『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳 宇宙の橋を渡って10

2011-11-17 11:52:06 | 翻訳

 

 文壇デビューと同時に僕は学校に辞表を提出した。そして20代が幕を下し30代が幕を開けたその時、無鉄砲にも上京し職業作家の道へ足を踏み入れた。無数の小説家の中で生き残ることができるというわずかな保障もなく、一種の無茶をやったのだ。一体全体何を信じてそんなに果敢な決断を下すことができたのか。<o:p></o:p>

 

 当時僕が持っていたものとは文学に対する厚い信仰心だけだった。厚い信仰心ではなく狂信的な信念だったかもしれない。文学のためなら命をかけることもできるという若い日の過度の熱情、それ以外僕が持っているものは別に何もなかった。その時はっきりと悟ったことはただ一つ、職業作家というのは「明日がない人間」だということだった。<o:p></o:p>

 

 僕は文壇デビュー直後から夜作業するフクロウ型の生活をした。その時は毎日徹夜で創作し、朝6時ごろに就寝した。正午頃に目覚めて湧水に行きぶらついているうちに、深夜になりまた作業を始めた。1日に3箱ほどの煙草を吸い、小説1編を書き終えると2泊3日ずつ暴飲した。当然体に無理が来るのは仕方なかった。いつからか寝床から起きることもできないほど深い疲労を感じはじめた。机にたった10分も座っていることもできないほど疲労していた。睡眠不足のせいかと思って長く寝てみたがどんなに寝ても疲労が消えなかった。漢方医院に行くと、若い漢方医が脈を取って「どうして今まで来なかったんだい。」と気の毒そうな目つきで僕を見つめた。それで気分が悪くて別の病院に行ったら、慢性疲労症候群で煙草をやめなければ回復しないだろうと言われた。<o:p></o:p>

 

 数日病床に伏していたら名状しがたいほど悲しくて耐えられなかった。作家になるために生きてきた歳月、たかが慢性疲労症候群によって挫折させられるためにここまで苦労してきたのかと思うと、まぶたがうずいた。ぱっと起きて鬱憤の力で煙草を丸ごと折ってしまった。小説を書くために煙草を完全にやめてしまったのだ。<o:p></o:p>

 

 煙草をやめても煙草よりもっと恐ろしい内面的な欠乏感が残っていた。文壇デビューするや否や「90年代作家」という肩書で活発に作品発表をするようになったのは本当に幸運なことだったが、発表をすればするほど内面的な欠乏感と不安感が高まり毎回文を書くことが苦痛で苦行の過程のように思われた。どうしてそうなのか、七転八倒しても根本的な答えを得ることはできなかった。時間がたてばたつほど僕が文を書くのではなく、無理に絞り出しているという思いがして耐えられなかった。一生の間文を書こうとデビューしたのに序盤からこんな枯渇状態に苦しむとは、僕自身があまりにも情けなく感じられた。<o:p></o:p>

 

 1988年文壇デビューしてから1999年「僕の心の屋上の部屋」でイサン文学賞を受賞するまで10年間僕は休まず前だけ向いて進んだ。<o:p></o:p>

 



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