これは普遍的な議論ではない、単に小生個人の独断と偏見にしか過ぎないものである。
1.ラジオ労働歌論;
日常の作業(例えば、炊事・洗濯・掃除等の家事や庭仕事等、人によってはウオーキングの時も・・・)では、当然ながら「ながらラジオ」である。歌謡曲はもとよりトーク番組など、なんでも構わないのである。音が聞こえていれば快調に諸作業が行えるのである。いわば、昔の労働歌なのである。
・・・この点では、TVはおそらく到底太刀打ち不可能ではないだろうか。(最近の若い人は、携帯でながらTVをしているようだが・・・。)
2.ラジオ子守唄論;
100%のラジオ愛聴家が、最重要効果と認めているのが「ラジオ子守唄論 」であろう。これに反論ができるのは、余程の偏屈か論客である、是非ともお目にかかりたいものである。・・・お金持ちの多くは、お金があるゆえにラジオの存在を忘れているのである。夜間、真っ白いザラザラ画面でザーザーと言う雑音を子守唄にして寝ているというなんとも気の毒な方が、沢山いると聞いている。(こんな方は、早期にラジオに切り替えて、快眠と節電にご協力を・・・。)
3.ラジオ豆知識玉手箱論;
小生の休憩時間の多くは横になっての休憩や昼寝タイムであり、大抵はラジオを聞きながら過ごしている。(休憩時間にTVでは、却って疲れるのである。)
このとき、思いがけない知識やお話を聞いて、大いなる満足感を味わっている。
上記1・2・3等を評価して、「良かったor良いよいラジオ」と言う尊称をラジオに捧げている。
この意味は言うまでもなく、「ラジオを聞いて、良かった!よかった!」ということだからである。
それに比べてTVは、ニュースと朝ドラと古い映画を見る程度で、なんとも肩身が狭くなっている。それ故に、「惰性のTV」とシケタ呼び名にしている。・・・多くの知人友人達は、TVは面白くないという。その通りであり、由々しきことである。