12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

B&B

2007年01月31日 05時34分55秒 | Weblog

同窓生の不動産会社を経営する手品師君から、CD4枚を頂いた。

 筑波大学名誉教授 村上和雄先生の講演会を録音したものである。

1枚1時間、計約4時間の長い講演である。

手品師君は、既に100回以上聞いたとメールしてきた。

小生も津山詣での道中、面白く聞かせていただき、既に5回を超えたのである。

玉原半農半漁人さんにも、お節介とは思いながら、COPYをどうぞと押し付けてしまった。

今回は、先生の沢山ある素晴らしいご研究から、一つだけユニークなものをご披露しておくこととする。

 糖尿病の患者さん二十数名にお願いして、

前日は、昼食後大学教授から「糖尿病に関する講義」を聞いてもらい、食前と講義後の血糖値を計測。

 当日は、昼食後,吉本興業の「B&B」の漫才を面白く聞いてもらい、食前と漫才の後の血糖値を計測したのだそうである。

驚くなかれ、退屈な講義の後に比較して、漫才の後での血糖値は、驚くほど低かったのである。
(全部で3回、同じ実験をして、同種の結果を得た)

この実験の1ヶ月後、海外の一流研究誌にこの論文が発表され、世界的な注目をあびたのであった。

まさに「病は気から」である。

漫才を楽しんで病気が治れば、こんな素晴らしいことはない。

 先生は、「楽しい治療」を目指して、色々御研究中である。

こんなお話を、何度かに分けて続編として、ご披露する予定である。


新しい門出

2007年01月30日 06時46分48秒 | Weblog

「待ち合わせ」のことを、
「デート」と書こうとして、辞書を引いてみた。

「異性と会う約束」又は
「会合の相手(異性の)」とあった。

 したがって、
「男性ばかり3人が、デートした」の表現は、誤りとなる。

正しくは、
「新しい俳句の先生と世話人Sさんと小生とで面談をした」である。

まわりくどい、出だしとなってしまった。

小生より遥かに若い、五十代後半、現役世代のお方を、我々の新しいお師匠さんとしてお迎えすることが出来た。

 現役ゆえに、非常にご多忙であるのを承知で、ご無理をお願いしたのである。

これで順番通りなら、
「天のお迎え」は、小生の方に先に来る勘定になった。

先々の先生の心配は無くなったのである。


初句会は、14日である。(残念ながら、急用のため、欠席した)
もうそれほど準備期間はない。

急いで、句会の運営方法について、事前の打ち合わせを、行ったのである。

一安心である。

句会のメンバーの皆様、ご安心ください。

今年は、亥歳です。

新しい門出です、張り切って、楽しく頑張りましょう。


追記;
新しい先生は、県下で指折りの上手と評判の方である。

生徒の方のレベルと格段の差があるのだが、先生の方も指導者としては新人である。

これで五分五分であろう、愉快な楽しい句会が続くことを祈念している。


思春期

2007年01月29日 05時40分19秒 | Weblog

 「男はつらいよ」シリーズ全48作の放映が、ついに終了。

 最終回作品は、「寅次郎 紅の花」であった。

この作品では、冒頭に岡山県の美作地方、勝山、津山などが登場した。

締めくくりに、なじみのある地方が登場することは、なんとなく面映ゆく感じた。

寅さんは、現実離れした人、既成の常識や概念を超越した滅茶苦茶な人である。

 それでも山田監督は、「滅茶苦茶なるがゆえに、非常時には大活躍ができる人」ともコメントしている。

また「思春期」について、監督が自分の体験として説明していたのは、

「ああなんと素敵な人かと惚れ込んで、すぐに俺のようなものでは到底幸せにできないと諦める」

この間たったの30秒だったそうなのである。

寅さんの心境も、このようなものであると言う。

さらに、映画の制作にあったって、

1. まず映画の構想を組み立て
2. マドンナを決め
3. 原作・脚本を書く

のだそうである。

なにしろ、48作中39人のマドンナが登場するのである。

失恋48連発なのか、39連発なのかはよく判らないが、

寅さんは、とにかく不器用で「永遠の思春期」を過ごしていると言う。

なんと素晴らしいことであろうか、羨ましき限りである。

我々観衆は、喜劇と失恋という悲劇とが織り成す場面から、元気や活力をもらっているのである。

「トップにならなくてもいい、日本人らしく生きたい」と訴えたいと監督は言ったが、

小生は一人旅で、「永遠の思春期」を過ごしたいと念願している。


チャングム

2007年01月28日 05時18分29秒 | Weblog

「冬ソナ」に続く、韓国製ドラマの大ヒット作である。

以前大変人気の高かった番組で、再放送までされたものである。

 ドラマの正式な題名は、「大長今」である。

 「長今」すなわち「チャングム」と発音するようである。

これは、実在人物の人名である。

 「大」とは、官位である。

儒教制度のため、女性は高い官位につくことが出来ない時代のこと。

大臣相当の高い一代限りの特別の官位(「大」すなわち「デ」と発音する)を授けられた人なのであった。

 したがって、正式には、「デ・チャングム」と発音するのであろう。

内容は、むしろ「おしん」のような、「一途な忍耐・努力」に加えて、「復讐・献身」物語の宮廷版とでも言うように思えた。

日本の最近のドラマと、何かが違うのである。

共感と感動とをもたらし、且つ清純な恋物語でもある。

理屈抜きで面白いのである。

この秘密を解き明かすことができたら、大ヒット間違いなしのドラマが生まれることであろう。

最近NHKで「完全版」の放送が始まった。

「完全版」とは、一部カットされたものを含め、すべてセリフをハングル語発音とし、日本語テロップを配した物となっている。

以前は、夜遅い番組であったが、中年以上の早寝組のリクエストが多かったのであろう、BS2の午後7時台の放送となった。

小生にはありがたい時間帯である。

また、当分楽しめそうである。


おでん

2007年01月27日 17時36分25秒 | Weblog

 金木犀の香る秋から春先までは、おでんの季節である。

幸い、家族全員大好きである。

おかげで、メニューの品数をこれで代替できる。

 合理的で手間が省ける優れものである。 

それに、美味しい、おやつにも・酒のさかなにもなる。

先日は玉原半農半漁人さんから、次いで、ご近所からも次々と、大きな大根を頂く。

これらで、おでんを続けられると、ほくそ笑んでいる。

インターネットで、沢山の「おでん」情報を見たが、とても、沢山ありすぎて書ききれない。

各御家庭単位に、それぞれ「おでん」が在るように思えてきた。

大変な数である、これでは記事にするのは、無理とあきらめた。

どうぞご自由に、パソコンに向かって検索してください。

投げやりで、すみません。

それとも、いまさら「おでん」なんかチャンチャラおかしい、とおっしゃるであろうか。

 

本日、パソコンは、修理完了して、無事帰ってきました。

本当のところ、パソコンは壊れてなく、モデムが不調のようです。

対策が完了するまで、有線接続で運用しながら、

これから、ボツボツ書き込んでまいります。


労研マントウ

2007年01月09日 05時57分00秒 | Weblog

今回のお題は、何かお分かりになる方が、少ないであろう。

「マントウ」とは、蒸し饅頭のことである。

子供の頃よく食したものに、労研マントウ(倉敷労働科学研究所が発明したマントウ)と言うものがあった。

とても素朴な味で、食物の少ない時代には、大変美味しく食べたものであった。

米粉を主体としそれに黒豆を散らした、蒸し饅頭。

外見的には、中華饅頭(ただし、内部に具が無い)そのものであった。

現在は、松山市でないと手に入らないようである。

倉敷労働科学研究所は、大原美術館で有名な大原孫三郎によって設立され、現在も立派に活動している機関である。
(現在は、労働科学研究所と呼ばれている)

 この研究所は、労働者の健康管理・維持・増進に幾多の貢献をしている。

その一つとして、栄養改善を目的として、このマントウが発明されたのである。

 孫三郎が
「わが財産を 世のため人のため 使い切る」
ことを志したのは、二十歳のときであった。

「わしの目は 十年先が見える」と発して、
美術館建設・孤児院援助・病院建設など多くの社会福祉活動を行った。

そして驚くべきことに、全ての事業が、現在も立派に機能しているのである。

その時々の局面で、
「大真面目で全力投球」したのが、彼の取り組み姿勢であった。

誰にでも出来ることではない。

社長・重役さんには、「会社は誰のものか」、お考えになったことがおありですか?

お役人さんには、「お役所は誰のものか」、お考えになったことがおありですか?

政治家さんには、「国家は誰のものか」、お考えになったことがおありですか?

とお聞きしたいものである。

ぜひとも、孫三郎の生き方を見習って欲しいものである。


2007年01月08日 06時08分34秒 | Weblog

せいぜい1年に1度か2度の積雪しか経験しない、温暖な町に住んでいる。

雪の「楽しさ」を知らない代わりに、「厄介さ・恐ろしさ」も知らないのである。

小生の辞書には、「無謀運転」「急発進」「急ブレーキ」・・・は、全く無いのである。

いつも同乗者から、「遅過ぎる」と苦情が出る、「自称安全運転」励行者である。

ある年の冬の朝こと、自宅から50kmほど北上した交差点で青信号発進時、スリップ。

前日の積雪が溶解して、シャーベット状になっていた。

右45度を向いたまま、つるつると前進、ブレーキの付いていない車になった。

これが唯一度のスリップ経験である。

路面凍結が心配される日、県北の人たちの運転は、一変する。

まず車間距離50~100m、速度30~40km、極度の安全運転に早替わりするのである。

そして、冬中全ての車が、スノータイヤを装着し、殆どが4輪駆動車だけとなる。

橋梁部は、上下両面から冷やされるため、最も早く凍結するのである。

このため、道路の橋梁入り口付近には、必ず外気温度計が立っている。

この温度計を見て、車のスピードを更に落とすことになる。

県南と県北とでは、僅か4~5度の温度差である。

しかし、日本海からの湿った空気が、山陰と中国山地に多量の雪を降らし、県南には、乾いた空気しか届かないのである。

このため、積雪に極端な差が生じているのである。

チェーンを搭載し、積雪に備えてはいるが、万全ではない。

毎木曜日に備え、インターネットで天気予報と積雪状況の把握に忙しい季節になった。

どうか雪が降りませんように!
と祈るのみである。


フォト五七五

2007年01月07日 06時12分36秒 | Weblog

 以前、写真俳句という題で、記事にしたものの続編。

暮れの30日、NHKで「フォト五七五」と題する番組が、放映された。

同局のホームページに、俳句のサイトがあるが、
その一部分に、「フォト五七五」のサイトも作られており、
毎月の優秀句+写真が、紹介されている。

浅井慎平(あさい しんぺい)氏は、三十年来の写真俳句作家であり、大御所的な存在である。

氏の作品は、俳句とは全く異なる取り合わせの写真と組み合わせているのが、大きな特徴である。

思いがけない効果を、発揮しているようである。

多くの人達は、俳句に近い写真を採用しているため、どちらかと言うと「つき過ぎ」気味である。

(つき過ぎとは ; 季語が、あまりに俳句の内容と近すぎ、くどいような・うるさいような気持ちを読者に抱かせること)

色々な楽しみ方があるものである。

おまけ;
浅井慎平氏は愛知県出身の写真家。
大阪芸術大学大学院教授も務める。

三和酒類の麦焼酎、いいちこの広告写真などが有名。

ときめきジャズ喫茶(-じゃずきっさ)はNHKラジオ第1放送の番組
毎週水曜日夜9時30分「ときめきJAZZ喫茶」として、放送している。

落語家の林家正蔵さんがマスターを、浅井愼平さんと共に

JAZZの名曲とそれにまつわるエピソード、人生のよもやま話を披露している。

多彩な人である。


もち

2007年01月06日 07時14分51秒 | Weblog

 俳句のtamanoboriさんから、お餅を頂いた。

例年、先生に差し上げるべく、杵で搗いておられたそうであるが、
昨年暮れ急逝されたので、小生のほうに回ってきたのであった。

彼は、小生より幾らか若いのであるが、そろそろ杵を振るのが苦になり始めたとのこと。

昨今は、100%近く機械搗きである、
完全無欠の仕上がりとなっている。

米粒などは、どこにも見当たらない。
均質な食感である。

人力で搗いた餅には、完全に餅と化した味から、
米の粒に近い味と食感まで、微妙な変化がある。

それが何ともいえない美味しさとなっているのである。

何十年ぶりかの、味であった。

完全無欠と言うことは、
あまり人の感性・情緒にとって良いことではないのである。

 機械と「ファジイ」な人間との,大きく異なる点なのである。

「ファジイ」について;
中央大学理工学部教授 渡邉 則生 先生の一文を引用する

「ファジィ」は「ぼやけた」という意味,このことから,

ファジィ理論における「ファジィ」は,「あいまいな」といった意味で用いられている。

ファジィ理論を日本語に訳すと「あいまい理論」ということになる。

勿論、あいまいな理論という意味ではなく,
「あいまいさを取り扱う理論」ということである。

ファジィ理論は,工学的な発想から生まれた。

従来,あいまいさというのは理論的な取り扱いから排除されていた。

従来の精密な制御方法ではなかなかうまくいかないのに,
人が行うとうまく制御できることがよくある。

そこで人のやり方を理論的に記述しようと試みることになるが,

人の制御の仕方にはあいまいさが含まれ,
あいまいさを無視することはできない。

このようなときにファジィ理論が活きてくるわけである。

以下、専門的になるので、省略。

小生は、
「あいまい(ファジイ)な餅つき機」の開発が、必要であろうと思うのであるが、いかがであろうか。


光のシュミレーション

2007年01月05日 05時36分51秒 | Weblog

 “JAPANOLOGY”と言う番組からの受け売りの続編。

カリフォルニアのプライスコレクションは、世界的に有名な江戸絵画のコレクションであることと、

「独自の光の方法論」を、前回ご紹介した。

次のサイトで、一度、JP氏の「独自の光の方法論」を、体験してみていただきたい。

(下記をクリックしてみて下さい)

花鳥図が自然光で楽しめます。

http://www.jakuchu.jp/special/light2.html  

自然光の変化のシミュレーション

すがすがしい朝陽、
ぽかぽかした昼間の陽光、
陰を宿した夕方の光、
月明かり…

自然光で観る作品がどのような変化を見せてくれるのか、
シミュレートした映像を用意しました。

作品がどのように変化していくのか、

感じながらご覧いただければと思います。

(下のURLは、上と同じです、
一度で満足の方は、パスしてください) 

 http://www.jakuchu.jp/special/light2.html  

 


無線LAN

2007年01月04日 05時46分54秒 | Weblog

2日の朝から、メールサーバに接続出来なくなった。

しかし、インターネット通信用電波は、いつもより弱くなったが、まだ生きていた。

その日の夕方、ついに無線LAN完全不通。

あれこれ手を打つが、一向に回復しない。
(モデムの電波が、どこにも無い、見当たらないのである)

仕方なく、有線に切り替えて運用を開始する、誠に不便である。

3日昼、YAHOOテクニカルサービスにTEL、対策を相談。

電話の指示通りに、
1)モデムの電源を切る、
2)モデムに挿入している無線のカードを、何度も抜き差しする、

3)再び、モデムの電源を入れる、
4)無線の接続操作をパソコンで行う、
5)作動ランプ確認=「無線LAN」にも緑のランプ点燈。

これで一件落着。

上記の処置は、既に、前日・当日と、何度も試みたことである。

電話口の声美人(本当の美人かもしれないが)の神通力であったのだろうか、
今回は見事に復旧に成功。(電波強度も最大となった)

原因は、無線カードの接点部の汚れのようだ。

そういえば、ここ1ヶ月くらい、時々通信状態が不安定になったように思えるのである。

YAHOOには、IP電話使用を目的として、ケーブルTV関連のプロバイダーから、03年6月に乗り換えたのである。

約3年半、無事故だったのだが、そろそろ老朽化の兆候であろうか。

早速今朝は、対応状況に関するアンケートが、メールで着信、多くを「満足」と回答し、

電話が架かりにくいことが、「不満」とした。

なるほど、これが現代の作業者管理手法かと、感心したのであった。

このアンケートがあってこそ、質の高い対応が維持されるのであろう。


共通語

2007年01月03日 07時03分49秒 | Weblog

暮れから正月は、

「関口知宏が行くヨーロッパ鉄道の旅」
というTV番組に、見とれていた。

ドイツ・英国・スペイン・ギリシャ・・・、どこに行っても、慣れ親しんだギター系の楽器
(国によって様々な形をしている)を手にし、

現地の人たちと音楽を奏で、楽しむのである。

ある人は踊りだし、ある人は、一緒に演奏し、
多くの人達と、音楽を楽しむのである。

屈託無く、音楽で意思の疎通が図れるのである。

上手か下手かは、小生には分からないのだが、
一緒に楽しめることに大きな驚きを感じた。

音楽は、世界共通語であることを、
証明して見せたのであった。

羨ましき限りである。


一休さんの歌

2007年01月02日 06時51分45秒 | Weblog

 一休さんの続編である。

詩•狂歌•書画と風狂の生活を送った人でもある。

自由奔放で、奇行が多かったらしい。

このような彼の奔放な生活は、
仏教の権威や形骸化などに対する批判と

仏教的•禅宗的には風狂の精神、
一般的な解釈では風刺の精神によるものといわれている。

戒律や形式にとらわれず、
人間臭さに満ちて、生きた人であった。

 一休宗純が遺した歌

• 門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし (狂雲集)

• 釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな

• 仏法はなべのさかやき石の髭 絵にかく竹のともずれの声

• 問へば言ふ問はねば言はぬ達磨どの 心のうちになにかあるべき

•心とはいかなるものを言ふならん 墨絵に書きし松風の音

• 秋風一夜百千年
( 秋風のなかあなたと共にいる。それは百年にも千年の歳月にも値するものだ。 ) ・・・なんも艶っぽいことか

•花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの

•死にてのちいかなるものとなりぬらん めし酒だんご茶とぞなりぬる

•女をば 法の御蔵と 云うぞ 実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む

最後の歌に、異論がある。

「生ませる」男も必要なのである。


おめでとう

2007年01月01日 05時14分54秒 | Weblog

 新年明けまして 
        おめでとうございます

皆様にとりまして 
       良いお年でありますように

 

今年も思いつくまま 書いて参ります

お付き合いください 

 

亥一匹 旭日仰ぎて 一直線
                               一佳