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地震、津波、火山噴火、台風、洪水、地滑り・・歴史上、列島は,世界でもまれな自然災害地帯と言われている。
人々がこれらに向き合い、安全な居場所を探し、農山漁村を築き都市を築いてきた。自然の変化が多様な日本列島は、それぞれの地域で、河川改修、溜池灌漑など水防の工夫をし、自然と折り合って暮らしてきた。現在、大げさに言えば、都市、農山漁村のどれ一つとして、住んで安全、暮らしやすいところはなくなってきたかのように思える。温暖化と言われる人為による気候変動が非常に大きく関わっているとも取り沙汰されている。
昔、志村さんという農業土木学者がこんなことを言っていた。「日本の国土は洪水を防ぎ止めるために最大650億トンの水を貯留しなければならない。それは今この時(梅雨時)なのだ。この水を溜める能力は、森林が68%、人工ダムが17%、田畑が14%(このうち水田が12%)、残りは原野である。」
これをそのまま信用すると、今、土石流が多発するのは、水を溜め、徐々に放流する森林の水の保持力が衰えたことと、田畑が放棄されつつあるからということになろうか。人工ダムだけに水の保持を頼むことは最初から無理で、どうしても、森林と田畑の水の保持力、水害調節機能が必要というわけだ。
「山林を伐採したままにすれば、草しか生えない荒れ山になり、その土は水分を含まずカチカチのコンクリートのようになりかわってしまう。林業の放棄で間伐を怠った山林の木々は育たず、保水能力も確実に損なわれる。森林の手入れは、人と国土の保険料である」(「森の時代へ」、下河辺淳、C.W.ニコル・森巌夫)
「水田から水を抜いてはならない、たとえ、“えび”でも“ワニ”を養殖してでも水田を維持していくべきである」(ロケットの糸川英夫、「土壇場の発想」講談社,1988)
「日本の水田の保水能力はダムの2倍、3倍もあり、もし山の上からずっと水田が潰さ
れてくると、下流、河口地帯にある日本の大都市は大雨が降ったとき深刻な事態に陥る」(「海図なき航海の時代」、宮崎勇、富岡孝雄、朝日新聞社)
『水田を中心とした水循環に変化が起り、水田の周辺で地下水位の低下が起り、宅地化による氾濫、都市水害の激化の危険』(高橋裕、岩波新書,1988 )・・・先人達は遥か以前から森林、水田の水の管理の意味をこう指摘している。
大昔のデータ(1990年代)だが、林野庁は報告していた。「山腹崩壊、地滑りなどの災害が発生する地区(森林)は全国で13万ケ所を数え、しかも漸増傾向にある。」
森林も田畑も、防災の価値としてとらえる観点が当時でも今でも極めてうすい。国は永い間、国土の7割を占める森林(あるいは山間地)に保険料を払わないできたのか。森も田畑も、一次産業は今の日本経済ではGDPに寄与していない。森林や田畑は経済のサイクルから外されているので、そこに投下するお金や労働はムダ・・・という経済学がまだ幅を利かせている。
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