図書館で「大活字文庫」と呼ばれる本を借りてきた。日本眼科医会の推計で百万人いると言われる弱視者や低視力者が、裸眼で楽に読めるという大活字本である。
(縦1列に21文字しかないのである、実に巨大な活字で読みやすさは抜群である。この種の本は、あっという間い読み終えることができる。これも良い!)
どうせ読むのなら老人向けのものをと思い、次の著書を選んできた。
「老人力」作者: 赤瀬川原平、出版社/メーカー: 筑摩書房、発売日: 1998/09
加齢による衰えを肯定的に捕らえる言葉。慣用句として「最近あなた耳が遠くなったわね」
「ほう、ワタシにも老人力がついてきたようだな」というように使う。1998年流行語大賞。
参考;上記だけでは、解り難いのでこんなものを引用してみる。
「基調講演」 ”老人力のみひつ” 芥川賞作家 赤瀬川 源平
http://www.sanson.or.jp/sokuhou/no_776/776-9.html
「老人力」という言葉が世に広まってしまいました。「老人力」は、路上観察学会という、クラブみたいな趣味の会の中からひょいと出てきた言葉なんです。その路上観察学会というのは、遊びの会なんですね。何かためになるわけじゃなく自分たちがそういうことを好きだからぶらぶら歩いてやっているということなんです。
・・・(中略)・・・
それが直接どうなるということではないんですけれども、人間の中を通ってめぐりめぐって世の中に何らかの力を及ぼすみたいな、「老人力」という言葉は、いわばそれなんですよね。
・・・(中略)・・・
ぼけてきてこれはちょっとまずいなということになってきた。そこで何かおもしろい言葉はないかというんで、物を忘れるようになってきたということを「老人力がついてきた」というふうに言いかえようという、要するにシャレなんです。
・・・(中略)・・・
老人は、当然ながら筋肉が衰えてくるけれども、衰えた良さというのが実はあるんじゃないかと考えるわけです
。・・・(中略)・・・
女性と老人力との関係はどうなのかという問をする人がいますが、老人力というものを、ぼけ味といった場合には、やはりおじいさんといいますか、お年寄り、60過ぎぐらいの人で、やはり男になっちゃうんですよね。
・・・(中略)・・・
それはこここでは「老人力のひみつ」というふうになっていますけれども、僕は「老人力の勇気」みたいに言ったりもするんです。若者中心、筋肉中心の考え方からいうと、衰えていく力というようになると思うんですけれども、むしろ衰えることによって入ってくる力ですね。弾き返したものが自然に入ってきて、それを捕まえられるという、それは非常に地味だけれども、内面的には勇気の要ることだと思うわけなんですよね。
言いたいことは、余りにも今の世の中は頭で考える論理優先といいますか、機能優先、経済優先といいますか、そういうことになり過ぎている。しかし、そうじゃないところの、そういう考え方の世界からちょっと押し退けられている、落としちゃっているものを見ないと、結局は人生何もなかったということで終ってしまう。
本当の楽しみというのは、機能を離れて、お金を離れて、多少のお金というのは要りますので、お金を捨てるということは非常に難しいことですが、これができたら大変な哲人になれると思うんです。