自慢にもならぬが立派な高齢者である。記憶力はゼロいやマイナスに等しい。
初めの頃は一歩進んで一歩下がっていた、その次は二歩進んで二歩下がっていた、さらにその後は、三歩進んで三歩下がるかと思いきや、二歩半くらい下がったのでしめたと思った。しかし、それも、1週間もすれば、元の木阿弥見事に3歩下がった。
何とかしなくてはと図書館に駆け込み、奇妙な名前に惹かれて1冊の本を借りてきた。
『兼若教授の韓国案内 釜山港に帰れません』(集英社 2003年) 著者;兼若 逸之(かねわか としゆき、1945年 - )、集英社。
宿題そっちのけで、一気に読破した。そして、この先生のことを調べようとインターネットを開いた、これがまた実に悪かった。
小生が大好きな歌手の「神野 美伽」さんや、兼若先生などによる韓国語の歌の指導YouTube版に出くわしたのである。
ついに、宿題は完全にそっちのけで、歌の勉強になってしまった。
参考;
兼若 逸之(かねわか としゆき、1945年 - )は東京女子大学現代文化学部教授。専門は朝鮮史、日韓比較文化。(玉野市出身)
国際基督教大学を卒業後、韓国の延世大学校で博士課程を修了。韓国誠信女子大学副教授を経て、現在東京女子大学現代文化学部教授を務める。
専門は朝鮮史および日韓の文化比較だが、NHKのTVハングル講座を長年担当したことにより、ハングルの講師としてよく知られている。
参考2;いずれも『兼若教授の韓国案内 釜山港に帰れません』(集英社 2003年)より引用。
『韓国人が日本にわたってここがナラつまり国というわけで奈良と名付けた』
( 나라 ナラ と発音、意味は「国」)
『日本の古文書には渡来人が文化を作ってあげた過程を書いてないのは 韓国人が日本人の立場になって日本人がコンプレックスをもたないように書いてあげたから』
『和歌の枕言葉は中国にも韓国にもないが 韓国人が日本に漢字を伝えるにあたり枕言葉ができた』