12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

速聴

2010年10月31日 06時23分04秒 | Weblog

1012NHK岡山の夕方、視覚障害者向けの点字図書の作成と音読CDの作成のボランティア活動が紹介された。この時同時に、これらのサービスの利用者も紹介された。

 

ある鍼灸師を営む本好きの方が登場したのであるが、驚いたことにこの方は音読の入ったCDを高速再生しておられたことである。


通常の再生スピードの何倍にあたるのかは判らなかったが、朗読の音声が小鳥のさえずりのように聞こえる再生速度であるにも関わらず十分に意味が分かるということだった。

 

これを正式にはどのように言うのか判らないが、小生が仮に「速聴」と名付けた。

電子辞書の大辞林によれば該当する漢字は出てこないのであるが、パソコンで「そくちょう」を漢字変換すると「速聴」と出てきたので、この言葉はパソコンの辞書にはあるのである。それゆえ「速聴」はあながち小生個人の当て字ではないようである。

 

脳トレには、速読に加え速聴も加えようと思っている。速聴の効果を無料体験というサイトである。百聞は一見にしかず次のURLをクリックして体験してほしい。

 

http://nou.livedoor.biz/

 

2倍速でも相当集中しないと聞き取れない、結構疲れるのだが、頭の体操にはよさそうである。


「速読」ですら出来ないアラ古希世代の小生には年寄りの冷や水になるのか、はたまたそうまでして鍛えることもないような気もするのだが、試してみる分には人様に迷惑をかけるわけでもなく、一向にお構いなしであろうと思っている。


信心・信仰心

2010年10月30日 06時35分36秒 | Weblog

奈良平城遷都1300年祭や大仏様などの観光に出かけたのであるが、奈良市内は素晴らしい秋晴れの観光日和でもありあちこちにものすごい人の波を見たのであった。



     (多数の入場待ちの列が見えた正倉院展)
 

小学生の頃以来半世紀ぶりに拝見する大仏様は、一向に年を取られたように見えず、むしろ若返っておられるように見えた。

 

修学旅行の小中学生や一般の観光客や色々な言葉を話す肌の色の異なる観光客などひしめきあう人々を大仏様は見下ろして「昨今は信心をするものがいなくなったなー!」と嘆いておられるのではないかと思った。


 

かくゆう小生もカメラ片手の観光客で、手を合わせるでもなくお線香を供えるでもなく、大仏殿内をウロウロと徘徊しシャッターを盛んに切っただけであった。

 

かつては仏像に自然に手を合わせていたのだが、信仰心が薄れてきたことをこの場で自覚したのだった。信心とか信仰とか言ったものが、小生の生活からもそして多くの人々からも遠のいているのである。


TVかパソコンか

2010年10月29日 06時12分34秒 | Weblog

昨年から、デジタルTVなるものを購入し使用しているのだが、しかしこれを使用する頻度は実に低いのである。その理由の一つには、20年を経過するアナログTV2台も健在で、しばしば部屋を変えて作業してる小生には実に便利なのである。

 

その上、大型TVとパソコンとをHDMIで接続しデュアルモニターにしようと計画していたのだが、実際には殆どこのような使い方にならず、それぞれ単独に使用して十分な状態となってしまった。 

 

こうなると、パソコンTV21.5インチ)の方がなにかと手軽で便利なので、どうしてもパソコンTVの方を使用することになってしまった。

 

こんなわけで、小生一人の時間帯では、全く大型TVを見ることがないのである。一人住まいなどの条件では、パソコンTVで全ての用が済む様に思えてきたのである。

 

最近のTVは殆どがインターネットにも接続できるようなので、パソコンなのかTVなのか境界がはっきりしなくなってきたのである。もう少し先の将来には結局のところパソコンTVになってしまうような気がしてきたのは、小生のすがめというものだろうか。

 

それにしても、TVの番組は一向に変化がない、もう少し進化した番組というものはできないものかと思うのは、あら古希世代の愚痴なのだろうか。


インターネットで映画を (無料映画公開サイト)

2010年10月28日 04時28分50秒 | Weblog

当然ながら、インターネットでの映画鑑賞は1時間以上の長丁場となるので、十分な纏まった時間のあるときでないと楽しめないという難点と、無料で観ようとすると少し古いものしか観ることが出来ないという制約があるが、わざわざ映画館に出向く必要がないというのは極めて大きな利点であり、その上無料というのも実に有難い。

 

1.YouTubeでも映画を公開していると聞いたので探してみた。いずれも英語版のようなのでどうしても観るのには敷居が高いし、まだ作品数が少ないのでそれほど興味の湧くものも少ないというのが難点である。次のURLで見出しページに飛ぶ。

 

http://www.youtube.com/movies

 

2.YouTubeでの出色は、“HOME”という一千百万回ものヒット数の作品である、環境問題を取り上げた作品、1時間半を越える長いものであるが、映像が非常に美しく大変出来のよいものである。

(画面の下の赤い文字CCをクリックすると英語字幕が出る。翻訳も出来るように書いていたが試みていない)
 

(あいにくとembed dataが公開されていないのでURLのみ)

http://www.youtube.com/watch?v=jqxENMKaeCU

 

 

3.既に以前から映画の公開サイトで利用しているのはVeohTVというサイトである。先日は「陰陽師」「陰陽師Ⅱ」2本を楽しんだ。こちらは結構日本語の映画が登録されているので探すと面白いものに出会えるという楽しみもある。

Veohの方も、どうしても英語版の映画が多いので言葉に困るのであるが、英語の耳慣らしも出来るので英語版もたまには利用している。)

 

4.次は、「YouTubeドラマまとめ ドラマ・映画 映画/ア行 -VideoNavi-」というサイトで、こちらから色々な公開映画を探すことが出来る便利なページである。

 

http://videonavi.blog66.fc2.com/blog-entry-13.html

 

たまにはのんびりとコーヒーカップ片手に映画でも楽しむのも一興ではないでしょうか。

 

追記;当然ながら、Gyaoという有名な無料動画公開サイトがある。こちらはむしろ最有力訪問先で、高い頻度で利用している。(現在は、韓国ドラマ“チャングム”を月・水・金の更新日毎に楽しんでいる)


速読

2010年10月27日 05時33分26秒 | Weblog

頭の回転を高い状態で維持できるように訓練する方法の一つが「速読」にあるという情報を知ったのはつい一月ほど前のことだった。それで調べたところ、「ためしてガッテン」4月の放送にもあったのである。次のサイトの番組は、あいにくと小生は見落としていたのだった。

 

http://cgi4.nhk.or.jp/gatten/archive/program.cgi?p_id=P20100407

 

時折、思い出しては通常の2倍くらいの速さで目を動かして文章を読もうとするのだが、ただ単に字面を目が走っていくのみで、意味を読みとることはほとんど不可能な状態のままで、一向に進歩の兆しを感じることができないままである。

 

補助的なトレーニング手段として、次のサイトがある。無料の範囲で使用しているが、それなりに役立つような気がしている。

 

http://www.servicemall.jp/sokudoku/BN/s/0160023.html

 

 


たばこ その2

2010年10月26日 01時22分57秒 | Weblog

1024日(日)の読売新聞は、何故か煙草の記事が多かった。先日は、8面の読者の投稿欄「日曜の広場 “テーマ たばこ”」から、その表題を幾つか紹介した。

 

今回は15面の禁煙治療の記事から引用してみた。この内容を箇条書きにすると次のようになる。

1.            薬;「バレニクリン=喫煙の欲求を押さえ込む、ニコチンを含まない薬」と「ニコチンパッチ=皮膚からニコチンを補うもの」の二種類

2.            これらの薬を用いて治療をすると約6割が禁煙に成功する。(薬を使用しない場合の2から3倍の成功率)

3.            禁煙開始から1年後、禁煙を継続できたのは3割程度。(治療しても3割しか成功しないということのようだ)

4.            再び吸ってしまう誘惑はいたるところにある。

5.            「禁煙マラソン」というインターネットによる禁煙支援有料サイトがある。(こちらを見たが、今のところ自力更生で頑張ろうと考えている)

http://kinen-marathon.jp/

 

小生は、半世紀近い喫煙習慣を持っている一人である。たばこ値上げが原因で禁煙努力を開始した。6月から喫煙間隔30分毎(1/日)を守ることから始め、次に1時間毎に間隔を延ばし、さらに間隔を延ばしながら、10月現在3時間間隔(3日で1箱)までたどり着いた。

 

今後更に喫煙間隔を拡大し最終的には禁煙に至ろうと懸命に努力中である。しかし、まだまだ道のりは遠い、イライラしたりそれなりのストレスは避けられず、苦行を続けている。

 

身から出たさびとはいえ、上記のように、禁煙は後戻りや再喫煙に陥りやすいので、当分難行苦行に耐えなければならないと思っている。1年後2年後にはどうなっているのだろうか・・・、うまく成功しているのかどうか、今のところ自信がないのである。


たばこ その1

2010年10月25日 05時27分46秒 | Weblog

1024日(日)の読売新聞は、何故か煙草の記事が多かった。

8面の読者の投稿欄「 日曜の広場 “テーマ たばこ” 」から、その表題を幾つか引用してみた。

 

   モデルの小道具  (女 78歳)

    紫煙くゆらす父  (女 43歳)

    肩身の狭い時代  (男 67歳)

    私は店の看板娘  (女 84歳)

    黒い肺見せたい  (女 54歳)

 

投稿者は煙草を吸わない女性が多いのに驚いたのである。煙草は喫煙をしない周りの人にとっても常に存在したものだったようである。

 

これらの題は、多くの人が等しく何らかの思いを抱けるものであると思う。もしこれらの題を用いて短文を書こうとすれば、小生でもそれなりの短文が書けそうだと思った。

 

おそらく読者の皆さんも煙草に関することを題とした短文の一つや二つ容易に書けるのではないだろうか。

 

煙草の持つこのような存在感は今は既になくなりつつある。煙草に代わる存在感のあるものとは何にだろうか・・・。

 


圭角

2010年10月24日 04時58分16秒 | Weblog

ある人の記事を読んでいるとき“圭角”という言葉が出てきた。将棋の“桂馬と角”ではどうも意味不明になってしまう、それで早速電子辞書で引くと、チャント在るのである。更に、Wordの漢字変換を行ってみるとこちらもチャント出てきた。知らなかったのは、小生のみなのだと納得した。

 

Yahoo辞書によると;圭角 (けいかく);〔補説〕 「圭」は玉の意

玉にあるかど。 転じて、性質や言動にかどがあって、円満でないさま。→(句)圭角(けいかく)がとれる

 

若い人たちの携帯電話のように肌身離さずとまではいかぬが、電子辞書は大変重宝している小生の一番身近な道具である。新聞や小説や雑誌などとにかく文章を読むときの辞書であり百科事典である。旅先ではガイドブックであり百科事典となる。

 

幾人かの知人が電子辞書を所有するその一番の動機は俳句や和歌・短歌を詠んだりするときの強力な助っ人になるためである。しかし手に入れると同時に辞書や百科事典機能に気が付き、辞書や百科事典として利用し始め、ついにはこちらの方が日常の主要な用途になっているようである。

 

電子辞書は、パソコンに比べてはるかに操作が簡単であり、その上持ち運びに便利、購入金額も僅か数万円であるなどの理由から、多くの人に利用し易い道具である。

 

まだの方は、一度電子辞書を試して見られると、案外病みつきになるのではと思っている。(パソコンが電子辞書くらいの手軽さになったり、携帯電話にパソコン機能や辞書機能が付けばそれでもよいのだが・・・)


剣技描写

2010年10月23日 05時46分29秒 | Weblog

   藤沢周平全集 第六巻 文藝春秋 平成19年(第六刷)の巻末解説(向井敏著)に「時代小説作法を一新した剣技描写」と題する一文がある。

 

「量もさることながら、それにもまして藤沢周平の剣客小説が類書をしのぐところは、その剣技描写の精緻と鮮明。・・・「虎の目」とか、「芦刈り」とか、とてもありそうに思えない架空の剣が、この人の手にかかると、実在した剣、理にかなった剣のようにみえてくるのである。・・・」

 

具体的に表現すると、例えば眠狂四郎の円月殺法を例にとると、刀が円を描くところは具体的な描写であるが、相手を倒した場面はその結果のみが書かれるという風に具体的な表現を避けている。これは眠狂四郎に限らずほとんどの剣豪小説がそうである。

 

しかし、藤沢作品の場合には、事細かに剣さばきを 描写しているのである。

そのもっとも代表的な例が、第六巻の巻頭にある「玄鳥」(“げんちょう”と読む、ツバメの異名)という作品(士道小説)の中にある。次の引用をご覧いただきたい。

 

「一ノ太刀青眼ヨリ左足ヲ踏ミコミ、右腕ヲ斜メニ打チ下ゲルトキ、二ノ太刀ハ下ヨリ撥ネテ一ノ太刀ニ合シ、・・・」と実に細かい描写がなされている。

 

作者藤沢周平は、すべてにこの種の表現を用いているわけではないが、ここまで詳細に書かないときでも、作者は頭の中ではこのレベルまで詳細に組み立てているのだろう。

 

剣技一つとってもこのくらい緻密であるのだから、他のすべてにおいて精緻な作品つくりをしているのだろうと思った。このように手抜きのない作品作りが、藤沢作品の大きな持ち味だと思っている。 

判りやすい「動画」説明

2010年10月22日 04時23分12秒 | Weblog

最近著しく簡単に鮮明な動画を作り、公開することができるようになってきた関係であろう、多くの場面で動画が活躍するのに気がついた。

 

慣れない素人にとって、文字や絵や写真による説明だけではどうもいまひとつ理解が難しいのであるが、これを動画で補ってくれると一段と理解が進むように感じている。

 

 

1.小生が一番便利で判りやすいと感じているのが、パソコンの機能説明や操作説明である。次の一例をご覧頂きたい。次のURLをクリックして体感してみて欲しい。

   http://www.dougamanual.com/blog/186/1094/e4997.html
   

2.次いで、判りやすいのが商品の機能説明や使用法説明である。

その一例として次の「デスクトップ型パソコンのメモリー増設法」である。内容はともかくも、素人にとっては実にありがたい情報で、文字や絵による説明に比べると格段に判りやすく、これなら自分でも出来そうだと思わせてくれる。




判らないことに出くわしたら、こんな動画説明を検索してみるのも、効果的ではないだろうか。
 

逆仕分け

2010年10月21日 03時33分29秒 | Weblog

最近流行の「仕分け」という言葉を大辞林で調べてみた。

1 物事をするに際しての区分。  公務と私事との「仕分け」をつける  

2 品物などを分類、整理すること。  在庫を「仕分け」する  

3 簿記で、貸方・借方を区別して書き込むこと。

 

国家・地方自治体などが行っているようだが、「事業仕分け」とは、不要不急の事業を選別・廃止することと理解した。これを我が身に当てはめるとどうなるのだろうかと考えた。

 

数年前から目が悪くなって車を使用できなくなり、著しく外出回数が少なくなってしまった。これが引き金でストレッチ体操教室を止め、ビデオクラブからも退会し、確実に世間が狭くなってきている。

 

その上俳句にも水墨画にも出かけるのが次第に億劫になってきている。高齢化が進むに応じて、自然に我が身の「仕分け」が進行しているのである。放置しておくと閉じこもり症候群になりかねないのが現状だと認識した。

 

世間の流れとは逆向するが、自分の世界を狭くすることや、興味の対象を減らすべきでないと考えた。

 

まさに「逆仕分け」が自分には必要なのだと認識したのだが、さてさてそれではどんなことを増やすべきか、それが問題である。

 

 


運動会

2010年10月20日 06時07分46秒 | Weblog

このW地区は、当市の総人口の十分の一に相当する約六千五百人の大きな地区である。したがって、大運動会と称してもよいような運動会が十分にできる総人口を有する地区である。幾つかの町内が合同して開催するこの運動会の名称を「W地区“大”運動会」と呼んでいる。



 




しかし、その実態は、選手数はもとより応援席の見物人数も以前に比べると激減し、少し寂しい感じが否めなかったのである。何時までこの運動会が続けられるのだろうかと、一抹の不安を禁じえなかった。

 

今年は、籤運が良いのか悪いのか、町内の体育委員に見事抽選に当選したので、この大役果たす羽目になった。(次にこの役が回ってくる頃には、小生はあの世から高みの見物としゃれ込んでいるだろう)

 

体育委員の最初の仕事は出場選手のお願いであるが、我が町内もご多分に漏れずアラ還とあら古希とそれ以上が大半という高齢化町内である。無理をお願いして万一骨折などおきては一大事である。恐る恐る個別訪問をしたのだが、結局のところ数少ない幼稚園・小学生・中学生のいるお宅から僅かの出場選手を得たにすぎなかった。

 

それは致し方ないとして、前日までの準備作業及び当日の運営と撤収作業まで、選手から運営要員まで、大半は高齢者というすさまじいばかりの大運動会だった。それでも無事それなりの運動会が開催でき、皆さん結構楽しんだ。

 

特に活躍が目立ったのが女性の力であった、婦人会を中心とするカレー弁当の販売をはじめ広範囲のサービスやダンス披露、勿論選手としての出場など運動会を舞台裏で表でも実に強力に支えていたのが印象的で、その活躍に大いなる敬意を払った。





 

日本全体も近々このような高齢化社会が来るのであるが、運動会はともかくも、それはそれなりにやりようによってはぼちぼち楽しめる、ゆったりマイペースの社会ができるのであろうと感じた一日でもあった。

 

謝辞;掲載写真全てを提供頂いた、この運動会の公式カメラマンであったご近所のカメラ名人に謝辞を申し上げる。


世話焼き型とお任せ型

2010年10月19日 04時17分39秒 | Weblog

それぞれのパソコンにセットでついてきたという偶然で決まったことだが、N社とT社のウイルス対策ソフトをしばらく使用している。当然ながら素人の体感的な感想が自然と出て来た。

 

N社のものは「世話焼き型」に作られており、細かい設定がいやというほど可能となっている、とにかく一所懸命働いていることを毎度アッピールするのである。ちょっとうるさい感じもするが、なんとなく安心感もある。

 

T社のものは「お任せ型」に作られており、お任せ下さいとばかり、表に出ることなく裏で懸命に働くように作られている。ちゃんと仕事をしているのだろうが、なにをどうしたのか良く分からず、なんとなく頼りない感じがしている。しかし、任せっぱなしが好みの人にはわずらわしくないところが良いのだろう。

 

N社のものはどちらかというとマニアックな人に向いているようで、T社の方は面倒なことが嫌でお任せで済ましたい人に向いているようである。

 

これらのウイルス対策ソフトの防御性能における差は素人の小生には到底判らないが、各社の味付けというか狙いというか製品の設計方針に大きな差があることを興味深く思った。これこそ自由競争の成果、きめ細かくニーズに応えているだと思うのである。


引け目

2010年10月18日 05時26分57秒 | Weblog

小生は純文学が苦手で、今ももっぱら大衆小説を好んでいる。純文学は「文学界」や「新潮」に載るような作品で、「オール読み物」や「小説新潮」に載っているものが大衆小説と格付けされ、純文学より一段下にランクされると考えられ信じられてきた。

 

低俗な大衆小説を好み、高尚な純文学に縁の薄いことが、小生の引け目でありコンプレックスになっていた。

 

藤沢周平全集 第一巻の巻末解説に向井敏という人が書いていることを一部要約して引用する。


“・・・純文学や大衆文学という分類は便宜的な符牒に過ぎない、・・・むしろ「読める作品」と「読めない作品」という風に分けるのが正しい。・・・」、看板やレッテルで評価してはならないということである。

 

更に、名作と呼ばれる条件としては、時代を超えて後世に残る作品であることだと、小生は考えているのである。

 

小生の子どもの頃、漫画は有害な本として親達は懸命に漫画本から子供達を遠ざけようとした。しかし、現在ではコミックスというのだろうか、漫画にかわりはないのだが、結構大きな地位を占め大手を振って世の中を渡っているという変化がみられるようになった。

 

面白いものは面白いのである、面白ければ大衆は支持し、そして主流の文化になるのである。そんなこんなで、アラ古希にしてようやく「チャンバラ小説好きのコンプレックスというか引け目」が薄らいだのである。(さりとて完全に解き放たれたのではないが・・・)


幸せ

2010年10月17日 04時44分56秒 | Weblog

チリの鉱山事故の救出劇は世界中の注目を集めた今年の一大ニュースだった。


全員が無事救出されて、本人・家族・男を揚げたチリの大統領など関係者全員・それに加えて世界中で関心を抱いた多数の人々・・・が抱いた幸せは近年ない大きなものだったろうと思う。

 

大きな不幸が大きな幸せをもたらしたのである、豊かさがもたらす感情・満足感ではないのである。幸せはどこにでもあるもので、それを掴むのには努力や苦労が必要なのだと感じたのだった。

 

世界中の注目を集め「富や豊かさや名誉など」が彼らをスポイルし、「豊かさによる不幸」が彼らを襲うことがないように祈るのである。

 

「人生万事塞翁が馬」:

ある塞(城塞)のほとりに、老人とその息子とが暮らしていた。ある日、彼ら親子の馬が突然逃げ出してしまったため、周囲の人々は馬を失った親子を気の毒がったが、当の老人は「不幸かどうかは果たして分からんよ」と、意にも介さない。

 

間も無く、逃げ出した馬は立派な馬を連れて戻ってきた。不幸が転じて幸運となったために周囲の人々は親子の幸福を感心したが、老人はやはり意に介さない。間も無く、息子がこの馬から落ち脚が不自由となってしまったため周囲は同情したが、それでも老人は意に介さない。


その後、戦争が始まって村の若者は皆兵に徴収され、ほとんどが戦死してしまったが、息子は脚が不自由であるため村に残った。こうして、老人と息子は共に生き長らえ暮らしたという話である。