題字{抹籍=まっせき}が正しいかどうか、自信が無い。
なぜなら、ラジオの音声で聞いて、意味から、類推しただけであるから。
毎月第4日曜日 午前4時、それは、
「わが人生の歌語り」と題する、ラジオ番組が始まるのである。
有名な小説家である「五木寛之」氏が出演、聞き役は小生の好きな「須磨 佳津江」アナである。
氏は、有名な作詞家でもある。
作詞の代表的なものは、「のぶひろし」のペンネームで、清酒「日本盛」のCMソング、「エネオス灯油」(新日本石油)のCMソング。
「立原岬」のペンネームで「旅の終りに」(冠二郎)等も作詞。
さらに、五木寛之の名では「青年は荒野をめざす」(ザ・フォーク・クルセダーズ)、「金沢望郷歌」(松原健之)等の作詞を手がけている。
1971年『よこはま・たそがれ』で歌手「五木ひろし」として再デビュー、
大物歌手として今日に到っている「五木ひろし」の芸名は、
当時人気作家であった五木寛之からとって、プロデューサーが名づけたものである。
また、髪の毛を洗わないことで有名である。
「新人作家のころは、年に二回ほど」
「やがて年とともに、春夏秋冬の四回」、
2004年ごろには「二ヶ月に一度くらい」と、
自身で書いている。
脱線はこれくらいにして、本論。
今回の放送は、第20回目であった。
ちょうど、昭和30年代前半、
同氏が早大アルバイト学生時代の頃の思い出話であった。
蒸気機関車・都電・映画・パチンコ・ストリップ・煙草・・・などが、全盛期の時代。
その当時の懐かしい歌謡曲としては、
三橋美智也=哀愁列車、フランク永井=有楽町で会いましょう、石原裕次郎=錆びたナイフ・・・など。
貧しい学生時代、同氏は授業料を2年分ほど滞納して、どうしても払えないで困っていた。
度重なる学校の督促に、ついに退学を決意、それを申し出たのだが、
未納授業料を全額弁済しないと退学はできないと申し渡された。
退学は、「大学中退」という資格が得られるのだそうである。
結局、授業料の弁済ができないため、
「抹籍」扱いとなったとのこと。 この「抹籍」扱いの場合には、一切大学と縁が切れてしまい、
当分の期間、履歴書の表記は、
「高卒」としていたのだそうである。
後年、氏が有名になってから、その大学の総長とパーティーで会ったとき、
「未納分の授業料五十数万円を、納入すると、中退資格を差し上げます」と言われた。
それで未納分を納入、
それ以降「大学中退」と表記しているのだそうである。
波乱万丈を思わせる話であった。
氏は、ちょうど10歳年上である、いわゆる同世代でもある。
それ故、毎回、何ともいえぬ懐かしさを感じながら、楽しんでいる。