12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

電話

2008年06月30日 05時54分12秒 | Weblog

今春から、膝の怪我、大腸がん検診、両眼複視と、次々物要りが続いたが、さらに、十数年目にしてついに留守録音とファックス受信の不調が始まった。

当家最古のダイヤル式黒電話機は三十年以上も使用したが故障とは全く無縁であった。

黒電話をファックス電話機に替えたのは兄弟子供達などとのファックス通信が必要になったからだった。ここ1・2年このファックス電話機は雑音や番号入力の不具合など不調の兆しが出てきはじめていた。

複雑な機能を持っている分だけ故障し易いのかとぼやきながら、仕方なく電話機を更新した。

病院関係の出費と電話の出費を総計すると、もったいない事に海外旅行1回分近い物要りとなってしまった。

 4時間近くも掛かりようやく各種設定と使用方法を呑み込んで、使い始めた。  さすがに音質も格段に向上し快適な通話が可能となった。

安心応答:「相手の声を確認して電話に出る」という新機能が付いていた。

ボタンを押すと「相手の名前を尋ねるメッセージ」が流れ、相手の声をスピーカーで確認し、電話に「出る」「出ない」を決めるという操作ができる。

この便利な新機能が設けられていたが、小生はあえて従来と同じように「24時間留守番電話」にて使用する事にした。

その理由は、留守電にしておくと、物売り電話の場合にはすぐ相手が切ってくれるので手間要らずであるが、安心応答の場合では、必ず「名前を尋ねるボタン」を押す必要があるためである。

お断り;
留守電録音数件とファックス数件が受信できていないようである。
ご迷惑をお掛けしていないことを祈るのみである。


相部屋不可

2008年06月29日 05時47分03秒 | Weblog

海外版と国内版別々の旅行案内が、毎月T社から送られてくる。

毎号楽しみにしながら眺めているのだが、初めて
「当ツアーは2名様以上でお申し込みください。(相部屋不可)」と記載があることに気が付いた。

岡山発着の国内旅行版について、この1冊にどのくらい、この制約が付いているか数えて見た。

国内48件のツアーの内、宿泊旅行(相部屋不可)=41件、一人割り増し5000円の宿泊旅行1件、そして日帰りバスツアー6件であった。

この会社のみの現象かどうか不明であるが、一人参加は、国内宿泊旅行では全く歓迎されていないのである。

七十歳を超えたら国内旅行に力点を置こうと思っているのだが、こうなると自力で立案・手配・実行を行う必要がありそうである。

 ただ、この種の観光案内は、人気の旅行先を知る重要な情報源として大いに役立ちそうである。

これからは国内旅行独立独歩の能力を養う必要がある、まだまだ、ボケてなどおられそうにない。


フォアグラ

2008年06月28日 07時14分32秒 | Weblog

主な産地はフランス。世界のフォアグラの生産量は西暦2000年で約1万8000トンだが、そのうちフランス産は1万5300トン。

小生などには縁のない食べ物であるが、NHKのTVで思いがけない事を知った。

 ガチョウは冬を越すため、秋に多量の食物を摂り、脂肪を蓄積する習性がある。 この習性を知っていたのであろう、肥満したガチョウの肝臓を食べはじめたのは、記録によると古代エジプト人が最古のものとされている。

強制給餌(ガヴァージュ 仏:gavage)することにより、人工的にガチョウを肥満させフォアグラを生産しはじめたのは、起源1世紀頃の古代ローマ人だと言う。

そして、それがルネッサンス以降フランスに伝わり、現在の隆盛になったとの事であった。

 どうも、ヨーロッパのあらゆる事が、ひょっとすると全てローマに通じるのかもしれないと思うのである。

参考:
フォアグラ(仏:Foie gras)は、必要以上にエサをたくさん与える(強制給餌/ガヴァージュ 仏:gavage)ことにより、肝臓を形成する肝細胞に使われない脂肪が蓄積する過程で、どんどん肝臓の一部が脂肪に置き換えられていく状態「脂肪肝」を人工的に作り出したものである。

通常ガチョウまたは鴨が使用され、世界三大珍味の1つに数えられる食品である。 フランス語で「フォア(foie)」は「肝臓」を、「グラ(gras)」は「脂の多い、肥大した、太った」を意味する。

即ち、「フォア・グラ」は「脂肪肝」のことである(ただし、疾患としての「脂肪肝」を意味するフランス語は「stéatohépatite」である)。

フォアグラの生産はガチョウの強制給餌を伴うため、動物虐待に当たるとして生産や販売を禁止する動きが広がっている。


改革

2008年06月27日 07時16分42秒 | Weblog

 民主主義とは、大多数の人民のトクを満足させるという方法論だから、少数の人の損得は無視されて仕方がないシステムである。

トクをしている人が多ければ、或いは、トクをしている人が少数でも力を持っているならば、改革を好き好んだりする訳がないのは、明々白々である。

問題になるのは、大多数の人にはトクになる改革であっても、少数であるが力を持っている人達の損になる改革には、その当事者「少数であるが力を持っている人」が反対するという事である。

少数であるが力を持っている人達は、頭も良い・弁もたつ、我々平民にはとても歯がたちそうにない人達である。

大多数の人にはトクになる改革であっても、少数であるが力を持っている人達の損になる改革こそが、今のこの国に必要な改革である。

今日の日本においては、まさにこのような改革困難期にあるようである。

これが出来るかどうかが、この国の将来を定めるのである。よく目を開き・耳をかっぽじって、頭をフル回転しておかねばならない。


水墨画展舞台裏

2008年06月25日 08時10分08秒 | Weblog

当市最高ランクの「第29回 玉野水墨展」は、市長賞、市議会議長賞をはじめ総数五つの賞があるとの事で、そのためか一年を通じて最も出展数が多いと先輩から聞かされた。

火曜日午後1時から展示作業を開始すると連絡があったので、いかなる展示作業かと楽屋裏を取材した。

1.一足早い集合と昼食:



ベテランの皆さんは慣れたもの、11時半に集合し、ギャラリーの入り口にある喫茶店兼食堂で昼食を早々と済ませていた。
この昼食会も楽しみの一つのようである。

次々と自慢の作品を小脇に抱えて出展者が行き来し、
沢山の人でごった返す。

2.展示位置決定:



絵はエントリー順に展示されるものと思っていたが、そうではなく大きさ・内容などを元に、画材店のご主人が差配して、一枚一枚展示位置を決めていた。

いかによい雰囲気で展示をするか、絵相互の作用を最大に発揮し、引き立たせるかが決まるようである。
こんな点を見るのも楽しみの一つになるのではなかろうか。

3.展示作業:



世話役さん達の手によって、展示位置が決定されると、
壁にワイヤーを取りつけ、1枚ずつ掛けられる。

それが終了すると、題と作者名が書かれたカードが作者によって貼られた。各教室の先生方の作品のカードには、「審査員」と朱記されていた。

自分の絵の位置を何度も微調整する人、
他の人の作品と見比べる人など様々であった。

4.看板作り:



看板の台を作りはじまめ、会長が黒々と大書。

5.会長挨拶:



展示作業完了挨拶が会長よりあった。
2時半より審査が行われると言うので、審査員以外は退出。

若い人も散見されたが、主力はシルバー世代、百数十名が一団となっての作業力はすばらしい。1時間ほどで瞬く間に完了。

ここ数年、出展数が激増したと先輩方が話していた。
皆さんがそれぞれ楽しみを見つけたのであろう。

参考:市の広報より

市内の水墨画愛好家が墨の濃淡やにじみで題材を浮かび上がらせる水墨画・墨彩画の魅力をご堪能ください。

玉野市長賞、市議会議長賞をはじめ各部門の優秀受賞作品を鑑賞することができます。

主催:玉野水墨会  後援:山陽新聞社
会期:平成20年6月25日(水)~6月29日(日)
会場:玉野市立総合文化センター「ギャラリー」

 

追記:

絵が完成し展示をする場合には、
テーマ選定・取材(旅行もある)・スケッチ・描画・裏打ち作業・記名、押印と額装・搬入と展示、そして搬出と持ち帰りまでの沢山のステップがある。

折に触れて、このような一般には知られていない裏方の作業も取材しご覧頂く予定である。


両眼複視

2008年06月24日 08時08分43秒 | Weblog

 3週間ほど前からひとつの物が急に二重に見えはじめた、小生の場合には、上下にずれて見えるのである。

片目でものを見ると普通に見えるので、当座をしのいだが、非常に不便で不愉快であった。

そこで、急ぎインターネットで調べてみた。

1.ある日突然に、物が二重に見えるような症状を自覚した場合には、いずれにせよ「単眼複視」と「両眼複視」の正確な判別も含め、眼科での詳しい検査を早急に受けることが、必要になってきます。

 2.まず症状から、両眼複視の症状である事がはっきりしたが、どっこい、両眼複視の方が一段とたちが悪そうである。(参考でも示しているが、脳に関係する問題が多いようである) 

 3.単眼での複視なら純粋に眼科の病気ですし、両眼複視なら、その原因診断を行う必要があります。 まず原因を絞り込んでから、原因別に専門医の紹介を受けるとよいでしょう。

こんな訳で、医者に駆け込んだが、結局原因不明のまま、数日前に、自然に治り、現在は普通に見えるのである。

しかし、色々検査を行ったためであろうか、両目とも兎の目の如く赤くなり、涙目状態がしつこく続い困っている。 目も以前から小生の弱点の一つである。

小生も4月中、松井選手・清原選手と同種の膝の手術をした。だいぶリハビリが進み、ゆっくり歩くことはある程度できるのだが、長く歩くと痛みが始まる。まだ当然のことなのだろうが、力を入れるような激しい動きは禁物の状態である。

彼らは若いため回復は小生などとは比べ物にならないようで、既に現役に復帰しているようであるが、それでも、昨日の松井選手の試合振りを見るとやはり走塁時痛そうな走り方であった。

こんな状態なので、ストレッチ体操は、自宅で痛みをひどく感じない範囲に制限して、毎日まじめに続けている。(この効果が、リハビリにはとてもいい様に感じている)

また太極拳も痛みがない範囲に限って休み休みながら教室に参加している状態である。(運動した後の爽快感を楽しんではいる)

どうも次々と故障が顕在化して来ているのである。 何かにつけて、消極的になっていくのが避けられなくなった。

参考A:これは英国の論文の抜粋である。
Moorfields Eye Hospital, London. 複視の原因に関する論文。以下は要約の一部。

複視を主症状として受診した患者 275名について調査。
単眼複視 69例 25.1% (原因として水晶体、角膜疾患が多い)・・・多くが目単体に起因する病気という。

両眼複視 206例 74.5% (原因の内訳は脳神経麻痺 81例と最も多く, 他に輻輳・調節障害、斜位、外傷、外眼筋疾患、眼窩疾患、核上性脳障害など)・・・気味が悪いのは、脳関係の病気に起因する事が多いのである。

原因不明例は、単眼複視8例、両眼複視23例であった。

参考B:
眼球には、上直筋・下直筋・内直筋・外直筋・上斜筋・下斜筋という6つの筋肉がついており、これら筋肉の動きが、両眼においてバランスよく保たれることによって、眼の焦点をあわせることができる。

 両眼でこれらの筋肉が同じように動くように、脳から指令が出ている。 これらの筋肉の動きをコントロールしているのが脳神経です。

かりに脳神経になんらかの障害が起きた場合、左右どちらか(あるいは両方)の眼の動きが鈍ったり、そのバランスが崩れたりするため、眼の筋肉に麻痺が起きて、物が二重に見える症状が起きる。 これが「複視」といわれるもの。

「複視」の原因は、糖尿病や脳動脈瘤、白内障や脳卒中・脳腫瘍など、大きな病気に起因した脳神経障害によるものが少なくないとされますが、原因の特定が難しい場合もあるようです。

また、「複視」には、「単眼複視」と「両眼複視」があり、この両者はそれぞれ原因が異なることから、その判別がとても重要だとされています。

「単眼複視」は、片眼で複視が起こるもので、その原因は近視や遠視、乱視などの屈折異常が多いとされます。この場合の治療法は、眼鏡をかけたり、あるいは手術となります。

また白内障が進んだときにも「単眼複視」を自覚することがあり、この場合には白内障手術が必要になります。

一方、「両眼複視」は、片目で見ると物は一つに見えるのに、両目で見た場合には、二つに見えるものです。 したがって、「単眼複視」と「両眼複視」の判別をするためには、片方の眼を隠して物を見てみることで区別ができます。

 ひとつの眼でみても物が二重に見えるようであれば「単眼複視」、ひとつの眼でみた場合はちゃんと見えて問題はないが、両眼で見た場合にはダブって見えるようであれば「両眼複視」、の可能性が高いことになります。

「両眼複視」は、眼筋麻痺を起こすことで左右の眼球の位置がずれている、いわゆる「斜視」の状態であることが原因の場合がほとんどです。

正常な視力だった人が、脳神経の障害や眼筋麻痺に起因して急に斜視となった時などは、「両眼複視」が起きる場合があります。

 したがって、その治療としては斜視手術などが考えられますが、「両眼複視」の原因を考えてみると、その背後に脳梗塞や脳腫瘍などの大病が隠れている可能性もあることから、自分の判断で事態を放置するのは危険、といえるでしょう。                  


さいは投げられた

2008年06月23日 04時42分40秒 | Weblog

 

古代ローマの政治の中心であったフォロ・ロマーノは、コロッセオの隣にある。 このあたりはカエサルを筆頭に古代ローマ人が闊歩していたかと思うと、不思議な気がした。

カエサルと言えば多くの人達が思い出す言葉がある。

その一つは「ブルータスお前もか!」であり、

もう一つが、 ローマへの道中、ガイドさんからルビコン川ですと説明されたとき思い出した「さいは投げられた」という言葉であった。

共和政末期の古代ローマにおいては、本国である「イタリア」と属州ガリア・キサルピナの境界線の役割を果たしていたのがルビコン川であった。

軍団を連れこの川を越え南下することは法により禁じられており、その南下行為はすなわち共和国に対する反逆と見做されていた。

一般にルビコン川の名前は、紀元前49年1月10日、ローマ内戦においてユリウス・カエサルがルビコン川を渡ったことで知られる。 この際に「賽は投げられた」(Alea iacta est)と檄を発したことは余りにも有名。

「ルビコン川を渡る」は以後の運命を決め後戻りのできないような重大な決断と行動をすることの例えとして使われる。

カエサルの時代からでも二千年を経て、技術の進歩や物質的なものは大きく進歩・変化したように思えるが、欲望・嫉妬・喜怒哀楽などの人間本来の本性に類するものは、その当時と現代と何にも変わっていないようである。

しかし、今となっては「さいは投げられた」という言葉が必要となるような局面に直面する機会がは殆ど無くなったような気がするのが物足りなくもある。

 


側近考

2008年06月22日 07時23分25秒 | Weblog

マキャッヴェリは、かくの如く言うのである。
「側近が有能で、彼に対して忠実であれば、その君主は聡明だと評価してまちがいない」(『君主論』第22章)

解説すれば、「無能で不実な側近を持つ指導者は、指導者としての力量を疑われても仕方がない。なぜなら、側近の選択という最も初歩的な事において誤りを犯した事になるからである」

それぞれ読者の皆さんには側近となるべき人が、「居る」か、或いは「居た」か、である。

現在「居る」方の側近は、「連れ合い」と呼ばれる者か、或いは、さらに「愛人」と呼ばれる者まで含まれるのであろう。

そして、側近を持つ人達は、必ずしも男性とは限らない、女性であっても同じである。

またまた、マキャッヴェリは、かくの如く言うのである。
「しっかりとあなたと結びついていて、しかも強欲でない人であれば、賞揚し大切にすべきである」(『君主論』第9章)

「人間はその本性において、恩恵を受けても恩恵をほどこしても、やはり義務を感じるものである」(『君主論』第10章)

今更、現役時代の側近について言及することの意味はないので、子作りや下半身にも関係があった方の側近について考えてみる事にした。

 どちらが指導者であったのか、どちらが側近であったのかも定かではないし、それぞれが優秀なのか、そうでないかもはっきりとはしていない。

ただ、男や女として存在した事自体は、それなりに世間並みだったように思っている。こういう形の運命共同体では、さしたる波風は立ちようがなく、平々凡々たる毎日が過ぎたように思っている。

側近に先立たれた今となっては、人生の味を増すために、有能且つ誠実な愛人を求めるのが解決策と思えるのだが、

残念ながら、有能且つ誠実な愛人などが小生を相手に選ぶなどと言うことは夢のまた夢であることも明白である。

となれば、結論はこれで決まりである、独り凡々と毎日を過すしか無いのである。 それも、今となっては至って気楽で快適なのである。


隠す

2008年06月21日 06時21分50秒 | Weblog

「イイ女ならば身を隠せ。オレたちのボスはやたら手が早いんだ」とカエサル軍団の兵達は叫びながら、征服した街々を行進した。 

           

英雄色を好むのは洋の東西を問わぬのは明白である。 クレオパトラか楊貴妃(ようきひ)か、はたまた小野の小町か、美人の代表選手にも種々ある。

小生の顔見知りにも、現役美人から元美人まで、種々様々な美人が存在する。カエサル軍団が出現したら、隠さねばならぬ人達が沢山いるのである。

一部の人達には、美容技術や化粧技術の飛躍的な進歩が大いに貢献していることも忘れてはならない事である。この種のイイ女は、美容・化粧技術という見事なウソの結果生じたものである。

 カエサル達と異なり、男が困るのは、隠さねばならぬ女達が、男を選ぶという点に最大の問題があるのである。

こちらがいかにイイ女と一方的に思っても、イイ女の方がこちらをイイ男と認めないと充分条件にはならないからである。

隠さねばならぬ男になるためには、いかなるウソをつくべきか・・・。


大風呂敷

2008年06月20日 05時47分51秒 | Weblog

 

イタリアの多くの観光地では、いたる所路上に巨大な風呂敷風の布の上にニセの有名ブランド品を並べ販売しているアフリカ系の男達がいる。

模造品製造で伝統あるナポリの物だと言う人もいるが、明らかなのはアフリカ系の人達が販売していることである。

オマワリの姿が目えると見張りが合図でもするのであろう、巨大な風呂敷の四隅を持って畳み、アットいう間に細い路地の奥に姿を消し、そして、通り過ぎると一瞬にして元の状態に戻るのである。

 オマワリさんも馴れたもの、ゆっくりと後ろも振り返らずに通り過ぎていく。 このかくれんぼは何度見ても面白く愉快な光景であった、そして、アーなんとイタリア風なのだろうとしきりに感心したものだった。

地中海沿岸は、アフリカとは目と鼻の先である、特にイタリアは近いのである。彼らの事を「移民」ではなく、国を超えて移動し出稼ぎを行うので「移動民」と塩野七生氏は名付けている。

イミテーションを売るのが容易で金になる甘い汁だから、彼らが続けているのであろうが、何か他にしようがないのだろうかと、やりきれなく思ったものであった。

当面、我々に出来る事は、一切彼らから購入しないことである。そうすれば甘い汁でなく苦い汁になり、もう少しマシな正業を探すような気がしているのである。


絵画展

2008年06月18日 06時06分29秒 | Weblog

 第一・第三月曜日午後は水墨画教室である。先日、教室後の恒例の茶話会でTさんから絵画展に行こうとお誘いがあった。

場所は、玉野市立総合文化センターギャラリー(~6月22日まで、AM9:00~PM5:00)

青華会展とよばれる展覧会。120点程の多数の作品が展示されている。

今回は、Tさんのご主人(87歳)が2点出品されているので、こぞって出かけたのであった。写真をご覧になるとお判りであろうが、若々しい作品で一同驚きと感嘆を隠せなかった。

ご主人は西洋画、奥さんは水墨画と異なるジャンルで楽しんで居られるのも、喧嘩のもとにならず、うまい分担だと感心させられたのであった。

この会は、「西洋絵画の流れの中で、穏健な写実の道を歩んでいます。」と自己紹介されている如く、写実・精密写実とでもいうのであろうか精細にして華麗な絵を制作されている。

一見に値すると思ったので、取り急ぎ掲載した。


水墨画教室

2008年06月17日 06時42分14秒 | Weblog

写真は水墨画教室の一場面である。このような教室で学んでいるのである。

今となっては、いい格好をする必要はさらさら無い、恥を忍んで白状すれば、小学・中学時代は、習字・音楽・図画・国語などの時間は、速やかにトンずらし校庭の片隅で独り遊ぶという問題児で、母親からは父兄会に行くのは地獄だとよくぼやかれたものだった。

その後、中学では音楽の先生から美空ひばりを教えられ、友人達からはポップスを教えられたが、生来の音痴で聞き役に徹した。

国語は、高校時代古文と漢詩を先生から教えられ興味を持ち始めたが、時すでに遅く、理科系に進んでしまい、これらと縁遠くなってしまった。

 四十代半ば、ある人から絵画の面白さを教えられ美術館めぐりを始めたが、そもそも描くなどという事は全く念頭になかった。

ひと歳とった現在、全てに大変な損をしたと心底後悔しているのである。 それで今までの大損を取り戻そうと自己の才能などは無視して始めたのが、源氏物語講座であり、俳句であり、そして水墨画教室となったのである。

才能の有無は無視、とにかくやってみる・経験するのみと割り切って続けている。 恥を忘れ自分の才能に失望する事を忘れ去った結果、有難い事に投げ出すこともなく、だらだらと続いて今日に至っているのが現状である。

マキャッヴェリ語録の中から適当なものを見つける事が出来なかったので、
カエサルの「人は自分が見たいと欲する現実だけを見ようとする」と言う言葉を引用したい。

黒沢監督の有名な「羅生門」は、対立する複数の視点から同じ出来事を全く違う風に回想し、真実がどうだったのか観客を混乱させると言う、判り難食い変わった作品であるが、翻ってみると、見たいと思わねば何も見えないと言うことを暗示していると思っている。

上手下手ではなく、自分で体験しなくては判らないことが沢山あるのである。

我々に遺された時間を有効に用いて、見えなかったことを知ろうという生き方があっても良いのではないだろうか。


歴史と後世

2008年06月16日 05時48分58秒 | Weblog

「歴史が裁く」とか「後世の審判を待つ」と言い、過去の人を評価する。

後世の評価は様々なれど、ある程度判るのであるが、生前の評価については、平民の小生など、それを知るための資料は余りにも少ないようである。

太閤さんの生前と後世の評価の差異がいかようであるのか知りたいのであるが、あまり容易ではないようである。

第一の理由は、後世の評価は、何を基準にするのかで随分その評価は変わるのである。肝心の基準があれこれ結構沢山あるのでは、決定的な評価をすること自体かなり難しいと言うか、不可能になる場合だって多いような気がする。

例えていえば、民主主義や資本主義が未来永劫絶対正しいと言える事がないのと同じ事である。

 第二の理由は、生前の時代の評価となると、それが後世の遺されているものは、殆どが、権力者に対する「おべんちゃら」で溢れており。真実の姿ででは到底ありえないような気がするのである。

 歴史や後世が裁いたり審判したりする事においては、その評価はどうでも出来ることであり、あまり気にしてもしようのない無意味な事だとも思えるのである。

そんな訳で、超現実主義者のマキャッヴェッリのように、今現在の評価こそ一番優先すべき事と言うのが、正しいのかもしれない。

一介の小市民である小生などにとっては尚更で、後世に他人がいかような評価をしようが知った事ではないのである。

何かを遺すというような、そんなものはむしろ一切ない方が、あの世から未来のこの世を振り返るなどと言う煩わしい事から開放され清々するように思っている。

ただブログなどと言うものは、せいぜい数十年の保存しかされないのであろうから、言いぱなしで、どーと言うこともなさそうである。


知りたいこと

2008年06月15日 05時38分21秒 | Weblog

情報とは、知りたい人がいて、初めて情報になると聞いた。
知りたくもないことは、単なる雑音にしか過ぎないというのである。

どうも、知りたくないこと・読みたくないこと・見たくないことが、沢山画面の周辺部に現れるのが、だんだん辛くなってきた。 ブログやインターネットは、情報の宝庫であると聞いたが、知りたいことがはっきりするまでは、無縁のものであった。

今日、パソコンは、辞書でもあり、百科事典でもあり、その他の情報入手・連絡手段としても活用しているのであるが、反面、面倒でもある。

紙の情報などに比較すると、検索・保管・経費など全てにおいて遥かに優れているのであるが、見易さという点においてのみ劣るともいえるように感じている。

紙の情報の場合には、取り出して開くと、即一望できるが、画面となると、いちいち切り替えて読まなくてはならないのである。 大きい字の紙面や大判の写真が、一番見やすく感じるのである。

特に、画面は、紙と異なって、年を取り目が悪くなってくると、とても見づらいのである。

遠近両用・中距離近眼用・パソコン用近距離近眼鏡、計3個のメガネが現状である。近眼は年と共に少しずつ軽くなってきており、もう少し年を取ると、本来の老眼鏡が必要に成るのかも知れないのである。

若い人には到底理解できないであろうが、こんなにひどく辛いものとは思いもかけなかったのである。


マキャヴェッリ

2008年06月14日 06時24分18秒 | Weblog

 マキャヴェッリの肖像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

子供の頃、悪の権化みたいなイメージを植えつけられて以来、全く、忘れていた人である。おそらく読者の皆さんも多かれ少なかれこの種の経験をお持ちだと思う。

本人は、歴史家(イストーリコ)、喜劇作家(コミコ)、悲劇作家(トラージコ)と自分の名前の後に書いたそうである。

 悲劇作家と歴史家は、「君主論」「政略論」「戦略論」に「フィレンツェ史」が証明するのであるが、喜劇作家としての彼を知る人はまれではないだろうか。

「マンドラーゴラ」(媚薬と言う意味)、ルネッサンス喜劇の傑作と塩野七生氏は評している。そして、サマセット・モームの「今も昔も」は、この作品のパロディーだと言うのである。

決して美男子ではないが、同僚達が出張中の彼に当てた手紙の中に人柄を見出せるのである。

 「・・・、手紙も読んだ。全員、君と話したい想いで一杯だ。君の会話、愉快で面白くて機知に富んだ会話は・・・気分を落ち着かせ、元気づけてくれる」 「・・・君ほどユーモアにあふれていて頭が切れ、何でも即座に感心させる答えで切り返してくる者はいない」、と言うのが真実の彼の姿のようである。

 改めて、彼の喜劇作品、或いは、サマセット・モームの「今も昔も」などを紐解いて見ようかと思っている。

何時までも、フィレンツェ留まってしまい一向に他の地に何時行けるのか見通しがたたない有様である。

 補足:ニッコロ・マキャヴェッリ
(Niccolò Machiavelli, 1469年5月3日 - 1527年6月21日)は、イタリア、ルネサンス期の政治思想家である。

代表作に、『君主論』、『ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考』『戦術論』など。理想主義的な思想の強いルネサンス期に、政治を宗教、道徳から切り離して現実主義的な政治理論を創始した。

 日本語ではマキャヴェリ、マキャベリ、マキアヴェリ、マキアヴェッリ、マキァヴェリ、マキァヴェッリなど様々な表記が見られる

 マキャヴェリズム(英:Machiavellism)とは、目的のためには手段を選ばない、目的は手段を正当化するといった意味で使われる。

これはマキャヴェッリの言葉を断片的に捉えて解釈し、あるいは都合のよいように解釈した結果といえる。

たとえば、「国家が危機に陥った場合政治家は、(国家存続の)目的のために有効ならば、手段を選ぶべきではない」という言葉を、ただ単に「目的のためなら手段を選ばなくてもよい」と解釈する考え方。

 これはマキャヴェッリの思想とは異なっているが、長い間誤解され、批判され続けた。

また、このマキャヴェリズムから派生して生まれた語が、「マキャヴェリスト」といい権謀術数主義者(目的達成のためには手段を選ばない人)を指すものである。