60年も昔のこと、次第に記憶が薄らいでいますが、天井裏を整理したら白黒写真の形で近所の子たちと遊んだ記録が数枚出てきました。とんでもない崖地に立っていたあばら家に住んでいた我が家族でした。そのため、いいこともありました。防空壕の穴がそのままになっていた場所とか、山の木が複雑に生えている一角(写真)があり、そこを「開拓」してちっぽけな畑(写真)を作り、近所の子たちと一緒にトウモロコシ、陸稲などを作りました。前報に書きましたが、廃貝塚の場所のすぐ隣です。ここは多摩川の水と生きた純農村地帯です。あちらこちらの井戸があり、使われていました。面白かったので子どもたちと一緒に歩き、多摩川岸辺、六郷用水も訪れました。なお、当時の六郷用水はゴミの放棄などひどい汚れと悪臭があり、残念に思っていた記憶があります。
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