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「ぼくは速さにあこがれる。ウサギは好きだがカメはきらいだ。」
これは、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』の書き出しの文章だ。
この本が出版されたのは、ちょうど50年前の1967年のこと。その頃から日本人はひたすら速さに憧れ、速さを追求してきたのではなかっただろうか。
そして、やがてシフトダウン。スローライフの勧めや、ゆとり教育などが提唱されるようになる。週休2日の制度や祝日の増加などで、すこしはゆっくりのんびりした生活リズムを取り戻しただろうか。
おりしも連休中だが、あわただしい町へ出るのはやめて、野へ出てみることにした。
近くの公園で、3家族でバーベキューをする。おとなが6人で子どもが4人。少子化、高齢化、いかにも現代の日本の世相を象徴するような野外パーティーの一日となった。
かつては、どこへ行っても子どもの方が多く、子どもが賑わいの中心だった。そんな子どもだった者たちが、今はせっせと火をおこしている。そして新しい子どもたちは、火のそばへ寄ってくることもない。火を燃やすということは、めったにない楽しい経験だと思うのだが、そんな原始的なものにはあまり興味が沸かないのか、子どもたちはクールに火の外にいる。
古代からヒトは、火のそばで暮らしてきたはずだが、どこかで生き方の習慣が、断絶してしまったのかもしれない。
それでも、肉が焼けていく匂いには引きつけられるようだ。みんな肉食獣の野生は残している。カルビ、ハラミ、ロース、セセリ、トントロ、カシワなど、やはり炭火で焼いて野外で食べる肉は、肉そのものの味がする。
タマネギ、ナスビ、シシトウなどの野菜類は、あまりお呼びではないようだ。どうも現代っ子は嗜好が偏っていて、まず食べてみるということをしない。飢えというものを知らず、食べなければ死ぬということも実感がないから、食べるということに貪欲にはなれないのだろうか。
肉食獣になって血がもえたところで、ボールを投げたり蹴ったりして、久しぶりの汗をかく。 そのあと疲れた大人たちは草の枕でひとときの夢をみ、若者たちはスマホで夢の続きを追いかけている。以上が昼の部だった。
夕方は、サザエ、ホタテ、イワシ、イカなどの海鮮を主体に焼く。
サザエは、はらわた部分を先っちょまで切れないよう、慎重に引っぱり出して食べる。
貝でも魚でも、はらわたがいちばん美味しいのだが、子どもらは気味が悪いとか、汚いとかで敬遠する。おかげで、こちらは旨いところを遠慮なく堪能できたが、子ども達よりも大人の方が貪欲だというのもさみしい。
子どもらは、まず飢えということを知るがいい。動物は飢えるから食べるのだ。生きるために必死で食べるものなのだ。
飽食の子どもらは飢えさせてから、ウサギの野に放つ。書はとっくに捨てられている。スマホも捨てよ、野に出よう、だ。
コメントありがとうございます。
はらわたギャートルズ人間の私です。
サザエのはらわたは格別です。
殻から引っぱりだすスリルがあります。
はらわたが千切れてしまったらとても残念。
アワビもはらわたが美味です。醤油で佃煮風にして食べます。
サンマもはらわたが一番おいしいです。
きっと私の腹はまっ黒でしょうね。
テクテクさんにとっては、これもミステリアスでしょうか。
サザエのはらわた、食べるんですか~(@_@;)
そうですか~
最後までちぎれないように
慎重に出すんですか・・・・
そうですか~
私は昔人間ギャートルズですが、ダメです~
色も形もです(・_・;)
食べてる人も見ません。
オェッ!となると思うので(・_・;)