田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

私の庭の樹木(3)ーー行方知れずのクチナシ

2008年06月29日 23時51分40秒 |  身近な自然(植木、小鳥、川)、ペット
今年は腹立たしいぐらい、落ち着かない。庭に出る時間がないのである。昨年、申し込んだ園芸通信講座の解答送付も遅れるし、ついでに授業料も滞納して、催促の手紙が来たり.
。催促といえばこのところ、学会費やサロン会費なども納めていないのでそろそろ手紙がやってくるのでは・・という怠惰ぶり。そういうわけで今年の庭は荒れ放題である。雑草の処理にかろうじて手をつける以外は、梅雨時の防除や剪定などが遅れている。そしてもっとも警戒すべき椿yはサザンカの茶毒蛾の退治もさぼっていて。季節感覚を失った私は、時の移りの早さを感ずるという仕返しを受けているようである。自然に接しておれば自然のリズムと体のリズムが合うためか、食事もうまくいただけるし、ゆっくりと時間を過ごせるような気がするのだが、昨今はダメである。

昨日、久しぶりに新大久保の街を歩いた。新大久保は数年前まで私の事務所を置いたところである。百人町という町のなかに新大久保駅があるが、この新大久保は歴史のにおいのする町で、個人住宅がまだたくさんある。だから歩いていると結構楽しいのである。しかし、よく知られているように、最近は外国人、特に韓国、中国、東南アジアの労働者たちが集住する町に変容しつつあり、東京の中の外国という特徴をみなぎらせている特異な町と化している。道を歩くとパチンコ屋、連れ込み宿(昨今はラブホというべきか)、回転寿司、百円ショップ、ラーメン屋、ドラッグショップなどがきびすを接し、道行く人はほとんど若者たちである。
少し中にはいると、ビルの狭間にまだ住宅が残されており、そのほとんどは小さなコンドミニアム風に、貸家風になっているが、それでもわずかばかりの緑の庭を有している家が多いのである。私は、狭い事務所を出て散歩をする機会が多かったがそんな緑が愛おしく、木々の名前を思い出しながら散策をするのが楽しかったものである。そして昨日。久しぶりに、その地点を歩いた。なんとクチナシの強いかおりが漂ってきている。「ああ。 この木が大きくなって」と感嘆しながらクチナシを見上げた。白い花が一面に咲き誇っており、その花の狭間から、遠方に社会保険中央病院の白い建物の壁が見える。これは結構落ち着いた絵になっている。
私は反転して駅の方に向かい歩を進めた。前方から、中国かベトナムか、若い女性の一団が元気に私のわきを通り抜けていった。そのとたんに、私は強烈なにおいがをきかされた。それがどうもクチナシのようなにおいだったが、似ても似つかぬトンデモない、「下品な」においであった。申し訳ないけれども、安い化粧品を塗りたくった若者の匂いに他ならなかった。そういえば、我が家にも、数え切れないくらい安そうな化粧水のビンが散らかってる・・そんなことを一瞬考えてしまった。
それにしても、忙しくなった私の身辺は、私も昨年、クチナシの鉢植えを大事に育てていたこを忘れさていた。「あれ?」と思いつつ帰宅して、庭を探したらなんと大きくなったあじさいの木の陰に、手を抜いて放置していたクチナシが、なんと一面に白い花を咲かせて、鎮座しているのだった。あじさいの枝をかき分けてそれを抱きかかえて縁側においてみた。虫にもくわれす、病気にもならす、清楚に咲いているクチナシの姿にほっと安らぎを感じたのであった。




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