田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

野菜の受難・・スーパーという怪物の本質

2009年03月16日 11時17分31秒 | 時評
綺麗なプラスチックプレートに乗った野菜や果物は確かに美しさで食指をそそるが、それだけのために資源が相当無駄使いされ、あまつさえそのコストが農家にかぶせられている事実を知った。スーパーの売り方を効果的にするためには、画一の規格品をコンベアに乗せるようにして、消費者の買い物籠に投入してもらい、さらに家庭の冷蔵庫に収納されるのがもっともよい。主婦の手選段階で品物に対して店員に、ああでもない、こうでもないといって、買うのか買わない野か分からないようなぐずぐずした対応をされたらスーパーはやっていけない。スーパーを出るときはすべての品物がプラスチック袋で個装されて袋の中に重なり合って詰められなければならない。魚はさばかれて切り身になり、白菜は4分の一にカットされ、ダイコンは頭を跳ねられ、時には真ん中を切られて並ぶ。こうした画一化はまさに工業のシステムである。私たちの食の現場は工場ではない。食の現場は千差万別である。TPOの違い、食べ物の選択、調理の違い、食事方法の違い、家族構成の違い・・・要するに食事は給食ではない。食は千差万別であることに基礎を置き、それに順応出来る供給構造を求めている。今のスーパーは売りっぱなし、後は好きにござれ、不都合はご家庭で処理しなさいと言う構造だ。スーパーで安くても家庭で消費者のくちに入るまで食物は結構大変な旅を強いられるのだ。そしてその旅は、消費不適合となる場合も多く、食物はどこかで捨てられ、消費者満足から遠い位置に離れていくことも往々にしてあるのだ。

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