『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳 ミズダコに尋ねてみて3

2011-12-17 21:51:18 | 翻訳

 

財布に現金が十分あれば問題になることはないが、万一有料入場が宣告されれば私は再び来るかお金を両替してきて始めから列に並ばなければならない情況だった。私は列が短くなればなるほど、がちょうのように首をぬっと伸ばしたまま1回ずつ足踏みしていた。子供は私の事情も分からず、飽きずに私の脇腹をとんとん突き続けた。いつの間にか子供は村上と会話を始めて通訳として私を参加させようとしていた。年は何歳ですか? 私は子供がさせるままに日本人に英語で尋ねた。もちろん私の表情は、子供の無料入場ができるかどうかで悩んでいるから、苦しい様子が現れていた。34歳です。彼も英語で答えた。子供は私が通訳してやる度に確認するように復唱した。ぼくのママは・・・・私は頭の中で一生懸命計算している子供を脇にやって、彼にわびる一方、子供に初めて会った人に年齢を尋ねることはとても失礼なのだと注意した。そう言うと、今度は彼が子供の年を尋ねた。8歳、いや7歳。今度は子供が彼の質問を理解して直接答えた。彼は面と向かっているかのように大きな微笑を浮かべてくれた。子供はそれで彼に強い親近感を感じたのか、どこで誰と一緒に暮らしているのか聞いてくれと私に正式に要求した。私はこの子―? と言って、難色を見せたがとうとう引き下がらない子供の言葉を伝えた。横浜、一人。彼は面白いのか、更に優しく笑いながら子供の頭を手でなでた。子供も私も彼の言葉を聞いてしばらくうろたえた。明らかに彼が話した言葉は韓国語だった。一人? 子供の表情が春の花のようにいっぱいに開いた。私は顔を赤らめた。彼は初めから私と子供の言葉を理解していたということか! 少し、韓国語、話します。子供と彼は私抜きでとぎれとぎれに会話を続けた。しばらくして、彼は旅行雑誌を折り畳んで脇に挟んだ。私は依然として目で両替所を探した。しかし、両替所がないということはとっくにわかっていた。私は村上。彼の言葉が終わることが恐ろしく子供が受けた。私はコンピューターエンジニア。子供はまるで失ってはならない重要な暗号文のように、彼が話す度に私の手を引っ張った。子供は彼が韓国語を話すということが不思議で、一心に探していたただ一人の人に会ったかのように幸福に満ちた瞳をした。僕のママはー 子供がすんでのところで私のことを話すところだった。私はとっさに子供の口をぐいっとふさいだージャックが。<o:p></o:p>

 

私は誰か聞くのではないかと後ろを向いてみた。聞いてみても誰も理解できないはずだが、私は尻尾がばれた九尾狐のように青くなった。ちょっと、子供入場料をひょっとしたらその本でわかる? 火災をかわすために脇に挟んだ冊子を指して慌てて彼に尋ねた。彼は少し子供とめんくらったような表情をしたが、すぐに誠実に冊子をめくり始めた。私の事情をだいたい察した彼は万一子供入場料を出さなければならない場合は自分が出すことができると好意を示した。私は現金でダメな場合はドルで通用するだろうと丁重に遠慮した。子供は自分の入場料を出してくれるという彼の言葉に一層勇気づけられ、私よりもかえって彼と家族のようにぴったりくっついた。子供の表情を見ると彼の気遣いに報いるために面白いことを伝えようと気をもんでいた。僕のパパは天に・・・・私はおしゃべりな子供を後ろに押しのけて、英語と片言の日本語で彼に絶え間ない質問を浴びせた。<o:p></o:p>

 

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