12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

YouTubeの威力

2009年03月31日 09時12分45秒 | Weblog

写真は孫達が食い入るように眺めているYouTubeの画面である。

新幹線あり、仮面ライダーあり、ウルトラマンありのなんでもありのサイトである。

下記は、その一例として引用した仮面ライダーの動画サイトである。

 http://channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ch_userid=eukjin&prgid=34220655&categid=31977843

数十万ヒットレベルの大変よく見られているもののようである。
子供たちの喜ぶ動画が目白押しであった。こんな遊び方もあるのかと、目からうろこだった。


148年前の人

2009年03月30日 09時46分08秒 | Weblog

オバマ大統領の就任式で、第16代大統領 エイブラハム・リンカーンが就任式で用いた聖書が話題になった。

リンカーンさんも波乱万丈の人生を過ごしていた。

22歳 ビジネスに失敗
24歳 州議員に落選
25歳 州議員に当選

26歳 婚約者の死とうつ病
27歳 州議員に落選
33歳 不幸な結婚

39歳 上院議員に落選
46歳 上院議員に落選
47歳 副大統領に落選

49歳 上院議員に落選
51歳 第16代大統領に
56歳 暗殺

このリンカーンの七転び八起き人生を知って大変驚いた。
こんな深い思いのこもった聖書にオバマさんが手を置いたのであった。

おそらく多くの試練に立ち向かうことを誓ったのだと信じている。


千円乗り放題

2009年03月29日 07時51分54秒 | Weblog

昨日から全国的に「高速千円乗り放題」が始まった。

孫達が来たのに合わせて、善通寺・琴平参詣を行った。
瀬戸大橋は千円、坂出北から善通寺まで二百円の、片道合計千二百円であった。

与島パーキングエリアではかなり沢山の人手を見たが、走行する車は多なく十分のんびり走れる程度。ただし、九州・関西・関東・東北と県外ナンバーの車が多いのに驚いた。

4月から電気料金・小麦価格・燃油サーチャージなど値下げになるものも多いと言う、行楽に出かけるには好都合になってきた。

携帯の家族間無料通話でも必要でない限り使用しなくなったように、もの珍しさが終われば本当の必要性がない限りでかけなくなるだろう、果たしてこのブームはいつまで続くのだろうか。


2009年03月28日 07時27分02秒 | Weblog

 好物なのでよくうどんを調理する。いとも簡単である、調理というほどのものではない。

冷凍讃岐うどん(これが大変うまく作られており、腰がしっかりとして極めて美味である)と出汁の瓶入りのもの2倍に薄めればよい(これもいい味である)、後はねぎと蒲鉾などの具を少々。

小生は、機械屋の端くれである、それ故刃物の手入れは万全である。刃物は全て髭が剃れる程度に磨いである、これが悪かった。

蒲鉾のプラスチックの皮を切っているとき、手が滑った。左手の薬指の先端部をざっくり、深い傷、以後不便なこと、水仕事では二週間になるがまだ困っている。

ここから本論である。男性読者に切にお願いしたいことがある。たいていのお宅では、主婦が調理をしているのであろうが、何百回か何千回かに一度は、どうしても指を切る事故が発生する。

傷が完治するまでは、痛みなどで当然ながら、主婦はとても作業に困るのである。 このとき、主人たるもの知らぬ顔ではいけない、率先して主婦の作業を肩代わりしてもらいたい。

 これが今回のことから小生が学んだことである。


ノー・マイカーデー

2009年03月27日 08時31分28秒 | Weblog

 某新聞記事から一部引用した。

 “ 平成20年10月31日(金)に実施された「岡山県下統一ノーマイカーデー運動」の結果が公表された。  

全体の取組人数は,3,765人で,削減通勤距離は,73,467kmでした。(うち玉野市の取組人数は,249人で,削減通勤距離は3,851km) 

実施結果の詳細については,下記関連書類「岡山県下統一ノーマイカーデー運動の実施結果について」をご覧ください。 

なお,次回は,平成21年5月29日(金)に実施予定です。

 エコが目的のノーマイカーデー運動は通勤を対象としている関係上、
先日から土日祝日の高速道路一律1000円となった件は、ノーマイカーデー運動とは無縁のようである。

たとえ温暖化ガスが沢山発生しても目先の景気刺激のためには、ガソリンの消費に目をつぶれということである。

 臨機応変とはこのようなことを言うのであろう。激変する世相に対応するために、我々も右や左に振り回され、それなりの対応をなくしてはならないようである。


目分量

2009年03月25日 09時18分00秒 | Weblog

料理教室の先生に「美味しい料理の作り方」を習いたいと言ったら、怪訝な顔をされた。

今から考えると、自動車教習所の新入生が、カーレーサーの教習を受けたいと言っているようなもので、身の程知らずというか無知と言うかとんでもない要求をしたのだった。

 料理の習い初めの頃は、レシピ通り忠実に、その上材料や調味料を神経質に計量しまるで化学実験をするような面白さを味わいながら料理を作っていた。

 しかし、例えば、包丁での切断作業に代表されるように全てのスピードは遅くベテラン主婦の数倍の作業時間を要していた。(包丁作業は、現在でもあまり改善されていない)

 一時が万事このようなスローモーションと手際の悪さからくる非効率で毎回3・4時間の調理作業時間を要する始末だった。 最近では、習熟効果と手抜きと横着をすることを覚え、幾分か時間短縮ができるようになった。(調理作業による運動時間が減少したので、散歩の時間を少し増やした)

最大の改善点は、材料や調味料の目分量ができるようになったことである。そして、これによる最大の効果は、美味しくなったように感じられることである。

人それぞれの好みがある、それに合わせるように調理するのが大切なのだと思っている。

 料理の本も何冊かあるが面倒なのであまり開かず、ほぼ毎日に等しいくらいお世話になっているのが次のサイトである。特に、在り合わせの材料から調べるのに重宝している。

 1.レシピ大百科  (味の素)
http://www.ajinomoto.co.jp/recipe/

2.日本最大!料理するならクックパッド
http://cookpad.com/

これ以外にも沢山同種のサイトがあるが、上の二つでどうにか間に合っているので、深くは調べていない。

特に、2のサイトの特徴は、若手の主婦達が、思い思いに独創性を織り込んで自在に調理をしているさまに感心させられることである。


再開と継続

2009年03月24日 08時15分35秒 | Weblog

 三日坊主に陥らず、物事を継続するのは、大変なことである。そこで、継続の原動力となるものについて、考えてみた。

第一段階は、なんといっても、興味と必要性である。興味を持ち知りたいという必要性であったり、やりたいという必要性である。

これが過ぎて一段落すると、第2段階は、「人よりちょっとうまく出来るという優越感」であるように思える。 ここまではおそらく万人が同じだと思っている。

 昨年は目の不調から、全ての教室を退会し今日に至っている。目にはいくらかの後遺症が残り車の運転をあきらめ、バイクも危険なので自粛中である。

昨年後半は、最悪も想定して身辺整理を行いこれも一段落した。家に閉じ篭っているのはどうも気分的によくない、陽気もよくなったので、どの教室を再開するかを検討し始めた。

何を再開するか、それをどのように決めるべきなのか、その判断材料を何とすべきかである。再開のために何が原動力になるのか・・・、この答えを、いまだ見つけていない。

「源氏物語」;興味の段階である。・・・今後の推移の見通しは、まだ不明である。

「ストレッチ体操」;ひざの痛み改善対策だったが、昨年春の半月板手術でほぼ完治した。当座の必要性が無くなったし自宅で十分できる見通しがついたので、卒業とする。

 「太極拳」;頭が動くとどうしても二重に見えやすくなる。このためあきらめざるを得ないようである。

「水墨画」と「俳句」;座ってできる作業なので、それほど無理がない、そろそろ再開しようかと思い始めた。

 「料理」;料理はある程度こなせるように成ってきた、生活上の必要性は満足できるような状態になったと思っている。これも卒業することにした。

 徒歩か自転車で外出し、雨などの日はお休みとマイペースでの再開が実際的なようである。


古きもの

2009年03月23日 08時42分26秒 | Weblog

 デジタル化が急速に進行している。よくワカラン新型の装置や記憶媒体が、世に氾濫しているように思える。

カセットテープが、相当時代遅れとなり、MD・CDも、そろそろ時代遅れ。DVDにおいても、近日中に時代遅れになりそうな雰囲気である。

現在、小生の色々な楽しみ財産の多くはカセットテープであり、ビデオテープである、DVDは、未だマイナーである。そろそろブルーレイも登場しそうである。

時代がどのように変わろうとも、旧式のカセットデッキと、旧式のビデオデッキは、貴重な財産の再生に欠かせない。

修理に出していた、ビデオデッキが、久しぶりに帰ってきた。やっと、採り溜めたビデオを見ることができるのである。古いものとの付き合いは、切っても切れないのである。

 現在、カセットデッキが、不気味な音を奏で始めた。これからも暫くは、修理屋さんと付き合う必要があるようである。


モニターとTV兼用test

2009年03月21日 09時33分01秒 | Weblog

 ハイビジョン映像を鑑賞できる環境となったので、そろそろハイビジョン編集の可能な高性能のパソコンを導入する検討を始めた。

ソフトの選定が第一なので、A社の中級クラスのものにすることにした。

これが十分機能する能力のパソコンを選定することが必要条件である。
家電量販店で通常取り扱っている一般用のものでなく、ハイエンドクラスといわれる相当高性能なものを必要とするので、どうしてもパソコン購入費がかさみそうである。

そこで倹約方法のひとつにモニターをTVで兼用する案が浮上してきた。兼用だから必ずしも便利ではないのだが、モニター代数万円の倹約になる可能性がある。

そこで、今回のモニターtestを行った。

 1. まず手持ちのパソコンとTVを接続するcableの準備である。

2. MINI-D sub15ピン 映像用cableとステレオ ミニ ジャック 音声用cable各1本を用意する。

3.接続作業はいたって簡単、TVとパソコンの接続端に差し込むだけ。
(最近はHDMIというデジタル接続があるようだが、小生のパソコンは古いのでこのアナログ接続方式しかとれない)

 さて実験結果であるが、小生のパソコンの画面は1024x768ドットであるが、TVの方は1920x1080ドットの画面である。

従って、TVの画面の中央部にこじんまりと表示されるに過ぎない。
しかし、忠実に再現されており十分現状でもモニターとして使用可能である。

パソコン側の出力が1920x1080ドットのものであれば、画面全体に綺麗に表示でき十分に実用できることが確認できた。

モニターとTVを兼用とするか独立とするかは、自分の使い方における利便性で判断しなくてはならないと思っている。


春の声

2009年03月20日 07時43分07秒 | Weblog

 神登山という海抜189mの山が自宅の西側にある。頂上とは別の小山の頂上にある自宅との直線距離は五百m程度しかない。

庭に出ると終日盛んに鶯の鳴き声が聞こえる。かなり上達した泣き声になっている。

5月頃の陽気といわれる暖かいある日、録音機とカメラを持参して鶯の声収集に裏山に登った。

幾つかの峰の間の谷に集中して生息しているらしく、十羽くらいの鳴き声を聴くことができ、また頂上付近では雉の一声も聴くことができた。

      誰も気にとめぬうぐひす鳴いてゐる 明石洋子 

わらび採りの人と何度がすれ違ったが、まさにこの句の通り、わらび採りに懸命で、うぐいすの声に関心をしめす人はいなかった。

<!-- 春の声 -->

 

 


平穏

2009年03月18日 09時47分01秒 | Weblog

ローマ兵が戦闘中に亡くなると、本人が生前に書き残した文面を墓碑銘として刻むのが常だった。

墓碑銘 その1;
―― 生きていた間ずっと、わたしは心から愉しんで酒を飲んだ。だからあなたたちも、生あるうちに酒を愉しんでくれ!――

「酒」の字句を読者のお好きな言葉に置き換えて生きていただくとよいであろう。

墓碑銘 その2;
―― 平和のための一翼を担うと、心に深く誓った。  そしてそれを果たした。
ダキア人を殺すと誓った。  そしてそれも果たした。
凱旋式に参加して、乱痴気騒ぎをしたかった。  そしてそれも果たした。

主席百人隊長になって、この地位が約束する栄誉と報酬が欲しかった。  そしてそれも得た。
女神の裸体を拝みたかった。  そしてそれも拝んだ。――

読者の皆さんは、何を誓い、何を欲し、そして叶えられたのだろうか。
小生の場合には、次のようにしか書けそうにない。

TV・洗濯機・冷蔵庫を欲し。  そしてそれを得た。
家を欲し。  そしてそれも得た。

車を欲し。  そしてそれも得た。
嫁さんと子供を欲し。  そしてそれも得た。

いささか物足りない文章でとても、墓碑銘には到底なりそうにない。
劇的な生涯でもなく、醜聞にも縁がなく、淡々たる平凡な人生である。

「平々凡々たる平穏を誓い・欲し。  そしてそれを得た」とでも書かねばならないようである。

アントニウス・ピウスは、皇帝として特筆すべきことは何一つしていない皇帝であったが、
「秩序の支配する平穏」という実にうまい評句が捧げられ五賢帝の一人に選ばれている。

この賢帝の選択基準なら、小生も賢夫の一人に列してもよいのではなかろうか。


春の便り

2009年03月17日 08時12分32秒 | Weblog

 

ストラスブールの春をメル友が送ってくれた。今年のフランスのニューモードなのだろうか、華やかさと春の軽さが伝わる帽子やバッグが写されていた。

  

続いては、雨の風景である。おそらく、日本同様に暖かい春の雨なのだろう。

 

 お返しは、先日続いた雨の日にお隣のお庭を撮影させてもらったものである。水の国日本の豊富な雨量を感じることができる。


ユリウス・カエサル24 その2

2009年03月16日 08時05分06秒 | Weblog

 昨日に続いて、カエサル最終稿の締めくくりを書く。

今日の世界では大統領や首相などという一人統治システムが当たり前となっているが、カエサル時代のローマでは少数の集団(元老院)で統治する共和政以外の統治システムは考えられなかった。

 「人間ならば誰でもすべてが見えるわけではない。多くの人は、自分が見たいと欲することしか見ていない」というカエサルの言葉通りに、多くのローマ人達にとって一人統治システムは全く理解不可能で、カエサルが専制君主を狙っているというローマの大半の人達の思いも無理からぬものだった。

少し暗殺後のことについて触れておく。

翌16日、群集の怒りが爆発し暗殺者達は政権を奪うどころかカピトリーノの丘のユピテル神殿に逃げ込むしかなかった。

17日はカエサルの遺言が公開され、これに基づきカエサルが就いていた終身独裁官のみが廃止されその他の要職の人事が実施された。

基本的にカエサルが考えたとおりに政治面での人事が定まったのであった。 ただし、カエサルの遺言で要職に指名されていた暗殺者達は当然彼要職に就くことはできなかった。

反カエサル派のキケロは後に「何のための殺害だったか」と慟哭している。

カエサル23で書いた「カエサルの特権の13番目の“拒否権と肉体的不可侵の権利”」は、元老院議員全員とカエサルが結んだ紳士協定であった。

この協定があることは、単なる暗殺という刑事犯罪ではなく、ローマ式「紳士協定」という誓約を破ったことになり、暗殺者達は国家の統治にふさわしくない人物とされたのである。

また「国家の父」という尊称を贈った庶民達は、「父殺し」として暗殺者達を憎悪と怒りの対象とした。

暗殺者達はその後2年間で死に絶えてしまい、次の時代は「オクタビアヌス」対「アントニウスとクレオパトラ」の勢力争いがしばらく続き、BC30年オクタビアヌスが初代皇帝(アウグストウス)となり帝政が始まった。

ついにカエサルの計画が忠実に執行される時代が到来したのであった。 まさにカエサルが目指した一人統治による、カエサルが考えた政策が実行されることになったのであった。


ユリウス・カエサル24 その1

2009年03月15日 08時42分21秒 | Weblog

 

今日は3月15日である。

北緯34度29分の玉野市の今日は少し寒さが強いが、昨年の3月上旬のローマ(北緯41度29分)は岡山より遥かに北に位置するが地中海性気候のためであろう薄着でも汗ばむほどの快適な陽気だったと記憶している。ずいぶんと住みよい気候であった。

BC44年3月15日はカエサル暗殺が実行された日である。
3月15日“The ides of March”として西欧では、カエサルの暗殺日として知らないものがない。

カエサル暗殺にちなんで
「ブルータスお前もかのブルータスは誰か?」について二人のブルータスに登場してもらい彼等について、今日明日、その1とその2の2回続けて書く。

1. 一人目のブルータス「マルクス・ブルータス」(当時40歳前後)

八歳で父をなくしたブルータスの母親セルヴィーリアは、子育てに熱心な賢母でもあったが、再婚が当たり前のローマにあって生涯未亡人を続け、またカエサルの生涯の愛人でもあった。

ブルータスは東大を卒業しオックスフォードとプリンストンとで学位を取得したような哲学一本の青年だった。しかし、金融業に成功し借金とは無縁の生活をしていた。

ブルータスは成人の後、父の敵であるポンペイウス派に参加し有名なファルサルスの会戦に参戦してカエサルに敗れた。

カエサルは部下にブルータスだけは殺さぬように指示し、丁重な護衛の一隊まで派遣してまるで家出をした息子を母親に送り届けるように愛人セルヴィーリアのもとに送った。

また、カエサルはこの生涯の愛人の願いを聞き、このブルータスを北イタリアの総督にまでにしている。

ブルータスは、広い知識と深い教養の持ち主だったが学者になるべき人だった。

「カエサルが与えてくれる私益を犠牲にしても、国家ローマの公益を重視する人・無欲の人・潔白な人・野心のない人」と思われ、マルクス・ブルータスはカエサル暗殺の旗手とされたのだった。

カエサルの暗殺では、ブルータスは担がれただけで、妹の夫であったカシウス(注2)が真の主謀者であった。しかし、ブルータスが主謀者になったことで参加者が増えたことも事実であった。

カエサル暗殺に加担した反カエサル派元老院議員は60人であったとする説もあるが確証はない。しかし、実行部隊の14名の名は判っている。カエサルはこの14名に刺され、傷は全部で23箇所、致命傷は胸に受けたものだけだった。

カエサル下の幕僚や側近達のうち20人に一人に相当する5名が暗殺に加担したのだった。

 2. 二人目のブルータス「デキウス・ブルータス」(当時40歳前後)

カエサル傘下の幕僚では最も軍事的才能に恵まれた一人で「青年ブルータス」と記され、カエサルが才能を認めかわいがっていた。

しかも、カエサルは暗殺後公開された遺書の中で
「第一相続人(注1)が相続を辞退した場合の相続人に指名していた」。

従兄弟のマルクス・ブルータスではなく、このデキウス・ブルータスが「ブルータスお前もか!」のブルータスとする研究者が多い。

(注1) 相続第一人とは初代皇帝となるオウタビアヌス(当時18歳と六ヶ月)だった。

(注2) 暗殺の真の主謀者はカシウス・ロンジヌス(40歳前後)。

若くして戦闘の指揮官になったが、有名なカッレの敗戦で総司令官を見捨てて500の騎兵と共に逃げている、いわゆる敵前逃亡である。

またポンペイウス軍に参加し敗色濃しと見るや指揮下の全軍船を引きつれカエサル軍に降伏している。

 

残虐行為を嫌ったカエサルは、「カエサルの寛容」により、多くの人の生命を助けまた要職にも就けていたが、これが結果として裏目に出たのだった。