南伊豆の先生の庵。その生活状況を見ると、小さな冷蔵庫以外は家庭電器に乏しく空調もありません。囲炉裏の上の照明を見ると裸電球の上に傘がかぶっていました。傘はなんと丸い小笊(ザル)・・野菜や果物、魚などを置いておく粗末な笊が底を上にしてコードにつながれていました。テレビも14インチの一昔前の時代物があり、屋外には五右衛門風呂が無造作に置かれていました。ここで夏の月夜に入浴するのが好きだと言っておられました。
ひろい庭の散水は、雨水をためて使い、庭には山野草が巧みに植裁され、菜園と手作りの池もあり、そこには金魚が泳いでいました。
谷の清水を使い、葉わさび、葺、せり、そしてクレソンが作られ、好きなだけ取れます。鶏舎もあり、ニワトリが昼間は自由に歩き回り、庭に産み落とした鶏卵を拾って食卓に乗せます。
孟宗竹林の中の竹はいくらでもたけのこを産出します。その代わり、冬には猪が荒らし回りますが、これらに対して先生は特別に「対策」を講じません。
「お酒は昼間から飲むのが一番うまい」とうれしいことを言って下さいました。圧巻はカッポ酒でした。庭から切り出してきた竹を節毎にカットして、それに日本酒を注ぎ、これを囲炉裏の火でじかに温ためます。すると、「カポッ」「カポッ」という音と共に酒が踊り、竹のエキスを吸収し、やがて芳醇な香りを得る。この酒のうまさは格別でした。
先生の視線の先に「異様」なスポットがありました。カッポ酒を振る舞いながら藤井先生は「私は、ここに自分の墓場を建てています。自分の髪の毛、抜けた歯はここに事前に埋葬しています」といい生前土葬ですといい、「自分は土葬にしてこの場に埋めてもらいたいです」と明るく笑っておられました。
さらに、夜は夜で別の世界がありました。母屋の二階の寝室兼書斎を見せていただきますと膨大な著述をする先生の書棚とお酒の瓶があるが、机がありません。先生はすべて布団に臥しつつ執筆するというのでした。寝ながら深い思索にふけり、エッセイを書くのが青年時代の療養時の習慣で、そうしないと筆が進まないといわれておりました。
先生は布団に伏して、大きく取った枕元のガラス窓から夜景を見、樹間から洩れてくる月や星座の動きを感じながら、旅行記などを書くのだそうです。「私は太陽(昼)と月(夜)と、二つの天体の下で二倍の人生を満喫している」と言って笑っておられました。
こんな先生でしたが、緑、植物、動物と接することが人間の生理を昂揚させるという信念がつらぬかれ、療養において、その多少奇異に見える着想が病院の造園の設計思想の深淵に関わっているなと感じさせました。
太陽と月の二つの天体の動きを感じて二倍の人生を生きる・・自然こそが支配者だということを信じ、虚心坦懐に自然と対話し、人間のあり方を問い続ける先生でした。・・歎、歎、歎。(続)
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