風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

16歳の日記より(8)陽炎

2021年03月16日 | 「新エッセイ集2021」

 

城跡へ登る。
そこはもともと孤立した一つの急峻な山であるが、今は石垣で鋭角的に切り取られた大きな傷跡のようにみえる。古い戦いの跡の傷ともとれるし、いまだ癒しがたい古人たちの夢と野望の傷跡ともとれる。踏み固められた石段の下、そして崩れた石組み、幾百年の闇を湛えた古井戸と桜の老木に絡みつく藤かずらなど、いたるところで古傷が疼いているようにみえる。
石垣の端に立って垂直に落ち込んだ谷を見下ろす。早瀬の白く光る川がこの城山を取り囲み、この地を天下の要塞とする。だがそこに護られ残されたものは何があるだろう。かつて義経を迎え入れるために改築もされたと伝えられる。しかし義経を乗せた船が瀬戸内で嵐にあって断念、義経がこの城に入ることはなかった。
春の陽光のもとで傷だらけの山が呻いている。
そして呻き声は陽炎となって燃え上がっている。僕もまた陽炎に包まれて僕自身の内なる呻き声を発しそうになる。僕の五体も戦い傷ついているような、あいまいな疲労を感じてしまう。
なま温かい風が谷から吹き上げてくる。
眼下の帯のような川も今の僕には囲いにみえる。陽炎のような風に煽られた僕のやり場のない欲情が、堅固な要塞を強く意識しはじめている。僕は鳥のようにただ飛び越えたいのだ。谷を、川を、川向うの切り立った断崖を、さらに続く山々を。
真昼の陽光は全ての風景を包み燃えたたせている。
熱せられた枯草から立ちのぼる陽炎は、淡くて甘い体臭のような香りを放っている。僕も熱せられ煽られている。何かわからない外界から、いや自分自身の内なる何かわからないものから、さかんに煽られている。やがて僕自身の体も枯草の一部となって燃え始めている。
陽炎は波のようにひとつひとつの山を乗り越え、果てしなく拡がっていく。僕の手は陽炎の波にのって泳ぎはじめる。遠くに連なる山脈はなめらかな裸体のようだ。そのやわらかい皮膚が陽炎のなかで脈打っている。その鼓動は次第に早く激しくなる。燃え立った陽炎は山の稜線をせわしなく徘徊し、やがてその頂上に達して、僕の陽炎は宙に果てる。

 

 

 

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