日本語であっても村上という名前を考えてみれば、その名前を持った作家某とか日本のミュージシャン某とか、私が行ってみた都市の名前といった羅列に過ぎなかった。そうすればブリリアント・グリーンというロックグループの「There will be love there」を知っているかと尋ねた。彼はもちろん日本人ならその歌を知らない人はいないだろうと言った。私はではXジャパンの「Say anything」を知っているかと尋ねた。彼は、もちろん自分と同年配の30代の日本人であれば、誰でもXジャパンをよく知っているだろうし、その歌は自分も本当に好きだと言った。私はではその二つの曲のタイトルを日本語で言うことができるかと尋ねた。彼は事もなげに、もちろんですと1回目は韓国語で自信をもって言った。そして歌のタイトルを日本語で発音してから自分の後から試せと言った。私は私の耳に届く彼の発音と全く同じように言おうとした。彼は声を出さずに口を広げて大きく笑った。どうもありがとうございます、私はわざと上手に日本語で挨拶をした。日本語を口にするのは極めてまれだが、おかしなことに日本語をいくつか話す場合は私の体にひょっとしたら日本人の血が流れているのではないかと、少し混乱することもあった。観覧客の列がめっきり縮まって、私たちはいつの間にか入場券売り場の窓口近くに来ていた。彼と会話が行ったり来たりする度に、子供の目が声の後を追ってあちこちと忙しく往復した。子供は時々明るく笑う彼と私を見て、とても満足したように今度は私の腕にぎゅっとしがみついた。とうとう料金表が見えた。私が子供の料金を確認しようと背を伸ばして子供の腕を外した瞬間、彼が子供の背に合わせて体を傾けた。うん、ところでジャックが何ですか?子供がちらりと私を見上げた。同時に彼が子供の口の近くに自分の耳を持っていった。私はぎくりと驚いて、手探りで子供の口を探した。子供は私の手の内から脱け出そうとひどく顔をしかめた。「動かないよ!」子供は噛むように私の手の間で口を利こうとした。つぶれた口から言葉がつぶれて出てきたが「動かない!」という声が飛び出すや否や、私はやけどをしたように子供の口から手をすっと外してしまった。尻尾がばれた九尾狐は私ではなく子供だったようで、たった今手に触れていた小さく幼い存在がただ気味悪いだけだった。私の目には子供がチマチョゴリの裾にやっと隠していた母親の尻尾を所構わず暴いた子狐に見えた。釜山に、3回、行ったことがあります。彼が体を起こして私に言った。その小さい疑惑が果たして私の心の中から出てきたものか、今までとは違う目で子供を観察しようとして、彼の言葉を聞きのがした。何とおっしゃいましたか?子供が悲しそうな目で私を見上げた。釜山―、今度は私が子供の後から繰り返した。あっ、釜山―! 子供の瞳に蛙の卵のような柔らかいものが浮かんだ。子供は釜山に行ったことがなかった。釜山を、韓国の南端へ、3人はこれ以上言葉のない人のように平然と黙って順序に従って、少しずつ歩みを止めた。ついに入場券売り場の窓口に着いた。子供は結局入場料を払わなければならなかった。彼はあくまでも子供の入場料を出そうと言った。私は入場料を出してくれる代わりに、しばらくここで子供と待ってくれないかと頼んだ。<o:p></o:p>