日々好日

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28年も経った

2023年01月17日 22時32分18秒 | ブログ

阪神大震災が起きて、もう28年も経ったのです。
1995年1月17日午前5時46分に大きな揺れに目を覚まし起き上がった。
凄い揺れに、モノが上から落ちてくる、倒れそうなTVを支えて何も出来ない。
あの時の事は今でも鮮明に記憶にある。
会社の操業状態が気になり、液化現象で水が噴き出す中、車で会社に
操業状態は一部を除いて、問題なく操業中で安心した。
出勤者が集まり室内の片付け中に、テレビを見て神戸の阪神高速道路が橋脚が折れて倒壊してる。
よく利用していた道路なのでびっくり。強烈な地震だったのが良く分かった。

震災から二日目に長田区にある、関係会社の被害状況の把握と復興の段取りで5人で行く
交通機関寸断しているので、

約10日間、寒い海を小型漁船で大阪湾を横断して毎日神戸に通勤をする。
暗くなった海は危険なので明るい内に大阪湾横切って大阪に帰る。
ライフジャケットを付けて乗船したが、大きな波で船が転覆したら・・・
今考えると決死の覚悟だったのでしょう。

一度帰れずに、工場内に泊まった時に、大きな余震があり飛び起きて眠れなかった事があった。

大きな災害は、30年経つと皆さんの記憶が薄れてくるようです。
30年経っても、阪神大震災を風化させてはいけない。
テレビニュースで、各地での追悼式の様子が放送されていたが、
阪神大震災を体験してない世代、小学生から若者達が、今年は追悼式に沢山来てくれていた。
コロナで3年ほど規模を小さくして開催してたいたが、
今年は何時もの形で開催して、
大震災を知らない世代にこの災害の状況を確認して、この先の世代につないで行く事をテーマに

若い世代の参加が多かったので、30年風化説にはならないでしょう。

末永くこの阪神淡路大震災の事を次の世代に、次の世代にと申し送って行こう。
風化しないように作られたモニュメント

希望の灯り

大きな鉄人28号

写真はネットから頂く


今日の夕陽は綺麗に見えるのではと久し振りにカメラを持って

夕焼け前の山側を見る

金剛山

和泉葛城山 航空機のナビゲーターが見える

西に近い方向 夕焼けが

左奥の方に雪の積もった山がある 名前が思い出せない 紀伊半島の中央

沢山の雲に覆われる

関空の上に

今日の夕景は残念





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