ぼくが通っていた小学校に、ピアノという楽器が入ったのは6年生の時だった。ピアノは広い講堂の隅っこに置いてあった。とても大きな楽器だった。
それまではオルガンしかなかった。いろいろな形をしたオルガンが、いくつかの教室の隅に置いてあった。ときどき、いたずらをして弾いてみるのだが、足踏みペダルの板は重く、古いオルガンは鍵盤を押しても音が出ないこともあった。
オルガンの音は、牛や蛙の鳴き声に似ていて楽しかった。
ピアノの音はよく響いた。音楽のイメージが変わった。
音楽の先生はふたりいた。どちらも女の先生だったが、若い方の先生は新参の先生で、ピアノがあまり得意ではないみたいで、放課後の講堂で、もうひとりの先生に指導してもらっていた。
ピアノをよく弾ける方の先生は美人で快活だった。
ぼくもその頃には、ひそかに好きな女子生徒がいたりして、異性の可愛らしさとか美しさとかについての好奇心が芽ばえ始めていた。それで、ぼくが勝手に決めた美人の範疇に、この先生もしっかり入っていた。
ピアノがすらすらと弾けるということは、それだけでも美しい姿にみえたにちがいない。オルガンの鈍重な音に比べて、新しいピアノの音は明るくて力があり、ピアノの響きとイメージが、先生の美しさの背景にあったかもしれない。
3年生から6年生までの4年間、ずっと男の担任だったので、音楽の時間だけでも女の先生になるのは新鮮だった。
ピアノ先生は、授業中にとつぜん役者のような口調になって、方言で民話を語りはじめたりすることがあった。生徒の前で感情たっぷりに堂々と方言をしゃべる、開放的な態度にぼくはすっかり圧倒されてしまった。こんな授業は初めてだったし、こんな女の先生も初めてだった。
ピアノ先生の衝撃は大きかった。
ある日、しんまい先生の音楽の授業中に、ピアノ先生がとつぜん教室に飛び込んできたことがあった。
ピアノの弾き方が間違っていると言って、しんまい先生を激しく叱りつけた。その時のピアノ先生の叱り方は尋常ではなかった。授業中にとつぜん役者口調になったあの激しさだった。生徒は自分たちも一緒に叱られているかのように、教室の中は静まり返ってしまった。
それに先生が先生に叱られるなどという光景を、生徒ははじめてみたのだった。ピアノ先生は美人だけど、恐い先生だと思った。
小学校のピアノにまつわる思い出はそれだけである。どんな歌の授業があったのか、そちらの記憶は皆目ない。小学生時代のいくつかの記憶の中から、そのことが今よみがえってきたのは、どこかで桜とつながっていたのだろうか。
しんまい先生が、慣れないピアノをたどたどしく弾いていた。それはたぶん、まだ新学期のことだったのだろう。そうだとすれば、校庭の桜も満開だったにちがいない。当時のぼくは、花にはぜんぜん関心はなかったけれど。
* * *
もうすぐ4冊目の本ができる
これまで書き溜めてきたブログの記事を、修正改編してエッセイ集として纏めることができたので、このほど印刷所にデータを送った。
急ぐこともないので、印刷所が暇なときに印刷製本してもらう、超スローなエコノミーコースというので頼んだ。
本の出来上がりは今月中旬頃になるらしい。
エッセイ集としては4冊目(第4巻)になる。本文は120ページ。
(もしお手にとっていただける方がありましたら、喜んで差し上げたいと思っております。)
(詳細は追ってまた、当ブログでご案内させていただきます。)