12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

セキュリティの危険性の高いもの削除

2014年03月27日 06時05分52秒 | ボヤキ


最近、おかしな広告 ”メモリーが一一杯です、ここをクリックしてWindowsを修復して下さい。” とか、
YBBのホームページでニュースを見ているとC国のニュースサイト(日本語版)みたいな所に勝手に誘導される、
その他、色々と面白くない割り込みが非常に頻繁に起きるように成った。

さしあたり、前からセキュリティに問題があると言われている、次のものをデスクトップに貼り付けているので、これらを削除した。


 1.Google デスクトップ(大変便利に読みたい人のブロクやニュースの記事等表示してくれる)


 2.デスクトップ上に時計・カレンダー・CPUメータ等のガジェットを貼り付けている。


安全性と便利さを引き換えにしたことに問題の一端があるかもしれないので、今回は安全性第一と上の2件の削除を行った。

確かに有れば便利だがのくなってもどうにか済んでいる。これで、慣れる以外にないようだ。


 3.YBBのホームページは、ブックマーク・ツールバーにあり。このサイトでニュースを見ているとついついおかしなC国らしきニュースサイトに自然に導かれるのも気色悪く。


通常見るニュースサイトからYBBを削除したいので、ブックマーク・ツールバーから削除し、MSNに一本化した。あとは、各有名新聞のサイトを見ることにした。
ただし、ニュース以外の娯楽サイトは見る必要があるので、YBBのサイトは残している。

最近の広告攻勢は気分が悪く、信用のおけないものが多くあり商業道徳を守ってほしいと思うが、外国の物が多く、自分の利益最優先の迷惑行為が横行しているようである。

ウイルス対策ソフト会社は何をしているのか!  引っ掛けサイトを厳格に排除して欲しいものである。

追記;
悪質サイトは、手を変え品を変え攻めてくるようである。我々素人は為す術を知らないが、出来るだけ危険回避の努力が必要と思っている。嫌な時代になってきたものである。


元首相はどうしてそんなのか?・・・原田

2014年02月27日 06時43分45秒 | ボヤキ

 

1. ソチ・オリンピック発言で物議をかもした人がいた。
インターネットの投稿に、次のようなものが見えた。

kem*****
ここで、そのとおりだ後悔してる、と反省の態度をとれば、
リカバリーできたのにねぇ。やはり、馬鹿だわ・・・賛成票 26806

jbc*****
老害。もうオリンピックに関わるな。・・・賛成票 19963


2. 都知事選挙ご出馬と応援のお二人
   無責任な政策を掲げて、登場。恥の上塗り。


3. 振り返って見れば、多数他にも現存するし、過去にもいたのである。

ご本人の、思いあがりが主因であろうが、それにしても情けない。なぜ日本人は、こんな低級な人物を首相に選ぶのか、選挙民自身が大反省する必要がある。


マスコミは、どうしてこんな発言を、引き出すのだろうか?つまらないゴタゴタを面白がって引き起こしているとしか思えない。つまらぬ報道を国民に報道するのは、恥じるべき行動だと思わないのか?報道姿勢そのものを、改めるべき時期にあると思う。つまらぬ報道をするな!!


それにしても政治家は、素人には向かないのか?
460万票の期待の都知事が1年しか保たないとは・・・。

 

 

 


恩師の年賀状

2013年01月14日 08時07分21秒 | ボヤキ

「・・・、私は満90歳になり・・・新しい年を迎えました・・・」と、小学5・6年の恩師から年賀状を頂いた。

生来出来の悪い生徒であった小生を何故か可愛がって下さって、放課後理科教室を自由に使わせて下さった先生だった。

 

戦艦大和から生還された先生が小学3・4年生の担任だったし、この年賀状の恩師はフィリピンの地獄の戦線からの生還者だった。

この当時、厳しい戦線から九死に一生を得て帰国し、それから再教育を受けて教師になられた先生が多かった。

 

 

更に、年賀状の続きを記載する。

「日本軍の強さの原因は、日本人が持っている恥の文化にあると気づき 戦後 米国は 日本で恥の追放に努め、その結果 多くの日本人は恥知らずになり 公共の乗物内で堂々と化粧したり 車内を走り回る子供を叱ることが出来ない母親が多くなった。

 

教室で教員が叱れば その理由も正さずに母親がその教員を非難し 学級が崩壊し、いじめが日常化、遂に自殺者が出るに至っている。

 

同一人種、同一言語で、皆が読み書きできる日本人だけが持っていた 恥知らずをなくする教育は 二百年前から日本で実践され、その事例は多くの文書に残されている。

 

今 学校教育の基本として 恥知らずがひとりも居なかった昔の日本人の姿を知らすことが極めて大切である。」

 

無能な政治家達の「大衆迎合政治」が一段落しホッとしているのであるが、再び大失敗の選択と言わなくて済むように、これまでにまして国民一人一人がしっかりと目を見開いて、政治の監視をする必要がある。

 

・・・それにしても、残念ながら日本には、損得勘定には強いが、高い品性を有するリーダやインテリが少ないのが気にかかるのである。


来年の流行語大賞にしたい言葉「大マスゴミ」

2012年12月30日 07時09分12秒 | ボヤキ

今年最後のボヤキである。

文章が上手な友人が一人いる。簡潔で、要点を捉えているだけでないのである。ウイットに富んで、人の心を捉える絶妙の文章が書けるのである。

今から考えると、彼が某大手企業の専務などというクソ面白くもない無味乾燥の人生を送ったのを惜しむのである。

なぜなら、もし文筆家を目指していれば日本有数の作家の名声を勝ち取ったのではないかと思うからである。

 

その彼が考えついたのが「大マスゴミ」という言葉である。

無責任な情報の垂れ流しの元凶となっている日本のマスコミを厳しく批判する仕組みができないものかとつねづね腹立たしく思っていた。

小生は、「大マスゴミ」という言葉が来年の流行語大賞に選ばれるほど民衆に普及し、厳しく強いマスコミ批判体制が国民全般に行き渡る世の中になることを希望するものである。

彼の一文を次にご紹介する。

 

” 爺ぃの老婆心(94)・・・T

涙!!  タイガーマスク

<タイガーマスク>彼が伊達直人・・・運動のきっかけ、明かす

12月27日、毎日新聞配信のYAHOOニュースに泣かされてしまった。

記事の一部を紹介する。

※ 10年12月、群馬県内の児童相談所に新品のランドセルが贈られ、これがタイガーマスク運動のきっかけとなったのは、同県在住の30代の男性だった。・・中略・・

男性は、九州出身で、両親の生死さえ分からない複雑な家庭環境で育った。ボロボロの靴を履きランドセルすら持つことができず、風呂敷で小学校に通い、通信制の高校を卒業した。現在は東京に本社があるサービス業の会社に勤務し2年前、児童相談所のある前橋市に転勤。

男性は昨年、クリスマスプレゼントを持参して同じ児童相談所を訪れた。その際の職員とのやりとりから、福祉関係者の間では「最初の伊達直人」だと認識されるようになった。・・中略・・

男性は今年も25日朝、サンタクロースがデザインされたクリスマスカードとともに、10万円相当の商品券を児童相談所に届けた。2年前の最初のカードと同じ筆跡だった。児童相談所には、さらに、「伊達直人」を名乗る他の人たちからもランドセルやサッカーボールが届けられた。 ※

 

記事には彼がこのプレゼントを始めた理由も書かれていたが、しばらくは涙が止まらなかった。

いまどきこんな30代の男が居たんだ!

 

大マスゴミよ、こんな記事こそ淡々と、そして大きく報せてくれよ!!

小沢や亀井や嘉田の記事はもういい。石原と橋下にも辟易した。まして東国原は、もうテレビに出すな!”


優先席のこと

2012年11月06日 08時35分56秒 | ボヤキ

小生は古希であるから、優先席の権利は履いて捨てるほど十分に持ち合わせている。その反面、ボケた頭と目の悪いことを除けば、本人としてはそれなりに元気でシャッキリしているつもりである。 

この春の釜山の地下鉄とこの秋の台北の地下鉄双方で、大変親切な優先席のもてなしを受けた。 この両都市とも大変によく教育ができており、申し訳ないほど優先席の提供を頂いたと記憶している。 

それに引換、日本はどうであろうか?東京の地下鉄は?、総武線では?。そんなに親切にされた記憶が無いのである。 

これは小生の「つむじ曲がり ・ ヘソ曲がり ・ 拗くれる ・ イジケた ・ 屈折・ ヤッカミ・そねみ・ねたみ」などではないのである。ありのままの感じなのである。 

高齢者の基準年齢をもう少し上げても構わないが、もう少し弱者に対して優しい日本にできいないものだろうか!


オー、厚年基金制度廃止だって!!

2012年10月06日 05時21分14秒 | ボヤキ

次の記事に愕然とした。(この記事も、早く処理しないと賞味期限が来る種類のものである。) 

”厚生労働省は9月27日、AIJ投資顧問の年金消失事件を受け、主に中小企業が加盟し財政が悪化している厚生年金基金制度を廃止する方針を固めた。28日に開く厚生年金基金の特別対策本部会合で決定する。 

 廃止に関する具体的な方法については、10月にも社会保障審議会年金部会に委員会を設置し、詳細を検討する。年内に厚労省案をまとめ、来年の通常国会での関連法案提出を目指す。 

 2011年度末で全国には576の基金があり、掛け金を払う加入者は約447万人。厚労省は厚年基金に企業年金への移行を促す方針だが、解散を余儀なくされる基金も出てきそうだ。”

 

この記事では詳しいことは不明だが、廃止の方向にあるのは間違いないような書き方であった。 

小生は、現在、基金の年金を受給している当事者である。今後の行方が、非常に気になっている。


原稿の賞味期限

2012年10月06日 05時04分15秒 | ボヤキ

ブログの原稿は、思いついた時に直ぐにパソコンに打ち込むようにしている。忙しい時には、題名だけでも打ち込んで、忘却対策を行なっている。 

そんなこんなでいつの間にかそれらが溜まってしまい、デスクトップが満員状態となる。それで、時期を逸し賞味期限切れとなったものが削除の運命となる。 

削除対象の特徴は、限られた狭い範囲の話題で普遍性がなかったり、咀嚼不十分の記事だったりと、当然といえる理由がある。それ故に、全く惜しいと思うこと無く削除している。

 

歳を取ってくると、身の回りに賞味期限切れのものが目につくようになってきた。その一つが、本類である。後生大事にこれまで保管して来たのだが、よく考えてみるとソレらの本類は、小生以外者にとってそれ程価値のあるものではないのである。 

単語についてはインターネットで大雑把ではあるが日常程度の調べが簡便にできる時代になったので、辞書の存在価値が激減した。それで、辞書の整理を始めた。 

英語の辞書は、家内や子供の物を入れると10冊近くある。これを1冊に絞って、その他は廃棄。

フランス語・ドイツ語・ロシヤ語等のものも全て半世紀近く前の代物である。実用性はないといっても良いだろう、全て廃棄。

 

周りを見回すと自分の残りの人生で必要な物は、かなり少ないのである。更に、賞味期限切れのものを整理しようと思っている。(自分自身がいささか賞味期限切れになったのであるが、まさか捨てるわけにもいかない、・・・。) 

こんなことを始めると、自ずから「執着」から逃れられるようになるのだろう。

 

追記;
昨日は、新婚旅行以来使用してきたスーツケース(ついに鍵がかからなくなった)を小さく切断し捨てる準備をした 。・・・まだまだ、古いものが沢山ある。次々と整理しなくては。


避難は本当に必要か?

2012年09月03日 05時12分31秒 | ボヤキ
9月2日は全国的にも、同時にこの地区も東海・南海トラフで起きると予想されている巨大地震とそれに伴う大津波を想定した避難訓練の日だった。

小生は敢えてこの避難訓練の参加を拒否した。なぜなら、その理由は単純明快である。「自分にとっての最大の安全は、 避難しないこと!」と信じているからである。


小生の団地は、小山の頂上を平に整地した海抜35m以上の平らな部分にある。そして、我々の小山はその周囲を150m級の外輪山に囲まれているという構造である。

ただし、外輪山と表現したが、正確にはそれは連続しておらず何箇所かの不連続箇所があり、そこから瀬戸内海に通じている。(この団地からは、瀬戸内海を越えて高松市を遠望できる。)

岡山県南部に位置する玉野市で最新の想定津波高さは、今の段階では伝達されていない。

しかし、太平洋岸の最大場所で津波高さ三十数メートルという報道からすると、瀬戸内海のこの地方では、到底小生の団地まで津波が届くとは考えられないのである。

今回2箇所指定され避難場所は、いずれも海抜十数mでしかない。こんなところに避難したら、改悪以外の何物でもない。

その上避難場所までへの道中では、海抜数mまで降りて低い道を歩き、次に海抜十数mの避難場所に登るという行程になる。

元気な人で10分くらいの道のりである。急な坂道もある高齢者ではこの数倍掛かるのではないだろうか?

避難場所へは、代替案として外輪山の内側をたどりあまり高度を下げないで済むルートが無くもない。しかし、このルートは急峻な山肌を水平に移動する道であり、地震による崩落の危険性が予想されるのである。

くどくど説明したが、一言で言って「自分の家に居ることが、一番安全!」だということなのである。


今回避難訓練でも、1mの津波・2m津波・・・・10mの津波・・・で、避難対象地域や避難場所も避難形態も、それぞれに適正なものがあるはずである。

今回の様な「十把一絡げの避難訓練」にはどうしても賛同出来なかった。国をはじめ県も市も、もう少しよく考えた避難計画を立案するべきではないだろうか。



災害には、大地震(+津波)、大火・大山火事、山崩れ・山津波、コンビナートからの火災や毒性ガスの飛散、更には、とんでもない伝染病、あるいはテロや暴動(最悪戦争)等避難を必要とする条件も様々である。

それぞれに、最適な避難計画があるはずである。そういった視点で考えることが必要なのではないだろうか。

(避難させない事も含めて避難計画を練ってほしいものである。)

高齢者のお金を守ろう

2012年08月26日 01時23分39秒 | ボヤキ

我々高齢者は、騙されやすいという自覚を持つ必要がある。それに役立ちそうなサイトを幾つか見つけたのでご紹介する。 

 

「高齢者のお金を守ろう」この題名は、次のNHKのサイトのものである。 

http://www3.nhk.or.jp/news/furikomesagi/

 

次は、「振り込め詐欺防止」キャンペーン動画である。 

http://www3.nhk.or.jp/news/furikomesagi/flv/flvplayer.html?num=03 

http://www3.nhk.or.jp/news/furikomesagi/flv/flvplayer.html?num=06


原発是非論

2012年08月09日 05時29分28秒 | ボヤキ

新たなことが世に出てくるときには、権威者達がよってたかって足を引っ張るのは世界共通の現象である。 

その一例であるが、臓器移植がそうであったように、世間から敬遠されていた時代があった。それでも今はどうにか認知されてきたといえるのではないだろうか。 

この時に猛反対をした知識人や権威者達などはその後どう責任をとったのだろうか。無責任に言いぱなしで「しらぬ顔の半兵?」を決め込んでいるのではないだろうか。 

 

小生は、「現在は、あまりにも原発の負の面が、”感情的に強調され過ぎている”のではないか」と思ってる一人である。 

マスコミが煽りたて、”衆愚政治”を扇動しているような気がしてならないのである。

 

それで、確たる根拠も信念もあるわけではないで、穏やかなというか、正しくは自信の無いというべきだろうが、知人・友人に質問されたときには、原発容認論を機械屋崩れとしては展開しているところである。

 

このような国民が正しい判断ができない原因の多くは、「基本的、正しく詳細な情報が我々に届いていないためだと思うのである。 

一部の情報は、仮に届いていても理解できないままとなっているものも多数あるのだろうと思っている。

 

福島原発の事故前は、反原発派は社会の片隅に押し込められ、ほとんど国民にその声が届くような環境に無かったと思っている。 

反面、事故後は原発推進派が一段と肩身の狭い状態に置かれ、正当な発言が押し込められているような気がする。

 

今回のことで特に感じたのは、マスコミのいい加減さ・デタラメさだった。少しばかりの聞きかじった情報でエキセントリックな話題作り上げ、それをノーチェックで放送したのは、民放各社だったのではないか。・・・彼らを犯罪者として弾劾した気持ちがある。(あまりやると言論統制にるだろうか・・・

 

大事の時には、どうしても小さいことまで対応できないことが多い、それらをマスコミが鬼の首を取ったごとく騒ぎ立て、物事の優先順位を狂わせて、どれほど現場の作業を妨害し・志気を低下させたのかと、小生などはマスコミを呪ったものだった。(弱い立場の当事者たちは、ハラワタガ煮えくり返っても、発言で出来ないのであろうと思っている。) 

少なくともマスコミにして欲しい事は、そろそろ一度自分たちの発言が正しかったかどうか、自己採点し反省すべきは反省して欲しいのである。 

 

工場における爆発事故や災害は、その会社の総力を投入して解決に当たるのだが、今回はまさにal l Japanで事に当たったような気がする。 

この短期間であれこれ現場は実に良くやっているというのが、小生の感想である。機械屋・電気屋・土木建設屋などなど多くの人たちの活躍に敬意を表するのである。 

 

これからは、原発反対派も原発推進派も対等に堂々と意見を発言できる環境を作り正確な実のある議論が出来る場を提供するように、政府やマスコミに一考願うものである。

 

(追記)それにしても、HKなどという日本の首相は、とんでもない阿呆であり馬鹿である。こんな奴らを選んだ自分がなんとも情けない。彼らは一日も早く政治の表舞台から去り、隠居生活に入るべきであろう。


第33回 玉野水墨画展

2012年06月25日 05時23分29秒 | ボヤキ

 

春と秋の年2回水墨画展が開催される。水墨画教室の生徒にとって最大の勉強目標が、この展覧会である。(24日で終了) 

今回もおなじみの顔ぶれが一同に会し、活気溢れる展示の準備作業を行った。 

毎度のことながら、知人たちの作品にそれぞれ関心を示しながらの、作業であった。賞賛の外交辞令が飛び交っていた。

 

特に感じたのが、半年毎に出会う先生方・生徒さん達が、当然ながらそれなりに歳を重ねてきているということである。平均年齢がどこまで上がったのだろうかと、気になるのである。

 

現市長の就任後、経費節減が盛んに実行されているのだが、小生が気に入らないのが、人件費削減はいつまでも後回しというか一向に実行するチカラもなく、ひたすら市民サービス削減ばかりでお茶を濁しているいるという点である。

 

市道は継ぎ接ぎだらけで凸凹が激しくなるばかり。市民講座は削減の一途で、新規に学ぶための講座の多くが姿を消した。この結果、新人の育成が滞り色々な趣味講座で高齢化の進行が進み始めている。

 

税収は減る一方の時代が来たのである、財政赤字盛んな時代である。何時までも公務員がのんびりぬくぬくと出来る時代は終了したのである。

 

橋下維新政党にあやかって、公務員の人件費・優遇削減に邁進し、市民サービスの向上を推進して欲しいものである。・・・そろそろ市長も交代時期だ、市民の為の改革が実行出来る新市長の登場を期待する。

 

 

 


自転車と歩道

2012年06月22日 03時08分25秒 | ボヤキ

5月から、電動自転車が日常の主要な交通手段となった。 

玉野市には昔の市電の線路を今は「歩行者・自転車専用道路」としたものが1本ある。これを除く全ての道、特に歩道は、自転車にとってどんなに不適切な道なのかと言うことを嫌というほど味わっている。 

具体的には、幅が狭過ぎたり、凸凹だらけでなめらかに走れない等、車との競合による危険性がいっぱい等、全く自転車にとっては危険一杯の道なのである。 

凸凹は歩いている時にはそんなに危険だと思わなかったが、自転車ではなんとも危険極まりない厄介なことになる。(視覚障害者誘導用ブロックが意外に自転車には困り物となる。) 

さりとて車道を走るのも危険性を強く感じるのであり、一体どこを走れというのかと、毎度ぼやきながら、自転車に乗ってる。 

老人用や身障者用の電動カートがあるが、これにとっても狭さと凸凹は大敵である。日本中の歩道を整備するためには一体いくらの費用が掛かるのだろうかと、心配している。

 

日本の優秀な自転車技術を駆使して、凸凹に強い自転車を早急に開発・実用化して欲しい。とはいっても、小生には、もう買い換えて乗るという残り時間は残されていない。

  

おまけ;http://kz31.blogspot.jp/2011/08/blog-post_22.html より、 

自転車はどこを走るべきか メモ(2012.1.19更新)

・交通安全を守る

・交通弱者を守る

・車道の通行は許可事項である.自動車優先でも自転車優先でもない.

・自転車が歩道を走っている理由は「60年に制定された道交法は自転車の歩道走行を禁じたが、車道事故が増え(交通戦争という言葉が生まれた時期であり,自動車による死傷事故がとても多かった.相手は自転車とは限らないことに注意)、70年には標識のある歩道に限って走れるよう改正。歩行者との接触事故が目立つようになると78年の再改正で、走行可能な歩道での徐行や歩行者の前での一時停止を義務付けた。」

 

すると
自歩道: 歩行者VS自転車.歩行者が交通弱者.人がいる場合は,自転車は思い切って自転車を降りるか,歩行者の安全のため車道(法的な本来の走行帯)へ移動する.

 

車道: 自転車VS自動車.自転車が交通弱者.自動車は自転車が車道にいることを認識し,その安全のため,気をつけ運転する.簡単な自転車走行帯が車道にあると互いにより安全である. 

これだけ.・・・これだけだよなぁ.

 

まず第一に.
 道路交通法総則の目的には,「この法律は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする。」とある.

 目的として「交通安全」についてうたわれているのに,条文の細目から議論に入る風潮はおかしい.「安全の議論はどうでもよく,法律できまっているから」,という人がいるが,このとおり,法律の大目的の一つは交通安全である.目的にそぐわないのであれば条文を変えてゆくべきである.優先順位を履き違えている.

 

 そして,交通安全をそれぞれの立場からのみ議論し,互いに排除しようとする風潮もおかしい.現実的に排除できない以上無意味である.

 総則の目的に従い,「すべての立場の人が安全となる」妥協点を探すことが第一.

 

意見.
 ランも自転車も自動車も趣味としている人間にとって感じるのは,「自動車側に,自動車は優先ではないこと,自転車が車道を走るものだという認識,啓蒙が足りないのが,最も問題である」,と,思う.

 

 自動車側の認識が改まれば,自転車はより安全に車道へ移行でき,結果,歩行者も安全となる.

 自転車側のマナーの前に,自動車側の認識が足りなすぎる.自動車側の認識を何とかしない限り,自転車が犠牲者となる事故はなくならないだろう.

 

 自動車に何のために免許があるのか?.それだけの責任があるからだ.ヒトを簡単に殺せる1tもある化物を扱っていることを理解して欲しいと思う.軽々しく運転するもんじゃない.

 自動車は70年代に比べオートマになるなど操作自体は簡単になっている.しかし自動車の事故率は大きく減っていない.運転者の質は変わらないか,はっきりいって落ちている.自動車を運転するものは,はっきりいって,安全確認に対し怠けすぎだ.・・・以下略

 

 

 


私も少し・・・が欲しい

2012年06月12日 00時57分40秒 | ボヤキ

(本日、2件目の投稿。)

昔、「私、も少し背がほしい。」という漫才が流行ったことがあった。最近、その心境に近い状況である。

 

その原因は、

第一に、日常の処理速度の著しい低下、

第二に、記憶が大変になり、忘れる能力のものすごい向上、

第三に、体力低下で、集中できる時間が短くなった、

第四に、まだまだ好奇心の方は至って盛ん・・・あれもこれもやりたいことばかり、

第五に、休憩時間が沢山必要になり、疲労回復に長時間必要、

等を上げると同世代の読者の皆さんはだいたい言わんとすることが想像できると思う。

 

とにかく時間が足らないのである。年をとって、こんなに時間不足を感じるとは、予想外である。

今のところ対策がないので、どうしようもないのである。困っている。

 

 

 

 


玉野市の公共交通改善

2012年06月11日 00時53分28秒 | ボヤキ

7月1日から、従来のシーバスを改善して、シーバス+オンデマンド・タクシーの構成にするという。

市の広報でその概要が報じられたが、もう少し詳しく知りたいと思い、次の、資料1_玉野市地域公共交通計画案(PDF形式:3,410KB)を開いてみた。

 http://www.city.tamano.okayama.jp/webapps/open_imgs/service/0000001123_0000021953.pdf

 

小生の住んでいる和田地区からは、オンデマンド・タクシーのみの利用地域となっている。それ故、このタクシーを利用して何処かの拠点でシーバスに乗り換えたり、両備バスという通常の路線バスに乗り換えるのが、基本的な利用法のように見える。 

しかし、もうひとつよく判らないので、和田市民センターで27日に開催される老人学級の説明会に出席する予定である。

 

年々歳々歳相応に体が弱ってきている、このシステムが身体不自由な高齢者世代への強い味方になってくれることを切に希望するものである。

 

追記=年寄りの嫌味;

今回参照した資料1は膨大な資料である。大変な労作だと感じた。

しかしである、以前シーバスを導入した時点でも、おそらく今回の資料1のようなもっともらしい資料が作られて、シーバス制度が発足したのだろうと思っている。

このような見かけだけ立派なレポートの目論見は見事ハズレ、シーバス施行後その効果は悲惨な結果になっている。

(このような制度を立案した人達、及び、それを審議した人達、そして、実際の運営にあたった人達等、お役人や議員さんやその他の関係者達の反省や責任は、いったいどうなっているのだろうか。・・・税金泥棒ではないのですか?)

 

今回も、見栄えのする報告書という紙切れを作りに注力するあまり、魂の入っていない制度を作っていないのだろうかと、一抹の不安を抱いているのである。

単なる机上のデータの整理ばかりの空理空論に見え、実際に制度運営の事前実験・検証が全くなされていないと思えるのである。(・・・この種の報告書が、責任回避のために作られているようなことはないのだろうか・・・?)

 

国や県の場合でもそうだが、ご立派な報告書ばかりが目立ち、実施後の成果はサッパリというものが結構ある。綺麗で見栄えのする報告書を作ることが目的になっているような気がしてならない。・・・紙くずはいらないのである。

 

今回この委員会に参加された委員さん達が、自分の体や足でこの制度を実際に実験したのであろうかと疑っている。単なる机上の検討だけで、見栄えの良い報告書をでっち上げているような気がしてならないのである。

(市民に一年間の試行を負担させるのであるならば、事前に委員達でシュミレーション実験を実際に実行してから制度を作って欲しいと思うのである。)

 

高齢者の頼みの綱である。見てくれに金をかけるのでなく、実効性のある制度を確立してもらいたいものである。・・・二度と同じような失敗はゴメンである。


羹(あつもの)に懲りてなますを吹く

2012年05月24日 00時00分48秒 | ボヤキ

ことわざ辞典によると;

『羹に懲りて膾を吹く』=『羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹(ふ)く』 

熱かった吸い物に懲りて、ついつい膾(なます)や韲物(あえもの)のような冷たい料理も吹いて冷ますということから、一度しでかした失敗に懲りて、必要以上の用心をすること。
 

類似のことわざ:
●船に懲りて輿(こし)を忌む
 ●蛇に咬まれて朽ち縄に怖じる
●火傷火に怖じる
●A burnt child dreads the fire.(やけどした子供は火を怖がる)
●Once bitten, twice shy.《一度噛まれると二度目には憶病になる》 

( http://www.geocities.jp/tomomi965/ichiran.html )

 

最近の原発問題で、このことわざを思い出したのである。

 素人が何をいうのかと叱られそうな気がするが、いささか気になってきたので、年寄りの特権である「ご意見番」として、ものを申して見ることにした。

 

1. 無言の言論統制が言論界を縛って、自由な発言が出来なくなってしまっていないか?

・・・原発推進派が安全神話を振りかざして大金や利権をばらまき、原発反対派を抑えこんでしまったことが、今回の大災害の根源となったと思っている。

具体的には、経済優先で巨大津波がないという都合の良い前提条件をでっち上げて原発を建設したことが、今回の悲惨な大事故をもたらしたのである。

2. 神様が、大津波という「羹(あつもの)」があることを教えて下さったのである。

3. 我々は、謙虚にこの教訓に学び、これ以外にも「羹(あつもの)」が残っていないのかどうかと「何度も、なますを吹き」原発の再稼働や新設を考えなくてはならない。

4. 現在はあの当時とは逆になって、原発推進派あるいは原発再稼働派にとってはうかつに物の言えない時代になっている。これもまた大きな過ちをもたらす引き金のなる危険性がある。

5. 原発反対派とともに原発推進派にも、平等かつ公明正大な言論の自由を保証しなければ、またまた誤った選択をする危険性がある。

6. いっときの感情をぐっと抑えて、賛成意見も反対意見もどちらも冷静かつ公明正大な論理を展開して欲しいものである。 

(それにしても、賛成派には前科のある原発村関係者ばかりのようであり、意気消沈して縮こまって保身一途のようであまり表に出てこないようである。

又、反対派は感情的な論理展開に終始し日本の経済や将来にはほとんど関心を示さないとう単細胞的な発言ばかりで、実に大きな危険性をはらんでいる。

7.  我々国民は、「なますを吹きながら」、厳正かつ公明正大な議論行われるようサポートしなくてはならないのである。

・・・それにしてもマスコミのとっている態度はなんとも頼りないのである。お茶の間のゴシップ会議の司会役のような中途半端な議論ばかりで煮詰めたものがないのである。

確固とし毅然たる論理の展開ができる論客が全く居ないのであろう。