3月4日に、「定額給付金の財源確保などに関する平成20年度第2次補正予算関連法案」が、やっと成立した。この関連法案は第二次補正予算とともに、1月13日に衆議院を通過、参議院に送られた。民主党など野党は、関連法案をここから延々と2月9日まで約4週間も、参院で審議を行わず、たな晒しにし放置した。(こちら)
今回にかぎらず、民主党は何度この「審議拒否」という手段を使ったことだろうか。 気に入らなければ常にこの審議拒否をちらつかせる、また実行する。子供が駄々をこねているのとどこが違うのか?いつものことと慣れっこになり、「またか」と呆れている人も多いと思うけれども、「審議拒否」、考えれば呆れてすむことではない。
国会は、意見の相違を前提とした話し合いの場である。相手の意見が「通る」のを阻止するため、遅らせるために、議論そのものをボイコットする、議論をする場に出ないという行為は、いったい国会で許されることなのか? 最も恥ずべき許されない行為だと思う。(しかし、マスコミが政治の話題で熱心に報じていたのは、なぜか「審議拒否」ではなく、首相の漢字がどうのと取るに足らないことばかりだった。)
議論の場として最も権威ある国会で、議論をボイコットすることをほのめかし、党の戦略として常用しているのが民主党である。「定額給付金など財源確保のための関連法案」は何週間も参院で、放置された。国の議題の多くは国民生活に直結している。 国会議員の報酬は「審議拒否」で国会が空転しても支払われているはずである。(一日、国会が空転すればどのくらいの歳費が吹っ飛ぶのか?何百人の議員報酬だけでも相当な金額になるはずである) 審議拒否という行為は、議員として負っている仕事を放棄していることであり、与党に対してではなく、国民に対して負っている責任放棄であり、冒涜であると思う。
民主党には、少なくとも「議論の場にも出ない=審議拒否」という行為は、国会の場で止めてもらいたい。審議拒否が許されるなら、「国会」は、議論の場としての意味をなさなくなる。国会で最も恥ずべきこと、最も責任を追及されるべきは、この審議拒否であり、これを国会の一手段として常用し、主導してきた民主党執行部の責任は重い。