ことしも朝顔の花が咲いて、あしたは星の祭りとされる七夕だ。
古い時代には、朝顔の花が咲くと、彦星(牽牛)と織姫星(朝顔姫)が出会えたしるしであるとして、縁起がいいものとされたらしい。
1年ごしの再会、そのとき朝顔姫は、どんな星の言葉を語るのだろうか。
朝顔のそばで、静かに耳を傾けたら、なにか素敵な言葉が聞こえてくるかもしれない、などと妄想する。
子どもの頃、裏山から採ってきた大きな笹竹に、いろいろな願いを短冊に書いて飾ったものだった。どんなことを願ったのかは忘れてしまったが、七夕の願いは叶うものだと信じていたようだ。
明けて8日の早朝には、近くの川に架かる橋の上から七夕の笹を流す。川はそのまま天の川に通じていると思っていたのだろう。
あの頃は川も空もきれいだった。夜空には天の川が光の帯となって輝いていた。そんな遥かな銀河の壮大な流れに、どんな伝説も信じてしまうほど、幼い心は圧倒されていたにちがいない。
古い時代には、朝顔の花が咲くと、彦星(牽牛)と織姫星(朝顔姫)が出会えたしるしであるとして、縁起がいいものとされたらしい。
1年ごしの再会、そのとき朝顔姫は、どんな星の言葉を語るのだろうか。
朝顔のそばで、静かに耳を傾けたら、なにか素敵な言葉が聞こえてくるかもしれない、などと妄想する。
子どもの頃、裏山から採ってきた大きな笹竹に、いろいろな願いを短冊に書いて飾ったものだった。どんなことを願ったのかは忘れてしまったが、七夕の願いは叶うものだと信じていたようだ。
明けて8日の早朝には、近くの川に架かる橋の上から七夕の笹を流す。川はそのまま天の川に通じていると思っていたのだろう。
あの頃は川も空もきれいだった。夜空には天の川が光の帯となって輝いていた。そんな遥かな銀河の壮大な流れに、どんな伝説も信じてしまうほど、幼い心は圧倒されていたにちがいない。
今朝は雨だから、いつものウォーキングもできない。
雨の神さまが、たまには休めと配慮してくれたんだなどと、都合よく神さまのせいにして朝寝する。
浅い眠りの中でラジオを聴いていたら、なつかしい音楽が耳に入ってきた。
学生のころ、ラジオの深夜放送でよく流れていた曲で、その頃は何気なく聞き流していたのだが、その後もなにかの折に聞こえてくるたびに、懐かしさがだんだん重なって記憶にしっかり残るようになった。だが、題名がわからないので探すこともできなかった。
それがやっとわかったのだった。バッハ作曲『管弦楽組曲第2番ロ短調 ポロネーズ』だと、曲の終わりにアナウンスされた。これまでもバッハの匂いは感じていて、ブランデンブルグ組曲あたりはさ迷っていたんだけど。
そのあと、ユーチューブで検索し、午前中ずっとその曲を聴いていた。風のような管楽器の調べにのせられて、古い記憶の国へ連れ戻されていくようだった。
長いあいだ、恋焦がれながら会うことができなかった、そんな人とやっと再会できた思いだった。その朝の、朝顔姫との出会い(?)のことも微妙に重奏していたかもしれない。
そとは雨。夢中でバッハの雨に浸っているうち、いつのまにか雨音も快いカンタータに聞こえてきて、気分も次第に七夕飾りをした頃に戻っていく。
この歳になっても、七夕の短冊に書きたいことはある。だがそれは、こっそり朝顔姫だけにささやくことにしよう。
☆
バッハ作曲『管弦楽組曲第2番ロ短調 ポロネーズ』