、照明も落として、“江戸時代の風情”を漂わせていると言えなくもありません。まあ、“粋”と言っても良いのではないでしょうか!?
ナゼこんな発想が生まれたのかって? 江戸の頃、この辺りには上屋敷があり、その証拠に丸ビルの前の通りに「大名小路」という名前が付いている事からも分かります。その連想でしょう…というのが、私の勝手な憶測なのであります。
東京エキチカ「キラピカ通り」
~経営コンサルタント・安岡裕二の「東京タウンウォッチングガイド」~
「キラピカ通り」…な~んて、知ってます!? 日本一とも言われる八重洲地下街の最もJR寄り南北に走る1番街にそんな名前を付けたらしい。
ラーメンストリートじゃないが、勝手にいろんな名前を付けるのも楽しいんじゃないですか!? 印象に残るネーミングを付けられたら、成功というものですね。「キラピカ通り」も一度聞いたら覚えて貰いやすいようだ。