090926大地讃頌、大地を愛せよ、大地に生きる
母なる大地の懐に 我ら 人の子の 喜びはある
大地を愛せよ大地に生きる
人の子らの立つ 土に感謝せよ
平和な大地を 静かな大地を
大地を褒めよ、讃えよ土を
恩寵の豊かな 豊かな大地
大地 大地
讃えよ 讃えよ 土を
母なる大地を 母なる大地を 讃えよ 褒めよ
讃えよ 土を
母なる 大地を ああ、
讃えよ 大地を ああ
(大木惇夫)
人が生かされている環境とは要素に分解して理解することは難しい。何が要素なのかも取り出すことも難しい。われわれが、呼吸をし、食べ、排出し、子孫を作るという営みは、われわれが設計して、管理していることではなく、生まれた瞬間から自動的に運動をしている生物の「型」、パターンである。環境を強引に要素に分けてみるとこうなる。まず、水、そして空気、生態系となろう。これらは依存関係にあるから切り離すわけにはいかない。今問題なのは水、空気、生態系が人間の文明、特に経済開発によって、生物の「型」としての持続性・連続性に支障が出ているという事実である。
IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)のパチャウリ議長は、23日、国連気候変動首脳会議の演説で、次のように述べた。
「20世紀の世界の平均気温は0.74度上昇し、海洋の熱膨張と世界の氷の融解による海面上昇は17センチに達した(中略)。気候変動は既に、洪水や旱魃、熱波の頻度を高め、その強度を増し、期間を長引かせている。
大気中の温室効果ガスの濃度を安定させるための措置を執らねばならない。今世紀末の平均気温は1.1~6.4度上昇する。世界は推定値の上端に到達する速度で排出を増大させている。(後略)」
温室効果ガスの原因は現代文明が化石資源に依存し続け、さらに吾も吾もとそういう文明を求める国々が後を追いかけているからである。世界全体が、温暖化ガスの排出縮減に協力し合わなければ、文明全体、人類全体の依ってたつ大地が失われるのである。現代文明は大地を踏みつけてきた。空気、水、生態系という生命の源泉に対して、奢った考えで、これを浪費し、汚染し、慈しみを忘れてしまった。現代文明は廃棄物の山を作り、その反撃を恐れている。現代文明は合理主義・効率主義の精神で設計されているとされる。しかしその合理主義は、お金から見ての合理主義であった。こうして人は金の力を信じ、人の力を信じなくなった。経済や文化の創造は人の力ではなく金の力だと信じた。金を儲ける人が立派で、教育は金を儲ける技術を授ける場であると信じられた。
何ごとをやるにも「先立つもの」はお金であった。お金があれば人を集められた。集めた人の力を動員すれば大きな仕事が出来た。これが企業の原理であった。しかし、企業に集められた人は、決してお金に忠誠を誓うことはなかった。人は家族をつくり子孫を育てる生態系の一部として生活を営む。人にとってはお金はそのための手段であり、目的ではないからだ。生態系の構成員である人と増殖のためには大地を金融・不動産として丸飲みしてしまう資本の本質的な立場の違いが、文明の維持が危険になってきた現在、大部分の人に鮮明に感じ取られるようになった。
母なる大地の懐に 我ら 人の子の 喜びはある
大地を愛せよ大地に生きる
人の子らの立つ 土に感謝せよ
平和な大地を 静かな大地を
大地を褒めよ、讃えよ土を
恩寵の豊かな 豊かな大地
大地 大地
讃えよ 讃えよ 土を
母なる大地を 母なる大地を 讃えよ 褒めよ
讃えよ 土を
母なる 大地を ああ、
讃えよ 大地を ああ
(大木惇夫)
人が生かされている環境とは要素に分解して理解することは難しい。何が要素なのかも取り出すことも難しい。われわれが、呼吸をし、食べ、排出し、子孫を作るという営みは、われわれが設計して、管理していることではなく、生まれた瞬間から自動的に運動をしている生物の「型」、パターンである。環境を強引に要素に分けてみるとこうなる。まず、水、そして空気、生態系となろう。これらは依存関係にあるから切り離すわけにはいかない。今問題なのは水、空気、生態系が人間の文明、特に経済開発によって、生物の「型」としての持続性・連続性に支障が出ているという事実である。
IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)のパチャウリ議長は、23日、国連気候変動首脳会議の演説で、次のように述べた。
「20世紀の世界の平均気温は0.74度上昇し、海洋の熱膨張と世界の氷の融解による海面上昇は17センチに達した(中略)。気候変動は既に、洪水や旱魃、熱波の頻度を高め、その強度を増し、期間を長引かせている。
大気中の温室効果ガスの濃度を安定させるための措置を執らねばならない。今世紀末の平均気温は1.1~6.4度上昇する。世界は推定値の上端に到達する速度で排出を増大させている。(後略)」
温室効果ガスの原因は現代文明が化石資源に依存し続け、さらに吾も吾もとそういう文明を求める国々が後を追いかけているからである。世界全体が、温暖化ガスの排出縮減に協力し合わなければ、文明全体、人類全体の依ってたつ大地が失われるのである。現代文明は大地を踏みつけてきた。空気、水、生態系という生命の源泉に対して、奢った考えで、これを浪費し、汚染し、慈しみを忘れてしまった。現代文明は廃棄物の山を作り、その反撃を恐れている。現代文明は合理主義・効率主義の精神で設計されているとされる。しかしその合理主義は、お金から見ての合理主義であった。こうして人は金の力を信じ、人の力を信じなくなった。経済や文化の創造は人の力ではなく金の力だと信じた。金を儲ける人が立派で、教育は金を儲ける技術を授ける場であると信じられた。
何ごとをやるにも「先立つもの」はお金であった。お金があれば人を集められた。集めた人の力を動員すれば大きな仕事が出来た。これが企業の原理であった。しかし、企業に集められた人は、決してお金に忠誠を誓うことはなかった。人は家族をつくり子孫を育てる生態系の一部として生活を営む。人にとってはお金はそのための手段であり、目的ではないからだ。生態系の構成員である人と増殖のためには大地を金融・不動産として丸飲みしてしまう資本の本質的な立場の違いが、文明の維持が危険になってきた現在、大部分の人に鮮明に感じ取られるようになった。
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