塩野七生氏の訳からご紹介する。
青春とは、なんと美しいものか
とはいえ、みるまに過ぎ去ってしまう
愉しみたい者は、さあ、すぐに
たしかな明日はないのだから
このバッカスの歌の詩は全8編から成る、メディチ家の4代目ロレンツォ・ディ・メディチの作である。
謝肉祭のために書かれ、フィレンツェにと留まらずヴェネチァでも謝肉祭には欠かせない歌だった。現在でもイタリアの小学5年が暗記させられている詩である。
ロレンツォは、詩作の芸術家であり、散文の名手として、イタリア文学には欠かせない人である。彼の文体は、平易明瞭で、頭脳の明晰さをあらわしている。
中山晋平作曲、吉井勇作詞の「ゴンドラの歌」は大正時代に大流行したのであった。その詩を引用すると、
いのち短かし、恋せよ乙女
紅きくちびる、あせぬまに
熱き血潮の、冷めぬまに
明日の月日は、ないものを
<!-- ゴンドラの歌 -->
ロレンツォの詩と意味は全く同じであると、塩野七生氏はおっしゃるのである。確かにそのように思えるのである。
小生の持論である「時の砂」と同じ思想が流れているのである。 我々の持ち時間は刻一刻と少なくなってきている、まさに「愉しみたい者は、さあ、すぐに たしかな明日はないのだから」である。
時間を大切に有効に生きたいものである。
あとがき;
上記のように書いたのであるが、本当にがんと宣告されたら、「愉しむこと」より、「身辺整理」に類する事に注力するのだろうと思っている。
なぜなら、大腸がんの精密検査を受けるまでの数日間、万一の場合にしておくべき事として念頭に浮かんだのは、「身辺整理」に類する、どうしてもしておくべき事柄ばかりであったから。
元気で活力のある時でないと、「愉しむ」などと言う余力は無いように思えるのである。