
いま私は3畳の狭い部屋に閉じこもって日々を送っている。
かといって、世間の壁と折り合えずに閉じこもっているわけではない。どちらかと言えば、世間に見放されて閉じこもっている、あるいは自分勝手に閉じこもっている、と言った方がいいかもしれない。
そんな人間だから、いつのまにか、うちのカミさんとの間にも間仕切りのようなものが出来てしまっている。小さな家の中で無益な諍いを避けるため、お互いに傷つけあわなくてもすむように、それぞれが身に付けてきた生活の知恵で対処していくうちに、自然にこういう形に収まったということだろうか。
今のところ、この狭い空間の住み心地は悪くない。
以前は、カミさんが洗濯物を干すためにベランダに出るとき、私の部屋を、まるで廊下のように通り過ぎるのが気になって仕方なかった。洗濯や料理や掃除などの家事で忙しく動き回っている身には、私のやっていることなどは、単なる時間つぶしの遊びに過ぎないのだ。遊んでないで勉強しなさい、と言われる子供の気持ちがよくわかった。
そこで私は洗濯機の乾燥機がわりになることにした。洗濯機の仕上がりのブザーがなると、私はやおら洗面所に駆けつける。駆けつけるとは少し大げさで、実際は引き戸を1枚開けるだけのことである。そして私は洗濯物をベランダに運んで竿にかける。
これで私の部屋は乱されることがなくなり、余分な小言をもらう気遣いも減った。洗濯物の干し方についても、工夫をすれば結構楽しいものであるが、それについては、ここでは語らないことにしよう。
ふたたび私の狭い部屋にもどる。
ガラス戸の外で、私の干したシャツやパンツが風に吹かれて揺れているのを見つめながら、私は詩を書いたり、古い日記を整理したりしてきた。これが私の1日である。このような生活に、私は今のところ満足している。
ところで私が整理してきた日記というのは、16歳から25歳くらいまでの間に書き残したものだが、その頃、私は詩や小説を書く生活に憧れていた。それ以前は読書が好きだったというのでもないから、なんら文学的な関心や素養があったわけでもない。むしろ小・中学生の頃は漫画家になりたかった。手塚治虫や馬場のぼるにハガキを出したりするほどの漫画少年だった。
それが福永武彦の小説を読んでから漫画を捨てた。かなり感傷的な色に染まりはじめていた私の創造世界を、漫画で表現することは難しいだろうと思ったのだった。いま考えてみれば、たんに私の描画力が未熟だったというだけのことだつたのだろう。
結局は自分のイメージを文章で表現することもできなかった。思うように言葉を綴れない鬱屈した気持を、ただ日記帳に吐き出していたようだ。
25歳で私の日記は終わり、その後ふたたび日記帳を開くことはなかった。それは書くこと、すなわち文学との長い決別でもあった。
結婚をし、子供が生まれ、生計に追われる、ごく普通の生活が続いた。自分の家庭や仕事にもある程度満足した。その結果として、今の生活があることを思えば、それなりに納得できる人生だったかもしれない。ときどきは変化をもたらしてくれる子どもや孫たちにも恵まれた。
それはそれとして、なぜまたカビ臭い日記を引っぱり出すことになったかというと、興味本位で始めたホームページのせいだった。貧弱だったコンテンツを埋めるために、古い日記でもアップしようとデータ化を始めたのだった。作業は順調に進んだ。だが21歳から22歳の頃の日記にさしかかって読み返していると、なぜかキーボードを打つ手がしばしば止ってしまった。
私はその頃も、今と同じように3畳の部屋に閉じこもっていたのだ。早稲田鶴巻町の東京の空を眺めながら、周りも見えず、将来も見えず、自分自身のこともよく見えず、悶々として日々を送っている様子が、日記帳のどのページからも立ち上がってきた。
私にはさまざまな劣等感があった。体が痩せていること、貧乏であること、東京の人間でないこと、親友も少なく恋人もいないこと、実存主義が理解できないこと、ひとを楽しませる会話ができないこと、数えればきりがないほどだった。
そんな私は何に支えられていたのだろうか。あるかないか判然としない将来の希望だったのだろうか。はっきりわからないから、それは希望であり続けることができたのだろうか。それが若さというものだったのだろうか。
3畳一間の下宿の窓から外を眺めていた孤独な私と、いまベランダの洗濯物を眺めている私との間には、気の遠くなるほどの歳月が横たわっている。その間に世の中は大きく変わった。まるで価値観が裏返しになったように変わってしまったのだ。
都会がスモッグで靄っている風景は、繁栄の象徴と見られていた。若者は都会に憧れた。食生活は貧しく、体格も貧相だった。常に栄養価の高い食品をとるように気を付けなければならなかった。アメリカでは道端に自動車や冷蔵庫が捨てられていると聞かされた。そんな話などとても信じることができないほど、日本は小さな貧しい国だった。若者は都会に憧れ、日本人はアメリカやヨーロッパに憧れた。
そして、変わった。
いまや一歩外にでると、道路は車が溢れている。少し山道に入ると、道端に古い車が捨てられている。テレビや洗濯機も捨てられている。現代では、人は物を捨てることに苦労している。
飽食の時代である。太りすぎた人も、痩せた人もいかに栄養価の低いものを食べるかに苦心している。食べ物も捨てられる。週2回のゴミ回収では追いつかないほどのゴミの量だ。ゴミも多様化して、人はゴミを分別することで悩まなければならなくなった。自治体までもゴミの処理場所に困っている。
そして、私も変わった。
肩がこりやすくなった。目が悪くなった。疲れやすくなった。さまざまな限界がみえるようになった。悪あがきをすることが少なくなった。残された時間を気にするようになった。
古い日記帳は閉じた。古い自分と決別することにした。窓の外の新しい風景を眺めることにした。
いま私の前途に、どれほどの可能性が残されているのかはわからない。先が見えないのは、若かった日も今も変わらない。ただ、これから歩いていく道は、おそらく1本くらいしかないだろうと思う。そう思うと気楽でもある。この1本の道の向うに、どんなかすかな明かりであろうとも、そのかすかに見えるものの中に、何かがあるかもしれないと思ったりする。
少しだけ希望があり、少しだけ不安がある。もう少しだけ頑張れそうな、まだまだ力を傾注できるものがありそうな気がしている。
今この3畳間にいながら、ベランダの洗濯物の向うの空を眺めている。すばらしい洗濯びよりだ。雲がゆっくり流れている。
花の写真がいっぱいで、虹のようにきれいなブログですね。
虹の向こうには何があるのか。
ブログの更新を楽しみにしています。
早々にコメントをありがとうございます。
ブログも検索いただいたようで、嬉しく思っております。
ブログはヤフーで開設しましたので、読者登録がうまく出来ませんでした
こちらに、なります。
http://blogs.yahoo.co.jp/nanairononiji39
これからも、よろしくお願い致します。
はじめまして
コメントまで頂き、ありがとうございました。
あなたのブログ『虹の向こうがわ ~未来の自分へ』を
検索しましたが、残念ながらたどり着けませんでした。
読者登録をしていただけるとありがたいのですが。
これからも、よろしくお願い致します。
自分と重なるところがあり、共感しながら読んでいました。また読ませていただきたいな…と思いました。
私はブログを始めたばかりです。
まだまだですが、「自分」を見つめ表現したいと思っています。
また、お邪魔させていただきます。
よろしくお願い致します。
(私のブログは、『虹の向こうがわ ~未来の自分へ』です。)
コメント、ありがとうございます。
Shioriさんは子育て中ですか。
子どもたちこそ文学の世界に生きてますよね。
いや、遊んでいるといった方がいいのかな。
あなたの文学の世界も、
そこから地続きかもしれませんね。
たのしみです
読みやすい詩集ですね
わたしは、子育てが落ち着いたら、
文学を学んでみたいなーと思っていたのですが、
yo-yoさんの文章、ちょっとした時間にも読みやすい
子育ての合間に読ませていただこうと思います
更新、頑張って下さい
コメント、ありがとうございます。
詩集からずっと読んでいただいてるとのことで、
とても嬉しく励みになりました。
serohikiさんのブログも、
おいしそうなお料理やお菓子の写真がいっぱいで、
いつも楽しく拝見させていただいてます。
しばらくはエッセイの掲載を続けたいと思ってますので、
これからもお力添えをよろしくお願い致します。
読むなり、引き込まれました。
詩を読ませていただいているときは
私より、ずっとお若い方だと思っておりました。
お孫さんもいらっしゃるということは
もしや同じ世代を生きておられる方なのでしょうか?(笑)
素敵な文に勇気や希望をいただきました。
読んでいただき、ありがとうございます。
そうですね。
つねに先は見えませんね。
不確かゆえに、夢も希望も持てるのかもしれません。
とにかく、目の前の道を歩いていきましょう。
「先が見えないのは、若かった日も今も変わらない。」
ですよね。
だから、これからの道もひとつではないかもしれないと、思います。
幾度も読み返していただき、
ありがとうございました。
過分のほめ言葉をいただき、照れたり喜んだりです。
これからも励みますので、よろしくお願い致します。
その後また2回ほど。
文の流れや言葉選びに惹かれたようです。
カッコ良い文だと思いました😃
いきなりのコメでスミマセン😅