景観は人の気持の中で大きな部分を占めているようだ。私の住んでいる多摩川は素晴らしい景観に恵まれている。空間としてとらえると、富士山が見える、多摩川が見える、神社が見える、教会が見える、公園がある、商店街が賑わっている、可愛い電車が走っている・・・などの良い景観は心地よい。それに反して、木が伐採されて土地が囲い込まれた、隙間なくビルが立て込んできた、駅前をサラ金の看板がびっちり、ごみ収集車が猛スピードで走り回っている、などの悪い景観が背中合わせに迫りつつある。景観は長期間記憶され、心の安定を支えている情報だから、これが壊れると気分が非常に悪くなる。都会に住むことは、景観の変化に堪えることである。数十年住んでいる我が家の周辺は、おおきく様変わりしした。しかし、景観の骨格(区切り)としての地形、河川や丘、そして森林、歴史的な建物(寺社など)は・・・相当損壊しているけれども・・・歩いている目線の中にとらえることができ、まだまだ心地よい。
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