熱帯雨林の薬用植物、園芸療法…ブームに思う
2001年 6月21日の朝日新聞の記事に熱帯雨林が薬用植物の宝庫として注目され、先進国の製薬会社が新薬の原料と先住民の知識を求めているという大々的な記事がある。現地住民は薬草や知識の権利を主張、新たな南北問題にもなるかと結んでいる。
今から35年前、私は緑化事業という仕事をはじめ緑の勉強を始めた。樹木学をはじめ林学や風致森林学、生態学、造園学、建設、土木学などを広くかじった。京都大学農学部に日参し、演習林で助手達から話を聞くことが私の日課でもあり、楽しみでもあった。当時驚いたことは助手たちとした熱帯雨林の雑談だった。当時京都大学は熱帯雨林の未知の魅力について研究を始めていた。話の内容は実に懐の深いものであった。
当時触れた昭和49年(1974年)中央公論社発行日本森林誌「もりやはやし」(著者 四手井綱英、当時京大教授)に、タイ国の熱帯雨林を踏査したとき印象的な話が残されている。タイでは森の住民が常緑広葉樹林帯の植物をことごとく名前で呼び、しかもこれをきめ細かく用いて、食物や薬として利用している姿に驚いたという記述である。タイでは古くから伝統的に森林食物学や森林薬学が、また癒しの空間としての森林利用法が経験的知識として存在しており、食生活や病院建築など様々に反映されているというのである。
この立場から見ると、西洋医学や薬学は、あるいは農学は「全然何も知っちゃあいねぇ」というわけである。今となってあわてて熱帯雨林に出かけて薬用資源を漁る、エコツアーだのというビジネスに狂奔する西洋文明の卑しさを感ずるのは私だけではあるまい。
それから数年後、昭和50年(1975年)に私は縁があって、国立埼玉病院の左奈田幸夫博士、国立佐倉病院の橋爪藤光博士(いずれも院長)、白十字病院の藤井常男薬局長、荒木菊次厚生省医務局次長が中心となってやっていた厚生省の病院造園共同研究班に飛び入り参加を許された。私はこの四人に病院管理を学び、医師・看護婦の世界を学び、患者の生理、心理を学んだ。この4人こそ、当時は冷ややかに扱われていた環境や公害研究に抗して、厚生省や医学界を中央突破して、学術的に治療環境調節学と造園学を結びつけようとされた草分けであると考えている。左奈田先生は理論的支柱として、気象、生態、地理学などが環境医学(人の寿命への長期的生体プロセスの研究)の各分野として存在し、将来病院全域の環境調節を行う技術として花開くことを展望されていた。とりわけ、左奈田先生が英国キング財団報告「英国の新しい病院環境造園」を日本へ紹介し、そこから治療環境造園の理論を構築されていかれた過程には刮目すべきものがある。藤井先生の50年にも渡る独自の病院造園、鉄道造園、および温泉病院の探訪研究も10万枚を超える風景事例写真とともに、21世紀の宝である。また橋爪先生が当時盛んに「地球生理学」という言葉をしゃべっておられたことを思い出すにつけ、治療と健康と環境が地球レベルでつながっていること、したがって研究対象は深くかつ無限に広きことを知ったのであった。
今、「癒し」ブームである。園芸セラピー、動物セラピー、熱帯雨林エコツアーなど、「癒し」がつけば本は売れる。またビジネスも起こせる。シオジイ(塩爺)さんも癒し系だとか、次元が下がってしまったが、こういう捉え方は時流を追う人たちに任せておいて、農学の世界では、医食同源とか心土不二とかいわれる感性的捉え方を科学的に検証していく地道は研究が求められている。
昨今の資本主義は「癒し」ではなく「卑しい」である。金儲けとあれば、平気で人をだます。熱帯雨林には実際問題としてすさまじい危機が押し寄せている。いずれも金儲けのために資本家が入り、資源を奪い滅ぼしていく。人類の存続とか地球環境の保全など、本心では歯牙にもかけない。市場(金儲けの機会)こそ万能、お金が人類を幸せにすると言う貧しい哲学を宣伝しマスコミがそれに迎合する。日本は原始資本主義の先端を走る。コイズミとか、シオジイとかは、結局そういう道に人々を招き入れるパイドパイパー(ハメロンの笛吹)であろう。
2001年 6月21日の朝日新聞の記事に熱帯雨林が薬用植物の宝庫として注目され、先進国の製薬会社が新薬の原料と先住民の知識を求めているという大々的な記事がある。現地住民は薬草や知識の権利を主張、新たな南北問題にもなるかと結んでいる。
今から35年前、私は緑化事業という仕事をはじめ緑の勉強を始めた。樹木学をはじめ林学や風致森林学、生態学、造園学、建設、土木学などを広くかじった。京都大学農学部に日参し、演習林で助手達から話を聞くことが私の日課でもあり、楽しみでもあった。当時驚いたことは助手たちとした熱帯雨林の雑談だった。当時京都大学は熱帯雨林の未知の魅力について研究を始めていた。話の内容は実に懐の深いものであった。
当時触れた昭和49年(1974年)中央公論社発行日本森林誌「もりやはやし」(著者 四手井綱英、当時京大教授)に、タイ国の熱帯雨林を踏査したとき印象的な話が残されている。タイでは森の住民が常緑広葉樹林帯の植物をことごとく名前で呼び、しかもこれをきめ細かく用いて、食物や薬として利用している姿に驚いたという記述である。タイでは古くから伝統的に森林食物学や森林薬学が、また癒しの空間としての森林利用法が経験的知識として存在しており、食生活や病院建築など様々に反映されているというのである。
この立場から見ると、西洋医学や薬学は、あるいは農学は「全然何も知っちゃあいねぇ」というわけである。今となってあわてて熱帯雨林に出かけて薬用資源を漁る、エコツアーだのというビジネスに狂奔する西洋文明の卑しさを感ずるのは私だけではあるまい。
それから数年後、昭和50年(1975年)に私は縁があって、国立埼玉病院の左奈田幸夫博士、国立佐倉病院の橋爪藤光博士(いずれも院長)、白十字病院の藤井常男薬局長、荒木菊次厚生省医務局次長が中心となってやっていた厚生省の病院造園共同研究班に飛び入り参加を許された。私はこの四人に病院管理を学び、医師・看護婦の世界を学び、患者の生理、心理を学んだ。この4人こそ、当時は冷ややかに扱われていた環境や公害研究に抗して、厚生省や医学界を中央突破して、学術的に治療環境調節学と造園学を結びつけようとされた草分けであると考えている。左奈田先生は理論的支柱として、気象、生態、地理学などが環境医学(人の寿命への長期的生体プロセスの研究)の各分野として存在し、将来病院全域の環境調節を行う技術として花開くことを展望されていた。とりわけ、左奈田先生が英国キング財団報告「英国の新しい病院環境造園」を日本へ紹介し、そこから治療環境造園の理論を構築されていかれた過程には刮目すべきものがある。藤井先生の50年にも渡る独自の病院造園、鉄道造園、および温泉病院の探訪研究も10万枚を超える風景事例写真とともに、21世紀の宝である。また橋爪先生が当時盛んに「地球生理学」という言葉をしゃべっておられたことを思い出すにつけ、治療と健康と環境が地球レベルでつながっていること、したがって研究対象は深くかつ無限に広きことを知ったのであった。
今、「癒し」ブームである。園芸セラピー、動物セラピー、熱帯雨林エコツアーなど、「癒し」がつけば本は売れる。またビジネスも起こせる。シオジイ(塩爺)さんも癒し系だとか、次元が下がってしまったが、こういう捉え方は時流を追う人たちに任せておいて、農学の世界では、医食同源とか心土不二とかいわれる感性的捉え方を科学的に検証していく地道は研究が求められている。
昨今の資本主義は「癒し」ではなく「卑しい」である。金儲けとあれば、平気で人をだます。熱帯雨林には実際問題としてすさまじい危機が押し寄せている。いずれも金儲けのために資本家が入り、資源を奪い滅ぼしていく。人類の存続とか地球環境の保全など、本心では歯牙にもかけない。市場(金儲けの機会)こそ万能、お金が人類を幸せにすると言う貧しい哲学を宣伝しマスコミがそれに迎合する。日本は原始資本主義の先端を走る。コイズミとか、シオジイとかは、結局そういう道に人々を招き入れるパイドパイパー(ハメロンの笛吹)であろう。
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