イヤホンでモーツァルトを聴いている。
音楽には、目に見える形はない。イヤホンの細い管をとおって耳へ、水のように流れ込んでくる。
さざ波立ち、うずを巻き、消えたかとおもうと広がり、音は水の中に溶け込んでくる。
水はぼくの中にあるはずだが、ぼくもまた水の中にある。水のなかで、まだ形にならないものが、形にならないままで浮遊している。
音楽の水には懐かしい匂いがある。
それはどこかの水辺の、雪柳のかげを泳いでいたものかもしれない。優雅に激しく、春の水を朱色に染める天女魚(アマゴ)。
水を捉えようとする手が天窓をあける。階段を駆けのぼり、駆けおりるピアノのひびき。波となって懐かしさの海に届く。アイネ・クライネ・ナハトムジーク。
音を楽しむ。
かつて音楽はレコードという丸い円盤の中にあった。回転しながら細い針で音を探り出していく。そのあと薄くて長いテープの中にもあった。柔らかく流れていく、音の変容そのもののようだった。ふたたび丸い円盤に小さく収まった。美しくコンパクトに凝縮された、CDと呼ばれたもの。
そして今や、どこにあるのかわからなくなった。
もともと音楽は見えないものだが、見えないところから見えないものを伝ってやってくる。神秘的といえば神秘的だ。
AmazonのMP3ストアから購入した曲を、いま聴いている。
モーツァルトの音楽がなんと160円。1曲だと150円なのに、100曲もの盛りだくさんのアルバムを購入すると160円。どんな計算になっているのかよくわからない。
購入したアルバムは手元にはなく、Amazonのクラウドにあるらしい。手に取ることはできず、ただ聴くだけ。
クラウド(Cloud)とは、雲のことらしい。空の雲を想像する。モーツァルトの音楽は雲の上からおりてくる。
まさに天上の音楽を聴いている。そう思うと、ピアノの音階が神々しい雨だれのようだ。
雨の滴りは地上に落ちて水となって広がる。ぼくは天女のような魚になって、いま朱色の水を泳いでいる。
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コメントありがとうございます。
ウイーンでのすばらしい思い出ですね。
いつ聴いても、こころがわくわくする曲です。